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2018/12/23

18.12.23 隅田川橋梁(スマホ)

今回も短編。
出かけたついでで、隅田川沿いを蔵前橋から両国橋まで歩いてきたときのもの。iPhoneでの撮影。

もともとは隅田川(元の荒川)を境に西が武蔵国、東が下総国であり、その両方の国を結ぶ橋として設けられたのが両国橋。その橋から、現在の両国という地名がついた。

その両国橋の北に架かるのがJR総武線の隅田川橋梁。
1932(昭和7)年の架橋以来使われ続けている。


E231系500番台(浅草橋—両国)(i)

動画撮影データからのキャプチャ。山手線からの移籍で増え続けるA編成(E231系500番台)。


E231系500番台(浅草橋—両国)(i)

こちらも動画から。16:9撮影のものを当ブログ標準の4:3にトリミングしている。
中央のスパン(径間)はランガー桁という形式で、なんと国内でこの橋が初めての採用だったそうだ。


E231系(浅草橋—両国)(i)

こちらは静止画撮影。B編成(E231系0番台)の6ドア車を含めた画を求めたもの。
まだまだ姿が見られる。


E231系(浅草橋—両国)(i)

動画から。遊覧船は多数運航されていて、こうしていいタイミングで交差することも。


E231系(浅草橋—両国)(i)

下流側から6ドア車を含めた編成を静止画撮影。
A編成が出揃ってもB編成は一部が残るが、A編成に合わせた6M4T化(元は4M6T)により6ドア車は排除される。
2Mは八高線へ転じ4連となった編成から確保している。

総武線の車両の入れ替わりはスパンが短くなってきているが、この大きなスパンの隅田川橋梁は3月で88年目を迎える。すげぇな。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2018/11/25

18.11.25 続・家出

前記事から一ヶ月。
今回もネタはまったく同じ、行徳分室留置の03系。


増殖

先月行徳分室3番線に現れたのは03系30Fの両先頭車。
しかし毎朝の通勤の車窓からも明らかに両数が増えている様子が見て取れていた。
…が、来る時間がとれない日々が続き、この日ようやく出向いた。


03系・05系(深川検車区行徳分室)

まずは西側から攻めてみると、03系30Fのみが見える。05系27Fの向こうにほかの車両がいるかはここではわからない。
そして、きょうは前記事の2日間と違って2番線に車両がいない!
土休日は10時台から夕方までJR車が1番線で昼寝をするのが定番なのでそもそも03系は隠れてしまうが、それまでの時間、2番線にも車両がいないのであれば川寄り(東側)から03系を眺められるではないか。



03系(深川検車区行徳分室)

ジャジャーン。短い03系がわざわざ2線に分かれて停められている。
ロングズームで画像が粗いが、右の4番線に居るのは03系34Fの両先頭車のようだ。


03系・05系・15000系(深川検車区行徳分室)

川寄りに回る。03系はフェンスが高くなる前に来てほしかったな。



03系(深川検車区行徳分室)

一見4両編成にも見える停め方で並んでいる2本の先頭車ユニット。




03系(深川検車区行徳分室)

1・2番線に車両がいなければ、この程度であるが03系を眺めることができる。30F先頭車。



03系(深川検車区行徳分室)

30F先頭車を追って北館林から家出してきた34F先頭車。
2編成とも中間車6両ずつは解体済みであり、地方私鉄への譲渡改造・M車化前提でこの先頭車たちが取り置きされているのは間違いないようだ。
なぜ行徳分室に置かれているかというと、どうも日比谷線系の車庫に空きがないというのが理由の模様。
綾瀬とか新木場なんかも余裕ありそうだけど。


03系(深川検車区行徳分室)

ハイライトブルーの東西線車両の手前にシルバーの日比谷線車両。
2本4両でこの停まり方、日比谷線が領土を拡大しようとしているのか?


仮称・妙典橋

34Fに影を落としているのはこの仮称・妙典橋。
長年、ダラダラモタモタと工事が続いているが、ようやく来春に開通見込み。
車庫の真上の部分はけっこうな柵が付いているようだが、隙間から写真を撮るようなことはできるのか、楽しみだ。
なおこの橋の道を南西にただただ道なりに進んでいけば、最終的に舞浜のTDRに出る。


15000系・03系(深川検車区行徳分室)

妙典橋をくぐった先へ。
15000系と05系が日比谷線領土拡大のカベに。
順光で顔を撮れる南側も同じフェンスが続いており、こんなのしか撮れなくなってしまった。


東葉2000系・15000系・JR E231系800番台・05系(深川検車区行徳分室・2015.2.23)(再掲)

以前はこんな撮影会的な3者車両並びも撮ったっけ。



03系(深川検車区行徳分室)

再び妙典橋の上流側へ戻る。土手の上から。




03系(深川検車区行徳分室)

地平レベルではもう車両がすっぽりフェンスの中に。
手前が03系34F先頭車、奥が03系30F先頭車。


03系(深川検車区行徳分室)

03系の乗降口は1.4m。05系ノーマルドア車は1.3mであり、03系の方が10cm間口が広い。
ドア窓は同じ幅になっているのか、窓ではない部分が多い03系のほうが窓が小さめに見える。



03系(深川検車区行徳分室)

03134。東京メトロのハートMロゴフレームが外され、営団時代のSロゴの跡が露出している。
フレームはハートMロゴの取付の際に付いたもので、それまでSロゴはロゴの切り抜きプレートが直付けされていた。
ハートMロゴのフレームは東京メトロ移行前から先行取付されたが、移行まではシルバー地に紺のSロゴが描かれたステッカーが上から貼られていた。


03系(深川検車区行徳分室)

03834。ハートMフレームは外したのに、女性専用車ステッカーはそのまんまだ。


03系(深川検車区行徳分室)

03系30F先頭車。



03系(深川検車区行徳分室)

03130。



03系(深川検車区行徳分室)

03830。妙典橋の部分だけ上積みされている土手は上流へ向かうにつれ低くなるので、一番上流側(北側・本線に近い側)に居るこの車両はこんなにフェンスがかかった撮り方になってしまう。


03系(深川検車区行徳分室)

03系30F先頭車。


03系・15000系(深川検車区行徳分室)

カベをなす3編成の本線側を撮って終了。


05系(妙典—原木中山)

本線を走る車両も撮ろう。東葉車のA線列車。



東葉2000系(妙典—原木中山)

次に来たB線列車も東葉車だった。
気温が下がってきたので富士山絡みも撮りたかったが、きょうは霞んで見えなかった。
おとといはよく見えてたんだが。

これにて終了。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2018/10/27

18.10.27 家出

きのう(26日)の朝、通勤の車窓から見えたもの。
それは、深川検車区行徳分室にぽつんと居た2両の車両であった。
24日に『2nd-train』で「03系03-130F深川検車区へ陸送」との情報が出ていたので、すぐにそれとわかった。

土曜であるきょうの朝、さっそく確認に出かけた。


かくれんぼ

どうやら深川そのものではなく、この行徳分室…妙典の江戸川端の車両拠点まで陸送されたようだ。
川の側から見たい。ただし10時台からJR車がその川沿いの1番線に入るのが土休日の通常の流れで、その状態だと03系を眺められなくなる。
それを踏まえ朝出かけたが、2番線に23Fがパンタをたたんで寝ていた。


05系・03系(深川検車区行徳分室)

05系と03系が並ぶ、不思議な光景。03系は3番線に居る。
03系は北千住以北でメトロ8000系・08系と、中目黒で7000系・10000系と、かつての直通先で現在も鷺沼検車区への回送時に通る東急東横線田園調布以南では9000系と顔を合わせる。北千住—五反野間では千代田線の各車両とも近づいたし、今回また新たに他路線の車両と対面したことになる。


JR E231系800番台・15000系・05系(深川検車区行徳分室・2012.9.2)(再掲)

6年前の同じ位置の風景。1番線は昼寝中のミツK2。2番線は今回と同じくパンタをたたんでいる61F。
そして3番線は東西線では引退済みの06Fの中野寄り6両。西船橋寄り4両は建屋の奥のスペースに分けられていた。
このあと06Fは千代田線北綾瀬支線専用車として3連に整備され活躍中だ。


0系(深川検車区行徳分室)

河津桜の季節以来7ヶ月ぶりに行徳分室に近づいた。その7ヶ月前は、1番線の脇に鋼板が立ち並んでいた。
当時記事には「線路を増やすのかな?」というまぁないだろう的な話を書いたが、結局はコンクリートの基礎設置も含めたフェンスの置き換え工事だった。
車庫設置以来使っていたと思われる低めの金網から、高い柵に変わってしまった。


05系(深川検車区行徳分室)

柵と23Fが阻む中、見えたのは03系のアンテナ。
東西線系統では使っていないタイプなので、こんなアングルでも外様感がにじみ出ている。



03系(深川検車区行徳分室)

一部高くなっている土手からでも、こんな程度しか見えない。03系30Fであることは確認できた。


(深川検車区行徳分室)

保線車両。オーストリアのPlasser & Theurer(プラッサー&トイラー)社のもの。
つまるところ、先月しな鉄で見た2両(坂城軽井沢)と同じメーカー。
この行徳分室にいるのは初めて見た…と思う。少なくとも写真は初めて撮った。
行徳分室では車両の解体も行っており、この保線車両より奥の位置がその現場となる。


05系アルミリサイクルカー(深川検車区行徳分室)

車庫の反対側に回ろうと上流側へ向かって歩いていると、24Fが奥から出てきた。



05系アルミリサイクルカー(深川検車区行徳分室)

なぜか表示器が真っ赤になっている。2枚目の側面もシャッタースピードが合ってないだけで、実際は真っ赤。


05系アルミリサイクルカー(深川検車区行徳分室)

本線のB線外側につながる引き込み線へ進み、先頭が坂道停車となる位置からスイッチバック。



05系アルミリサイクルカー(深川検車区行徳分室)

当初居た番線から別の番線に移った。こんな表示の姿を見られるのも車庫ならでは。


15000系(深川検車区行徳分室)

反対側に来たが…撮影位置のフェンス他いろいろ制約が。



03系(深川検車区行徳分室)

この03系は東武佐野線沿線にある北館林解体所から中間車を残し「家出」してきた。
Tc車2両だけということで、地方鉄道に移るとしても電動車改造が必要となる。

同じ日比谷線を走った東武20000系列の一部は20400型(通称20400系)に整備され北関東地区の8000系の置き換えに活用されているが、この03系の行く末はナゾのままだ。01系が移った熊本電鉄に行くとの噂はある。
そもそもなぜ行徳に来たのかのかもナゾではある。かつて5000系90Fが引退後に訓練車として使われたこともあったが、この03系は自走できない。

18m車は地方の電鉄にとっては欲しい車両であるが、東急1000系が各地へ行き渡り、さらには養老鉄道が今さら東急7700系を譲り受けた。
7700系は初代7000系のなれの果てであるが、養老鉄道では3連のまま使えることから改造費用が安くて済む。

ほかに東京から18m級車を譲り受けて使っている会社と言えば、弘南、福島、上毛、北鉄、長電、上田、アルピコ、富士急、岳南、豊橋、伊賀、水間、ことでん、伊予鉄、一畑…といったところか。「又譲渡」では銚電、大井川、岳南(最近富士急から元京王5000系が移った)もある。
鋼製車ばかりのことでんでは軌間が異なるが車両更新に活用できそうな気もする。ただアルミカーは踏切事故があると修理が大変というのもあるな…。事実、インドネシア以外では熊本の01系ぐらいしか地方へ移ったアルミカーは思い浮かばない。

メトロでは今後丸ノ内線02系も続々引退するわけで、活用が注目される(…あ、丸ノ内線といえばアルゼンチンがあるね)。



03系(深川検車区行徳分室・2018.10.28)

翌28日追記。
また朝行ってみたが、2番線は23Fが停まったままでパンタを上げ「各停 津田沼」表示をしつつも動く気配なし。
このアングルではきのう59Fが居た6番線が空いて、架線柱が絡むが2両がすっぽり見えるようになったので改めて撮った。
川の側に回るのはやめて、とっとと帰ったのであった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)