長電村山駅から8500系トップナンバーで本郷駅まで移動。
夕方の学生帰宅ラッシュに当たり、旅気分が一気に幻滅する。
橋上駅舎の本郷駅はそこそこの降車。駅周辺は住宅が多い。
ちなみに「ほんごう」は「ほ」と「ご」にアクセントを置く発音だ。
墓場か、天国か
本郷駅で下りたのはネットでよく目にする場所へ行ってみたかったため。
日没が近づいているので、速歩きで駅前を通る下り坂道を真南に進む。
この辺だろうというところで左折し、片側1車線の北長野通りを渡る信号のない横断歩道に出た。
すると交通量の多い道だが双方向の車が停止。ほぼ立ち止まることがないぐらいのタイミングで渡らせてくれた。
片方がパトカーでいち早く停まってくれたのもあるかもしれないが、長野のドライバーは親切だ。
すぐに北陸新幹線としなの鉄道北しなの線が並行する区間に出る。
長野駅方へ進むと、思った場所に出られた。
(長野総合車両センター)
ババーン! はいしゃおきば〜っ。
JR東日本の長野車両センターの傍らにある、廃車の保管や解体を行っている場所。通称「廃車置場」だ。
ここの車両群の動きをとあるブログさんがコンスタントにリポートしている。
私は何かの検索でたどり着いたが、おそらく有名なブログなんだと思う。
このような遠目のアングルしかないのは場所の制約だろうと思ったが、現地へ行ってみてびっくり。「こんな場所から見てたのか!」という所だった。
(長野総合車両センター)
ロングズームで少しずつ見ていく。この数ヶ月で長野送りのニュースを見た車両が並んでいる。
(長野総合車両センター)
緑の鋼板の向こうは解体場。
わが地元を走った中央・総武緩行線E231系の6ドア車・サハE230が最期を迎えるところのようだ。
この時はとくに重機が動いている様子はなかった。
解体作業場はかつては大宮であったが、鉄道博物館の設置によりこの長野に移ったんだそうだ。
前々日に新幹線で大宮にさしかかった際、駅の東京方の新幹線高架脇の廃車置場の線路が残っているのが見えた。
かつては死んだ色をした通勤・近郊形がゴロゴロしていたのを思い出した。
211系(長野総合車両センター)
211系が横切った。入換か長野駅の回送かはよくわからない。
長野色の211系はこれが初撮影だ。
(長野総合車両センター)
前の写真から来た道を少し戻った位置から。前の写真と同じような形の場所だ。
まさかと思ってスルーした場所だが、そのまさかだった。
当該ブログさんの情報を参考に各車両を紹介。
(長野総合車両センター)
左:DD16(車番プレートなし)、EF62 3。
右:ED60 1、EF63 19。
どれも甲信地方で活躍した機関車。私はEF62以外は初めてカメラに収めた。
博物館での展示などを前提にしているんだろうが、これまで当該ブログさんで見てきてもう何年もこのまんま雨ざらしになっている。
(長野総合車両センター)
485系『リゾートエクスプレスゆう』。わが地元を走る姿も数度撮っている。例えばこれ。
先頭はパノラマ構造なのにど真ん中を愛称表示で塞いだり、ヘッドライトが中央に縦に並んでたりと変化球な構成。
(長野総合車両センター)
185系B2編成。こちらは湘南ブロックパターンのときにわが地元を走る姿あり。「さざしお」も。
(長野総合車両センター)
205系ハエ81編成。川越・八高線用3000番台車のトップナンバー編成。
すでに帯が剥がされ素の状態に。魂が抜けている。
(後日追記:ハエ81は無塗装の状態で富士急へ譲渡。同社標準色を纏うことなく当初から『NARUTO×BORUTO 富士 木ノ葉隠れの里号』のカラーリングで6702Fとして2019年7月より運用に就いています。行先表示器のフルカラーLED化もされています)
(長野総合車両センター)
185系B4編成。やはり地元で撮っている。こちらもその時はまだ湘南ブロックパターンだった。
「ムーンライトながら」も東京駅で撮った。
鼻スジの特急マークが抜かれた姿。特急マークはキン肉マンの肉マーク、ブロッケンJr.のドクロの徽章、テリーマンの★マークと同じ。剥がしたらおしまいだ。
(長野総合車両センター)
205系ハエ83編成。八王子で一度撮っている。こちらは帯が健在。
(長野総合車両センター)
185系B3編成。29年前に田町で撮っていた(遠い目)。
もしかしたら同じ編成の呼称でも車両は入れ替わってるかな?
(長野総合車両センター)
世代の違う3形式の顔が見える。
左のE353系が「あずさ」「かいじ」から真ん中のE257系0番台を追い出し、そのE257系0番台は右の185系がかつて入っていた「踊り子」の車両置きかえに使われる。
E257系は房総用500番台も含め、今後は波動輸送も多く担う。
現役の列車がやって来た。
115系(長野—北長野)
やって来たのはしなの鉄道の115系S15編成。
天下のJR東日本の車両拠点があるが、ここを走る本線はいまやJR信越線からしなの鉄道北しなの線に転換されている。
しなの鉄道誕生後、この長野色のまましな鉄のロゴを追加しただけの姿で走っていた編成が複数あったが、いまはこの編成のみが長野色を纏っている。
ただししな鉄のロゴはなく、JR時代の復刻カラーという位置づけだ。
1・2枚目にはラスト189系・N102編成が少し見える。
(長野総合車両センター)
『ゆう』の右にはその長野色で新潟に移った115系ニイL99編成…のクハ115-1102。その後ろに湘南色のタカT1040編成3連が連結され4両編成になっている。
ニイL99編成はATS-Pを搭載していることから、新潟や高崎のATS-P非搭載の115系の大宮入場時に伴走車として活躍した。
115系のATS-P非搭載車が消滅したため、この編成もお役御免となった。残り3両は解体されてしまったようだ。
(長野総合車両センター)
205系ハエ84編成。川越・八高線系統には中央・総武緩行線の209系500番台・E231系0番台が続々転入し、205系はあっという間という感じに淘汰された。
(長野総合車両センター)
車両の入れ替えを行うスイッチャー。ある意味「死神」である。
115系(長野—北長野)
長野色がわりと短い時間で戻ってきた。
JRキハ110系(長野—北長野)
JR飯山線の列車は豊野からしなの鉄道北しなの線を走って長野へ乗り入れてくる。
日も落ちてきたし、廃車置場のアングルも限られているのでこれにてここから撤収。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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