2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2022/09/18

22.9.18 東西線日本橋行・2

引き続き、東西線日本橋行の撮影。


縛り





05系(原木中山)

30F。側面表示器は線が入ってしまった。撮ってすぐ見直せばよかった。


05系(原木中山)

36F。登場時おでこにあった車号は、その位置へのデータ送受信機設置のため、水色帯部分に移されている。
このペコちゃん顔(05N系)は各編成こっそりと少しずつ変わっていき、おそらくいまは完了していると思われる。



05系ワイドドア車(原木中山)

こちらはB修時に車号移設が施されている。




東葉2000系(原木中山)

13S表示の2002F。やっぱり行先表示の最上部が隠れているように見える。


05系(原木中山)

この列車で一旦西船橋に移動しよう。
西船橋駅で改札を入り直して当駅に戻り、飽きたら帰る形にする。
07系やE231系800番台が現れずまるで車両の縛りがあるかのようで、飽きるのは早いかも?


忘れ物

28Fで西船橋に出て、改札を出てすぐ入り直す。
コンコースの案内では、日本橋行が8番線、東葉勝田台行が5番線で固定になっていた。



東葉2000系(西船橋)

7・8番線ホームの東端で、地下から出てくる列車を撮ってみた。
柵があっていろいろ制限があるが、ズームでこんなアングルが撮れたのか。近所で生活していながら、今の今まで撮ったことがなかった。
2008Fは前記事の原木中山で後追いで撮ったときは54Tだったが、57S表示に代わっている。



東葉2000系(原木中山)

東西線に入って再び54Tに戻った2008F。
列車に乗っているあいだ、持ってきたビニール傘が手にないことに気づいた。
原木中山入線時に1番線に注目すると、やっぱり西船橋方端っこの壁際に置いてあった。
この駅は階段が中野方に寄っていて、両ホームの西船橋方端っこ同士の移動は超絶めんどくさいのだが、私物なので回収せねば。


05系(原木中山)

ほんとは改めて2番線端っこで15000系の日本橋表示を撮るつもりで西船橋では最後尾に乗ったのだが、またこのアングルで撮ることになった。
さすがにまた端っこ同士移動をするのは気が進まなかった。




東葉2000系(原木中山)

前記事で日本橋行として迎えている2006F。日本橋返しなのでとっとと戻ってくる。


05系ワイドドア車(原木中山)

上下左右ゴチャゴチャしているこのアングルが好きだ。




05系ワイドドア車・東葉2000系(原木中山)

両列車とも「橋」を目指す。
ロングズームかつ行先表示マターのためSモードで撮ったもの。架線柱の重なりがたまらん。



東葉2000系(原木中山)

行先表示の上辺が切れて見えたのは、フレームのせいだった。しゃがんで撮ったら全部見えた。


05系(原木中山)

32Fは50T表示。


05系(原木中山)

しっかし、07系とE231系800番台はまったく現れないな。
もしかしたら本日運用に就いていた編成たちが中野方閉じ込めになっていることも考えられる。





15000系(原木中山)

ようやく15000系の日本橋行に会えた。
側面表示器は上辺両角だけフレームが被っている。




東葉2000系(原木中山)

東葉車同士が両ホームに入ったシーンで切り上げ。
改札を出て帰宅した。JR車の日本橋行が見られなかったのは惜しかった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

22.9.18 東西線日本橋行・1

台風14号が九州に迫る中、わが関東南部でも午前中から強い雨が続いた。

そんな中、13時15分から東西線が一部区間運転見合わせとの情報が入ってきた。
飯田橋—九段下間で路盤の冠水が発生したとのこと。両駅の路盤でも冠水が見られたようだ。
運行は中野—高田馬場・日本橋—西船橋間のみとなっている。日本橋行は撮ったことがないな。


日本橋行を記録

私は朝から出かける考えもあったが、何かを感じて止めて家でダラダラとしていた。
雨は時に強くなり、近所に雷が落ちたり(稲光の直後にドドーン)、数分間の停電も発生した。
こういうときに撮りに行くと、現地に着いた時点で不通が解消していることもよくある。
ただ今回の冠水は人身事故や車両・信号不具合とは質が違うためか、復旧の情報がなかなか出ない。
15時半過ぎに重い腰を上げて撮りに行くことにした。

※アップ後追記:今回の冠水は当該区間にて線路の配線変更工事中であることに始まり、下水道を迂回させる措置をしたその接続点から漏水したのが原因だそうだ。
映像を観た限りでは物理的には走れそうな水かさだったが、信号系統がダメになったのが運転見合わせの直接の理由。
配線変更工事は、B線(中野へ向かう列車が走る線路)海側にあった引上線をAB線間配置に変更するもので、一般的なY線にすることで引上線から出る列車がB線を横切るのを解消することを目的とする。
東西線の初回開業時は高田馬場—九段下の地下区間のみでの営業であったため、本線脇にトンネル内検車場として「飯田橋検車区」が設けられ、東陽町延伸時に深川検車区に移行した際に引上げ線に転用された。


05系(原木中山)

地元・原木中山駅の2番線西船橋方に立つ。
この列車は試しでAモードで撮ったが、ブレてしまってダメだな。編成は40F。



05系(原木中山)

スポーツモードの屋内用にセットし、日本橋行初記録。36F。
シロウトの私には肝心の行先表示が読めるように写ってくれれば十分だ。



東葉2000系(原木中山)

このように突如強い雨に変わるのが、午前中から続く状態。
東葉高速線への直通は中止なく実施されている。2008F。




05系(原木中山)

3色表示LEDが残る28F。
先月の記事にも書いたが、05系7〜9次車の9本がこの表示器で残っている。


東葉2000系(原木中山)

2006Fは西船橋行。西船橋は隣駅のため、ほどなく戻ってくるであろう。




05系(原木中山)

こちらがこの記事最初のブレた写真の40F。
同じく西船橋行だったのですぐに現れた。雨が強い。




05系(原木中山)

帯のかすれが目立つ39F。本来は東葉車が入るT運用の表示。

5000系がたくさん走っていた時代、方向幕に日本橋や飯田橋の文字はなかったよなぁ。それぞれ大手町・九段下と隣の駅のコマは入っていた。九段下行は今もあるが、以前は朝ラッシュ時に高田馬場行や大手町行の定期列車も存在した。
現在大手町駅前後に渡り線はなく、日本橋—茅場町間に設置されている渡り線を使うために今回の日本橋行の登場となった。





東葉2000系(原木中山)

5本目でようやく05系ペコちゃんじゃないのが来た。2006F。
基本設計が同じ05系40Fもそうなんだが、どうも「日本橋」の文字の最上部が隠れているように見える。

この原木中山駅の西船橋方にも渡り線があったが、現在は撤去されている。
これは総武線の国鉄時代はストライキで列車が止まることがたびたびあったため、手前の当駅での線内折返しをするための措置であった。
現在と違い西船橋駅ラチ内にはのりかえ改札がなく、外からの改札口は共用…国鉄での管理だったことが関係していると思われる。国鉄時代は自動改札機なんぞなく(近場だと武蔵野線の単独駅に例外的に存在していた)、複数の改札ブースに駅員が入り、ハサミをカチャカチャ刻みながら入鋏していた。


虹のいたずら

雲間から日差しが見えてきていたので、列車の合間には東の空をチェックしていた。


(原木中山)

うっすらとだが、期待の虹が現れた。



05系(原木中山)

もっと濃く出てくれるといいのだが。一応列車と一緒に収められた。





東葉2000系(原木中山)

虹は少し濃くなったか。ネタ行先と虹はいい組合せ。
まぁ日本橋行も虹も、雨がないと発生しなかった。


(原木中山)

まだ虹は出ている。



05系(原木中山)

さらに列車との組合せが撮れたが、アングルが微妙。
1番線に移ってみるか。列車の真上に虹が入るかもしれない。



05系ワイドドア車(原木中山)

ホームを移った私をあざ笑うかのように、太陽が雲に隠れてしまい、虹も消えてしまった。冒頭のネタ行先発生時あるあるとまるで一緒じゃないか。
とりあえず来た列車を。18F。





05系(原木中山)

B修を受けて小綺麗になった20F。
07系とともに、B修で車端の4人掛けロングシートが1組撤去されてフリースペースにされたのが、通勤時に妙典始発で座っていく私にとっては痛手。


15000系(原木中山)

なかなか来なかった15000系が登場。
07系とE231系800番台もまだ現れない。




東葉2000系(原木中山)

31Sでやって来た2009F。先ほどの05系20Fと比較すると、LED表示器の4角は角丸フレームに隠れているのがわかる。
ローマ字でBの前の「ん」はMを使うのが正しい。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)