2024/02/15

カラフルトレインズ・4/JR205系

今回は205系。


205系

鋼製201系・特殊用途のアルミ203系にて高価な電機子チョッパ制御を採用した国鉄だが、近郊形211系の開発にて新たに採用したのが界磁添加励磁制御。
結果としてその211系より1年早くデビューした界磁添加励磁制御の通勤形が205系。
軽量ステンレス車体・回生ブレーキなどで、201系の省エネ性から経済性もさらに高めている。


山手線205系量産先行車(原宿・1991.12.1)

最初の投入は山手線で、その103系のウグイスを引き継いだ。
最初は4つのメーカーが10連1本ずつ製造し、この4本は「量産先行車」と呼ばれた。量産先行車独自の特徴は、側窓が田の字の2段式であることだ。
写真は6ドア車サハ204形を挿入し11両編成になった姿。移行期における10連列車との区別のため「11CARS」のステッカーが貼られている。


山手線205系(品川・1989)

量産車は田の字窓から一段下降窓となりスッキリした。運行番号は幕からマグサインに変更された。しかしこのマグサインは視認性が低く、のちにLEDに更新された。
写真は10連でスカートもない時代。20年間の活躍後は山手線をE231系500番台に譲り、各線の103系(南武支線は101系)淘汰用に散っていった。「広域転配」と呼ばれる。
山手線に新製投入の205系(京浜東北線からの借入歴あり)はサハ204を除いてドア窓がすべて201系同様の小窓であり、転出後も元山手線であることが分かり易かった。
山手線 なつかし写真・1

山手線に続いて205系が入ったのは京阪神緩行。スカイブルーの7連で4編成と少数。
その後阪和線に転用され、201系同様サハの調整で8連2本・6連2本に組み替えられた。
京阪神緩行の4ドア車運用増で里帰りすると7連4本に戻った上、207系と同じ紺とオレンジの帯に変身した。


阪和線205系(津久野・2016.9.20)

その後再度阪和線に転出。サハは廃車され、6連4本に整備。当初紺オレンジのままであったが、順次スカイブルーに戻された。
後れて、110km/h運転非対応であることから、1000番台との区別のため正面帯・乗務員室扉にオレンジの細線が2本追加された。写真はその阪和線での晩年の姿。
2018(平成30)年3月の阪和線のオール3ドア化までに撤退し、4連化されて奈良線に移った。外れたモハユニット4組は廃車となった。
撮影時記事


阪和線205系1000番台(鳳・2016.3.20)

阪和線の205系は1988(昭和63)年に投入された1000番台4連5本が最初。
1000番台はJR西日本オリジナルで、正面の窓割りや走行機器等の諸々の変更が行われている。当初から110km/h運転可能な仕様であり、0番台に入った区別用の線の由来はそこである。
写真の2016年(平成28)年内で運用を外れ、翌年10月以降奈良線の103系淘汰に充てられた。
ファンはウグイス化を期待したが、0番台共々スカイブルーのままで走り続けている。0番台の識別帯もそのままだ。
撮影時記事


横浜線205系(山手・1990)

関東で山手線に次いで205系が投入されたのは横浜線で、1988(昭和63)年のこと。都会の幹線を差し置いての新車投入は驚いた。
同線の103系は山手線と同じウグイスであったが、205系ではそれを引き継ぎつつ濃い緑を加えて山手線と差を付けた。
ドア窓は103系同様の大窓となり、運行番号は量産先行車と同じ幕式に戻された。正面運転席上には種別表示幕も付いた。横浜線ではデビューの年度から快速運転が始まっていた。


横浜線205系(山手・1990)

205系の正面種別幕は以降の路線の車両にも続いたが、一貫して正面のみの設置で、側面は方向幕のみである。
写真は2枚とも根岸線での同日のシーン。こちらの写真の列車は種別幕に「横浜線」とあるのに、方向幕にも横浜線の文字が入っている。
これは側面と同じコマの表示になっているため。京浜東北線へ進む列車との誤乗が多いための措置であるが、側面にも種別幕があればシンプルに済んだはずだ。
逆に前の写真は「横浜線」の文字がないという、おかしな状況。側面は「快速 八王子」の表示になっているんだろう。その後の行先表示の状況はこちらで。
横浜線…というか根岸線山手駅 なつかし写真


南武線205系(武蔵中原・1991)

横浜線と似たスタンスの南武線にも横浜線の翌年に早々と205系が投入された。帯色は横浜線を上回る3色で、101・103系のカナリアと、101系最初の投入時のオレンジ、旧国のぶどう色が用いられた。
205系投入後の南武線の快速運転は2011(平成23)年3月のダイヤ改正から始まったが、正面種別幕は使用せず、正面も側面と同じく方向幕内に種別併記の形で表現された。
南武線205系の種別幕は路線名を表示することもなく、一貫して黒幕のままだったようだ。
南武線 なつかし写真


南武線205系(尻手・2014.2.2)

前述の通り山手線を去った205系は各線の車両更新に用いられ、南武線でも103系の置き替えが行われた。
6ドア車1両を含む山手線11連から6連を組んでいくにあたり、中間車の先頭車化改造車も登場。同様の先頭車化改造車は仙石線、鶴見線、南武支線、八高・川越西線にも登場。どの路線も4連以下の短編成かつ生来の先頭車がないが、南武線だけは生来先頭車と改造先頭車が共存した。
この後出てくる他線投入車も含め、この改造先頭車の行先表示器は左右中心より少し運転台側に寄っていて、とても気持ちが悪い。
撮影時記事


埼京・川越線205系(北戸田・2012.4.29)

1985(昭和60)年9月の開業時にウグイスの103系を揃えた埼京線だが、4年後の1989(平成元)年7月には早くも205系が走り始めた。
103系のクハはATC対応高運転台車で揃っていたが、中には中間車8両がすべて非ユニット窓の若番車という編成もあり、早期の置き替えが進んだ。
帯は緑が採用され、103系では同じ色だった山手線との区分けが行われた。
沿線人口の増加によりラッシュが顕著になると、山手線を退いた6ドア車が順次挿入され、写真の「6DOORS」ステッカーが付いた。
埼京線はりんかい線との相互乗り入れも行ったため、この緑の車両は205系では唯一の他社乗り入れを果たした。
撮影時記事


埼京・川越線205系(川越・1990)

川越線川越駅で折り返し待ちの、投入翌年時期の205系。
正面は種別幕が路線名表示で、方向幕が側面と共通の内容となっている。山手線から移籍した編成は種別幕がなく、路線名ステッカーが貼られた(前出リンク記事に写真あり)。
埼京・川越線の205系はE233系に後を譲って2014年3月までに1編成を残し撤退。ハエ28のみE233系のATACS対応工事の予備車として引き続き2年半運用された
埼京線・川越線なつかし写真


中央・総武緩行線205系(秋葉原・1989.8.2)

中央・総武緩行線に205系の投入予定はなかったが、東中野事故により急遽車両が不足したため、埼京線用で用意していた2編成が仕様を変更して1989(平成元)年8月1日より走り始めた。この写真はその翌日のものである。種別幕は「各駅停車」の表示。
103系の記事で触れた通り東西線直通車と誤認されることが多かったため、のちにドア上に「中央・総武線各駅停車」のステッカーが追加され、本家東西線直通車は黄帯から青帯に変更された。
写真のミツ6は1996(平成8)年にようやく本来の行先である埼京線に転出した。
中央・総武緩行線では新製2本・転入3本の都合5編成の在籍のみであった。
総武線 なつかし写真・3


京浜東北・根岸線205系(田町・1990)

京浜東北線には1989(平成元)年に4本、翌年に2本が新製投入され、京阪神緩行・阪和線と同じスカイブルーが関東にも登場となった。
しかしその活躍は短く、209系投入による他線への転出で1996(平成8)年3月までに全編成が消滅した。205系の所属歴が最も短期間の路線系統となった。


京浜東北・根岸線205系(山手・1990)

根岸線山手駅に到着したスカイブルーの205系。
103系時代同様、横浜線から片乗り入れの緑系の205系と競演していた。
京浜東北・根岸線 なつかし写真


京葉線205系(潮見・1990.3)

京葉線は1990(平成2)年3月、新木場から東京へ延伸。205系が新規投入された。
顔は新規のファニーなデザイン(「メルヘン」と呼ばれるが、嫌いなので当ブログでは「京葉顔」としている)となり、京浜東北線と被った103系のスカイブルーから脱却しワインレッド帯となった。
沿線にTDLがあり、京葉線が東京駅からの足になる(公共交通機関では、営団東西線浦安からバスか、西船橋経由で舞浜に出る必要があった)ことから、それなりに意識した方策をとったのがこの顔だ。
土休日の快速は平日の快速と停車駅パターンが異なることもあって、写真のように「マリンドリーム」という、それなりに意識した方策をとった呼び名だ。
正面種別幕はマリンドリームが快速であることを補足するようないい使い方である。現在の潮見駅で同アングルで撮ると、背景はマンションで埋まる。
潮見今昔京葉線 なつかし写真・3


京葉線205系(誉田—土気・2010.8.3)

東京延伸と同時に、蘇我方では外房・内房線との朝夕の直通運転が始まった。今年3月のダイヤ改正で廃止となる通勤快速もこの時に生まれた(当時は京葉線内途中駅は八丁堀のみ停車)。
京葉顔の205系は1995(平成7)年に110km/h運転対応改造が施され、201系の記事に示した勝浦・成東便以外、房総直通運用は京葉顔が専ら担当した。
写真の時点では種別幕は使用しなくなっている。
撮影時記事


内房線205系(蘇我・2010.7.1)

京葉線から房総直通の205系の列車は外房線は上総一ノ宮発着、内房線は君津発着と上りのみその奥の上総湊発の列車にも充てられたが、写真の列車は内房線内で完結する列車。君津始発で蘇我から京葉線に入らず千葉駅へ進むのだ。
これは快速で京葉線から君津へ来た編成の折り返しで、千葉からまた君津行で内房線を下っていき、翌朝京葉線に戻る。写真は京葉線E233系運用開始日で、同系列が初日からこの運用に就くことを期待して行ったがハズレであった。
今となっては貴重な記録であり、205系でよかったとしよう。現在も同様の運用が設定されているが、時間帯は夜遅いので地元民でないと撮影は気軽ではない。
撮影時記事


京葉線205系(二俣新町・2010.8.23)

20世紀中は京葉顔のみだった京葉線205系だが、ノーマル顔の先輩達が103系の置き替えのため2001(平成13)年以降に転入してきた。
ケヨ21が中央・総武緩行線から10連のまま、ケヨ22〜27は広域転配で山手線の11連から6ドアのサハ204を抜いた10連としてやってきた。ワインレッドをまとい、ノーマル顔の新たなカラバリが誕生した。
ケヨ21〜23は一段下降窓の量産車。ケヨ21・23は2007(平成19)年に当線を去り、私が撮り鉄を再開した2009(平成21)年には写真のケヨ22が唯一残っていた。正面のJRマークが異様にかすれてブラックフェイスに溶け込んでいた。
撮影時記事


京葉線205系量産先行車(新習志野・2010.4.3)

2005(平成17)年にやってきたケヨ24〜27はすべて田の字窓の量産先行車。京葉線の205系のバリエーションがさらに増えた。
私が撮った時期は写真の通り帯色がほぼピンクまで褪色しており、ワインレッドとは言い難かったな。
京葉線205系はE233系により置き替えられ、京葉顔は日光・宇都宮線へ4連10本が転出、ノーマル顔のケヨ22・25・26・27は3連化改造で富士急へ譲渡され、残りは廃車となった。
205系トップナンバーのケヨ24は現在でも一部が大宮で保管されているようだ。
撮影時記事


相模線205系500番台(橋本・2012.5.5)

相模線は1991(平成3)年3月に電化され、キハ35系から新製205系にバトンタッチした。半自動対応でドア脇に開閉ボタンが付いた500番台。新製時のスカート設置はこの500番台が最初で最後である。
一番わかりやすい変化は顔。私もそうだが、東武20000系に似ていると思った人が多かったのではないか。ただ助士側の縦長のブラックフェイス部分は20000系のように非常扉になっているわけでもなく、単なるオシャレである。
運行番号表示は山手線向け以来のマグサインを採用。山手線向けより視認性は向上している。幕板のカラー帯が省略されたり、側面のJRマークが東日本の緑色なのも500番台のデザイン上独特の点だ。
生涯相模線ひと筋で、E131系に道を譲って一昨年の2月に定期運用を引退。イベントに使われたりしたあと、昨年までに全車廃車となった。
新製時の貴重な8両編成での試運転や、ひまわり号充当の姿は相模線 なつかし写真で。


武蔵野線205系(西船橋・1991)

1991(平成3)年、武蔵野線一部8連化のため205系が新製投入された。103系の記事の通り、ちょうど私が同線を高校通学に使っていた時代の登場。
8連運転開始の12月1日のダイヤ改正前に非鉄の同級生が「銀色の電車に乗った」と言ってきたので、まさか、と思ったが、私もカメラを持っているときに暫定6連で走る姿に遭遇できた。編成番号札は緑の19を下げている。当時の所属はトタ区だ。
改正に備えて103系の組み替え作業を行うためで、Wikipediaによれば6連運転は10月8日からの1編成のみだそうだ。ダイヤ改正を跨いで走ったかは不明。


武蔵野線205系(南船橋・1991.12)

こちらはダイヤ改正直後の姿で8連。6連列車との区別のため「8CARS」のステッカーが付いていて、業務用で運転台上にも8の文字が入った。
編成番号札は黒地蛍光黄色文字で2→トタE2。ネット上で調べると、上の緑の19は恐らく改正後はトタE1で、この黒地札で1になっているはずだ。
編成は6M2Tで、京葉線地下区間に存在する急勾配に対応するための強力編成が組まれた。
正面は京葉顔をベースにステンレスに合わせたシルバー塗装が施され、いいセンスしてるなぁと感心した。205系でいちばんイケてるスタイルだと思う。
運行番号表示は相模線同様マグサインに変わっている。この当ブログで言う「武蔵野顔」のクハは最後までスカートが付けられなかった。
武蔵野線 なつかし写真・2


武蔵野線205系「しもうさ号」(新習志野・2011.12.18)

武蔵野線にも205系の広域転配の波が押し寄せ、103系を置き替えた。
武蔵野線のノーマル顔205系の特徴は、モハユニットがVVVFインバータ制御に更新されて5000番台になったこと(晩年は例外あり)。これにより、武蔵野顔と同じ8連ながら4M4Tで編成が組まれた。
なおVVVF化で外された界磁添加励磁制御関連の機器の一部は、N'EX用253系の増備車200番台の新製時に転用された。現在も東武直通特急用1000番台となって活躍中。
転入元は山手線のほか、中央・総武緩行線、埼京線、南武線の車両もあり、山手線用の小窓ドアと他線の大窓ドアが混じった編成も多く見られた。
武蔵野線205系は京葉線209系500番台と中央・総武緩行線209系500番台・E231系0番台転入により置き替えられ、インドネシアへ飛んだ車両も多い。
撮影時記事


仙石線205系3100番台(小鶴新田・2009.9.6)

JR最北の直流電化路線・仙石線には2002(平成14)年から205系が投入され、103系の置き替えを進めた。
耐寒仕様・ドアの半自動対応・トイレ取付などを施した3100番台で、クハはすべてサハの先頭車改造。山手線車両を基本に、一部のクハは埼京線車両が種車となっている。
カラー帯は103系のスカイブルーを引き継ぎつつ濃い青も加えた、臨海路線らしい色となった。写真のM7とM9の2編成は2011(平成23)年3月の東日本大震災で被災し、廃車された。
太平洋沿岸を走る仙石線は被害が大きく、全線の運転再開は4年後の2015(平成27)年5月となった。このとき、東北本線と直通する系統の仙石東北ラインが同時開業。同系統用のHB-E210系が加わり205系は震災前より運用数が減ったため、廃車2編成の代替名目の車両は入らなかった。


仙石線205系3100番台(苦竹・2009.9.6)

沿線出身の漫画家・石ノ森章太郎のキャラクターをあしらったM2編成「マンガッタンライナーII」。M8編成「マンガッタンライナー」に続く第二弾で登場した。
このM2からM5までの4本とM8編成は、石巻方のクハ205をロング/クロス転換可能な2WAYシートとしており、マンガッタンでない編成は編成中4両でそれぞれ帯色が異なるカラフルなものとなっている。
仙石東北ライン開業で205系の快速列車がなくなったことを機に、現在2WAYシートはロングに固定されているとのこと。JRで唯一のロング/クロス転換車なだけに、惜しいところだ。
仙石線205系はいまのところ後継車両の登場はない。
撮影時記事


南武支線205系1000番台(尻手・2014.2.2)

101系ワンマン車2連の庭だった南武支線には、2002(平成14)年に2本、翌年に1本が登場。
205系最短の2連を組むため、前者は中央・総武緩行線、後者は山手線を走ったモハユニットを先頭車化・ワンマン対応改造をして投入。1000番台に整理されている。
カラー帯は101系ワンマン車に用いられた青緑と、南武線の黄色を前者多めの配分で巻いている。
昨年のE127系2本の転入により、205系のうち中央・総武緩行線からの2本(ワ1・ワ2)が退役し、写真のワ4のみ残る模様。ワ3がないのは現在と似た状況が理由で、101系が3本あったのに対し205系は当初2本しか入らなかったため、101系のワ3が残っていたのだ。恐らくこの205系ワ4と重複して在籍があったということだろう。
撮影時記事


鶴見線205系(国道・2014.2.26)

鶴見線205系は2004(平成16)年から登場。前任の103系を踏襲し、2M1Tの3連が作られた。
山手線モハ205+モハ204ユニットと埼京線サハ205が種車で、モハ204・サハ205は先頭車化改造されクモハ204・クハ205の1100番台に整理、モハ205は0番台のままとなった。
カラー帯は101・103系から継いだ黄色と、恐らく臨港路線のため運河や海をイメージしたのであろう水色が、白を挟む形となった。
鶴見線は鶴見—扇町の本線と、海芝浦支線、大川支線があり、205系の3色表示LEDは行先の色分けを行っているのが特徴。下り本線弁天橋・武蔵白石・浜川崎・扇町行は、海芝浦行は、大川行と上り鶴見行はオレンジとなっている。
鶴見線は昨年12月にE131系1000番台の投入が開始され、来月のダイヤ改正までに205系の置き換えが完了する予定。
撮影時記事


川越・八高線205系3000番台(八王子・2012.5.5)

川越西線・八高南線は後者の電化を機に高麗川駅を通じ直通運転系統となり、2003(平成15)年から205系が投入され103系を置き替えた。
山手線車両を種車にドアの半自動化・先頭車改造でのクハ整備を行ったもので、同系統の103系・209系に合わせた3000番台となった。鶴見線と異なり中間車も3000番台になっている。カラー帯は209系のパターンを踏襲。
当初7本投入の予定が、種車需給が変わったことで5本にとどまり、2本はりんかい線のオール10連化の際に余剰となった70-000形6両と新製モハユニット1組を合わせた209系3100番台でまかない、平成の社形電車と呼ばれた。
当系統の205系と在来の209系は、中央・総武緩行線から移ったE231系3000番台・209系3500番台により置き替えられた。
撮影時記事


川越・八高線205系3000番台(長野総合車両センター・2018.9.18)

川越西線・八高南線撤退後、長野総合車両センターに送られたハエ81。
3連化改造を受けたあと富士急6000系となり、6702F「NARUTO&BORUTO 富士 木ノ葉隠れの里号」となって、田窓の量産先行車たちとともに活躍中だ。
撮影時記事

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。