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2015/10/31

15.10.19 ポッポの丘・1

いすみ鉄道の沿線撮りをしたあとに向かったのは『ポッポの丘』。
御宿の養鶏業者が開設したもので、県内外で活躍した鉄道車両が並ぶ夢のような場所だ。

国道465号、い鉄上総中川駅近くの信号のある交差点から北へ進むと、西のほうの台地にカラフルな鉄道車両が並ぶ姿が見える。



田園地帯を抜けて台地沿いの道を少し進むとそこが入口。
日が傾き始め逆光の先に見える中型車両の姿は、まさに夢の中のぼやけた風景に感じた。

入場は無料。敷地のど真ん中にある駐車場に車を停め、早速保存車両を観察。
車両は敷地を囲むように並んでいるので、万葉線デ7000形から時計回りに見ていこう。


デ7052 万葉線デ7000形





万葉線で使われた路面電車。塗色は前身の加越能鉄道時代のままになっている。
設計は加越能鉄道が直通運転を行っていた富山地鉄射水線に所属したデ7000形に基づいていて、側面の写真でいうと中央から右側の窓配置がヘンテコになっている。
細長い窓の左隣の窓の位置に地鉄デ7000形では扉があり、細長い窓は本来車掌用の監視窓として設けられた。つまり、この車両は地鉄デ7000形からのプラモデルの切り接ぎ的な「窓とドアの位置交換」の設計で作られているのだ。
地鉄との重複を避けるため、こちらは7000形ながら7051からの付番となっている。
この車両はポッポの丘の母体である養鶏場で獲れた卵の販売コーナーとなっている。


いすみ204 いすみ鉄道いすみ200型





いすみ鉄道創業時の車両。
登場時はクロスシートで「いすみ100型」を名乗っていたが、のちに全車ロングシート化改造され「いすみ200型」に変更された。
さらには床の張り替えで「いすみ200'型」と変わったのだが、その時期がよくわからない。この記事では施設の説明看板に沿って「いすみ200型」としよう。
204号は7両のいすみ200型の中で最初に廃車になった車両。2010(平成22)年のキハ52導入がきっかけだったが、その前から長きに渡り戦力外になっていたようだ。
いすみ200'型として206のみい鉄内で現役となっているが、204以外の5両に関してはミャンマー国鉄で日本の各社のレールバスとともに現役続行中。


モハ3752 北陸鉄道モハ3750形









北陸鉄道加南線(路線群の総称)のクロスシート車・モハ5000形として登場した車両。
加南線は加賀温泉郷にあり、国鉄北陸本線から加賀温泉の各地へ向かう観光客が利用する路線群だった。張り上げ屋根車体の優雅な外観で加南線の代表的な車両となった。
後継車両の投入で石川総線へ移り、ロングシート化。さらに機器の変更でモハ3750形に形式変更された。
その後看板にもある車体更新工事では骨組みを残して外板をすべて張り替え、ノーシル・ノーヘッダーとなり、窓もユニットタイプに変更となった。


デハ702 銚子電鉄デハ700形











もとは近江鉄道の電動貨車デユワ101形の主要機器を利用しつつほぼ全とっかえの新製に近い形で2両が登場したモハ51形。のち2両とも銚電へ移籍した。
当初は非貫通3枚窓正面の両運転台車だったが、のちに編成運転が基本となったため片運転台化され、残された運転台側も非貫通2枚窓に変更された。
銚電への移籍時は西武所沢工場で改造を受けて再び両運転台に戻され、復活した運転台は非貫通3枚窓となった。登場時の3枚窓は中央のみ狭かったが、再設置の際は逆に中央の窓のみ広くなっている。
近江鉄道からの西武赤電色は存置、銚電標準色の変更にともない赤黒になったあと、晩年は702のみ1960年代の銚電塗装の青系に変更され、現在もその姿を保っている。


トロッコ 行川組




トロッコ。これについてはよくわからない。デハ702の手前に保護色で溶け込むように置かれている。


デハ701 銚子電鉄デハ700形













平成の銚電標準色で展示されているのがデハ701。足回りが見えない展示位置がなんともかんとも。
塗色のほか、テールライトが埋込式になっていたり、ドア窓の天地が狭かったりと、702との車体の差異も見られる。
テールライトに関しては笠上黒生駅での衝突事故の影響で、ガイコツテールから改修されたとのこと。702のそのガイコツテールは立ち入り禁止看板によって隠れてしまっているのが残念。
日よけの鎧戸はかなりボロボロになっているところも見える。


キハ38 1 JR久留里線キハ38形







キハ38形はキハ35系の機器を流用した改造名義で誕生した車両。八高線のサービス改善と当時の国鉄工場の技術向上の素材を兼ねて、0番台4両・トイレなし1000番台3両が造られた。
デザイン面以外のキハ35系からの変化としては、冷房が付いたこと。また、ステップ付3ドアでは強度が不足するとされ外吊り式だった扉も戸袋式に改まった。
国鉄のロングシート気動車としてはバケットシート、冷房などが初めて採用された形式でもある。
八高線では南線の電化まで使用されたあと、久留里線に移籍した。塗色は八高線時代、久留里線移籍時、写真のものと3パターンを経ている。
久留里線ではキハ30・キハ37形とともにJRで他路線には一切残っていない車両ばかりで活躍し、おととしキハE130形100番台に一斉に置き換えられ廃車となった。
5両がミャンマー国鉄に移籍し冷房車として重宝されているほか、水島臨海鉄道に1003が移籍し、同じく久留里線から移ったキハ37となぜか国鉄一般色風に塗られて編成を組んでいる。1両が国内現役、1両がポッポの丘、5両がミャンマーというのはいすみ200'型とまったく同一である。


キハ38+キハ37(横田—東横田・2010.2.14)(再掲)

現役時代のキハ38 1。渡り板に車号が書いてあるが、塗装が剥げて読みづらかったのがこの1だった。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2015/10/24

15.10.19 里山のDC天国・2

改めて大多喜の街を通り抜け、東へ。国道465号とい鉄が長く並走する区間に進む。


キハ30と風そよぐ広場

城見ヶ丘の次・物陰で見えないところにある上総中川駅をいつの間にか過ぎ、その次の国吉駅に到着。


(国吉)

国吉駅はムーミングッズとい鉄をはじめとした鉄道グッズを扱う店舗が併設されている。いすみ市商工会と一体化した駅舎は1991(平成3)年の建築。丸ポストは昔からこの位置に置かれているものではないようだ。
列車に乗らず撮ってばかりではアレなので、い鉄国吉駅と上総出雲大社のコラボの黄色いTシャツと、リトル・ミィの缶のハーブティーを購入。大多喜駅の売店同様、銚電のぬれ煎も扱っている。
店内はムーミンのアニメDVDが流れており、なんだかまったりした空間。



キハ30(国吉)

ホームに入ると、奥にキハ30が見える。ご覧のようにJR久留里線で3年前まで走っていた車両。
現時点では車籍はなく留置というか展示というか…という状態にとどまっているが、譲受当初の話のままであれば、最終的に走らせるつもりで考えられているはず。
この駅に来たのは当然この車両の観察のため。



キハ30(国吉)

午後に撮りやすい位置に停まっている。貫通扉の窓はHゴムがないタイプ。Hゴムといえば、前面のものは黒だったのがグレーに変わっているようだ。
昨年12月の整備時の社長ブログによれば「保安設備の搭載工事に時間がかかることから、当分の間、本線での走行は行いません」とあるが、今後この側線を使ったレールパーク構想があるそうで、このキハ30は運転体験に使われる予定。



キハ30(国吉)

車号はキハ30 62。久留里線…そしてJRで最後に残った3両のうちの再若番車。



キハ30(木更津・2009.10.11)(再掲)

私が実際の久留里線での撮影で初めて撮った車両がこのキハ30 62。写真の2ヶ月後に国鉄一般色へ塗装変更された。


キハ30(木更津・2011.7.6)(再掲)

塗装変更後の姿。
ここに上げるのに1枚選り抜いてこのカットはなんだ? という感じだが、塗装変更後の62に関してはなかなか縁がなかったようで、これぐらいしか写真がなかった。同僚の98や100はある程度のカット数があるのに。



(国吉)

国吉駅は交換可能駅で、複線になっている部分はかなり長い。無論、国鉄時代に作られた設備。



(国吉)

キハ30がいること以外何も知識なく来たこの駅だが、大多喜のように「風そよぐ谷 国吉」という駅名になっている。
そして、駅南側はホームから下りられる原っぱが開放されており「風そよぐひろば」と名付けられている。















風そよぐひろば(国吉)

広場には木彫りのムーミン・ムーミンパパや、ドラム缶で作られたムーミン谷風の建物・ナゾのカエルなどが点在。
こどもがワイワイ走り回るには絶好のスペースだが、油断するとグチャっと水分が多いところもあるので注意。


(国吉)

フラワーポットはいすみ200'形。実車の存在した数より多い。


(国吉)

駅舎側ホームには人車が置いてある。かつて大原と大多喜を結んだ千葉県営大原大多喜人車軌道のものだ。
1912(大正元)年に開業したものだが、国鉄木原線建設のため1927(昭和2)年に廃止となった。路盤は木原線建設資材の運搬に活用されたそうだ。




国吉駅を後にしてポッポの丘へ向かうつもりだったが、どうやらそんなに待つことなく上総中野行がやって来るようだ。
国鉄色の車両であればキハ30と絡めて撮るのだが、キハ352であることは判っている。駅ではなく沿線撮りに決め、ここに来る途中にあった橋梁で撮ることにした。




(国吉—上総中川)

い鉄の新田野—総元間では夷隅川がつかず離れず沿っており、路線は数度この川を橋梁で渡っている。
ガーダーには「いすみ鉄道」の白文字ペイントがあるが、日が当たりすぎてカメラを通すと飛んでしまう。
カメラの設定には疎いので、マニュアル設定は苦手で…。



いすみ350型(国吉—上総中川)

風景主体にするか、車両主体にするか、真横から撮るか、顔も入れるか…いろいろ迷った挙げ句、なんだかビミョーな結果か? 少なくとも川面(かわも)は入れたいと考えたので、それは切れなくてよかった。
頻繁に列車が来るのであればいろいろできるのだが…。 こういう場所は風景と違う赤系の国鉄形キハ2連が引き立ちそうだな。


ぽつん駅

橋梁での撮影の後はポッポの丘を楽しんできた。そこでの写真は次の記事にする。

ポッポの丘を出たあとは再び大多喜方面に戻り、すき家の交差点で国道297号へ入る。
開けた空間の中、城見ヶ丘駅付近のい鉄をオーバーパスしてとある交差点を過ぎると、突然ヘアピンカーブの連続した急坂区間に入る(実際に「ヘアピンカーブ」と書かれた看板がある)。過去数回通っているので知っているが、いつもこのギャップに惑わされる。

空いても混んでもいない片側1車線国道をひた進み、圏央道市原鶴舞ICを過ぎてしばらく行くと、左側に小湊鐵道が現れる。
途中で東京時刻表をチェックしたら、いいタイミングで五井行列車が来るようだ。
月崎返しの臨時ダイヤが通常と同じ時刻設定(下りで月崎に着くと、通常であれば上総中野方からやって来る上り列車の時刻までそのまま待つ)になっていれば…だが。

国道からすぐのところに踏切が見えたので、その道路に入る。踏切近くで撮ろうかと考えたが、右手には上総川間駅があり、いまいる道路からさらに右折した道路が駅の近くに続いている。その位置はゴッツリ順光で撮れる向きなのだ。



(上総川間)

田園地帯にぽつんとある上総川間駅。古い駅名標は上総中野と同じく「かづさ」のかな書きだ。ホーム背後の木々は防風用だろうか?
私のいる道路は単純に線路に並行しているわけではなく、離れたところから線路に近づいてきて、駅を過ぎたところから直角に曲がって五井方は線路に沿うように続いている。そのカーブの位置から撮影。まるでお立ち台のような場所。

踏切が鳴いた。よかった、通常ダイヤ通りの時刻のようだ。





キハ200形(上総川間)

前回小湊鐵道を撮ったのは2年前の夏。その時は一部に打鐘式の踏切もあったが、ここの踏切は電子音だった。
もっと撮ってるようにも思ったが、意外にも小湊の撮影は今回が3度目にすぎなかった。 車で同じ道を通ってきたこと自体の回数はもっとあるのだ。




キハ200形(上総川間)

ぽつん駅に単行のぽつん列車が到着。だがしかし、乗り降りはぽつんともなかったようだ。


キハ200形(上総川間)

小湊は昔ながらのサボを使っている。月崎の表示をどうしているか気になっていたが、応急感丸出しだった。
車両は非ユニット窓のキハ207。




キハ200形(上総川間)

絵に描いたようなローカル列車の風景。都心に近い位置どりも相まって、小湊鐵道はCM・ドラマ等映像作品で頻繁に目にする。




キハ200(上総牛久—上総川間)

次駅の上総牛久へ向けて進むキハ207。
五井からの区間運転列車も設定されている上総牛久駅周辺は、この駅前とは違って市街地の雰囲気が出ている町並みだ。

この撮影を最後に、あとは眠気と戦いながら帰宅一直線。
土日だと蘇我あたりで渋滞にハマるのが常だが、この日は月曜。交通量は多いものの、渋滞というような速度の遅さの場面には遭遇しなかった。
休憩のため寄った京葉道路幕張PAでも銚電のぬれ煎を売っており、ついつい買ってしまった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)