115系のつづき。
JR東海
113系のイメージが強いJR東海だが、御殿場線・身延線・中央西線・飯田線では115系が活躍した。晩年は東海道線内のみの列車でも走ったようだ。
JR東海の115系は2007(平成19)年3月を以て運用が消滅した。
御殿場線115系(三島・1991)
御殿場線の運用に就いたN5編成。JR東海独自のインバータクーラー・C-AU711での冷改を受けており、車号は電動車が5000番台・制御車は6000番台に改番されている。非ユニット窓の0番台が種車。
東海地区への0番台の新製投入はなく、他地区からの転入組である。冷改を受けているが側面方向幕の設置はなし。ヘッドライトはシールドビームに改造されている(冷改と同時かは不明)。
御殿場線の115系は身延線と共通運用になっていたこともあり、東海道線で伊東へ向かっていた際、国府津で身延色(ワインレッドにライトグレー帯)の115系を見たときはびっくりしたな。
東海道線 なつかし写真・6
飯田線115系(豊橋・1991.7.21)
飯田線115系は、JR移行直前に静岡から豊橋に転入したものが最初。
写真の静岡のS3編成は手前2両のクモハ+モハユニットがユニット窓の1000番台。集中冷房準備で製造されたが、こちらもC-AU711で冷改され、集中用のランボードが残るおかしなことになっている。
奥のクハはサハを先頭車化改造した600番台で、ランボードも見えない。1000番台の側面方向幕は準備工事のままで、Hゴムで囲った中がすべて緑で塗りつぶされている(本来はHゴムの外側と同じくオレンジも入る)のが特徴。
この快速は豊橋—豊川間のみで通過運転をするものだったと記憶している。
91.7.21 豊橋駅
JR西日本
現在JRで現役の115系はJR西所属車のみとなっている。歴代の充当路線・区間は広範囲にわたり、113系との混用も多い。
四国の予讃線・土讃線にも定期列車で入線したが、2019(令和元)年3月で乗り入れは廃止されている。
昨年7月より岡山地区にも227系が「Urara」の愛称で投入開始され、多数残る115系の廃車が始まることになる。
山陽線115系(新山口・2006.10.19)(mb)
いま海外からにわかに注目を集めている山口市に一人旅で一泊した際、山口線へのりかえ途中に撮ったもの。
広島地区の115系はクリーム地に紺帯の瀬戸内色を纏っていた。正面表示幕・運行番号幕とも使用されず、後者には編成番号が表示されている。
セキC-37は300番台で揃った4連で、まっき色も纏ったあと廃車となっている。
山陽線115系(新山口・2006.10.19)(mb)
下関行のセキC-02。モハが2000番台、クハが3000番台の編成。
3000番台は117系に似た2ドア・転換クロスシートで広島地区用に新造され、瀬戸内色を採用。のち在来車にも瀬戸内色が広まった。
登場は普通列車の短編成化による増発「シティ電車」の始まりのタイミングであり、3000番台は4両編成6本のほか、6連→4連化で抜かれた111系ユニットを挟むためのクハが15組登場した。
C-02はモハの2002ユニットが継続していて、クハがコロコロ入れ替わった結果、1500番台のクハ15番ペアが付いたのが写真の時期。のちO-01編成となったあと、クハが先に廃車された。
3000番台クハは、相手を117系から編入した115系3500番台に替えて編成美がよくなった車両もある。
06.10.19-20 山口旅行(ガラケー)
山陽線115系(岡山・2019.7.15)
所変わって岡山地区の115系。JR西は効率化を求め2009(平成21)年より国鉄形を中心とした普通列車用鋼製車両の単色化を進め、山陽地区は黄色が選定された。
私が岡山地区の列車を撮ったのはこの「まっき色」化の後のみで、すべて香川旅行の復路である。
A編成は4連。このA-10は一見40N体質改善工事を受けまろやかな外観であるが、4連のうち写真の奥側にあたる下関方のクハだけ30Nで外観が揃っていない。
山陽線115系(岡山・2020.7.25)
D編成は3連。D-11はサッカーJ2の「ファジアーノ岡山」のラッピング編成で、30Nで揃っている。
岡山の115系は113系と違って正面表示幕がLED化されてきちんと行先を示している。残念ながらLEDが切れて写っているが、この列車は姫路行ロングラン列車。
山陽線115系(岡山・2019.7.15)
幸運にも出会えた湘南色編成のD-26。D-26・D-27の2本はまっき色にされずに敢えて湘南色を保っている。こちらもLEDが切れてしまっているが、実は上と同じスジの列車で姫路行。
D編成はおおかた30Nもしくは40Nが施された車両だが、湘南色の2本はどちらも受けていない300番台編成で、先頭のパノラミックウィンドウの桟も健在である。
赤穂線115系(岡山・2020.7.25)
赤穂線長船行のD-08。30Nの3連。
赤穂線は山陽本線相生—東岡山間を播州赤穂経由で結ぶ路線で、東岡山—岡山間で山陽線に乗り入れる。
播州赤穂で運行系統が分断されており、岡山の115系は播州赤穂までの入線。播州赤穂以東は京阪神のアーバンネットワークに取り込まれている。
赤穂線115系(岡山・2019.7.15)
D-30の神戸方先頭車はクモハ115-1663。4連を3連にするためにモハ115を切妻形先頭車に改造したもので、30Nも同時に施された。
廃車になった先頭車の運転台機器を流用しているが、顔をまるまる取り付ける選択ではなかったわけだ。
改造時は京阪神更新色であったが、まっき色化でハロウィン風だ。クモハ115-1600番台は4両のみの改造で、D-28〜31に編成されている。
伯備線115系(岡山・2019.7.15)
山陽線倉敷から中国山地を突っ切って山陰線の伯耆大山に至る伯備線の列車も、岡山まで乗り入れてくる。
伯備線の115系の列車は2〜7両編成でさまざま(5両はない)だが、この列車は最短の2連。
写真の切妻の車両はクモハ114-1098で、クモハ115とモハ114の1000番台ユニットのモハ114を先頭車改造したもの。まるで旧国クハ85のように助士側に方向幕を付けた、非貫通シンプルフェイスだ。
宇野みなと線115系(岡山・2019.7.15)
岡山と宇野を結びかつては宇高連絡船へのアクセスとして賑わった宇野線は、瀬戸大橋線開通でローカル線に転じた。
岡山—茶屋町間は「瀬戸大橋線」と「宇野みなと線」の路線愛称重複区間となっている。D-18も30Nで揃った編成だ。
岡山の車両は「クリアテール」となっており、テールライトは消灯時白目をむく。
宇野みなと線115系(岡山・2020.2.9)
D-26に会えた前年7月の次の訪問時に、また湘南色に遭遇。D-27で、これで2本しかない湘南色の両方に会えたわけだ。
このときは2月の夜で寒さも考慮。新幹線へののりかえまで長い余裕を設けなかったため、115系は2本しか撮れなかったうちの1本で、運が良かった。
撮影時記事 2018.7.17 2019.7.15 2020.2.9 2020.7.25
しなの鉄道
長野行新幹線開業により、信越線の横川—軽井沢間は廃止。軽井沢—篠ノ井間は第三セクターの「しなの鉄道」に転換。旅客車両は115系・169系がJR東日本から譲渡された。
その後新幹線が金沢に達し北陸新幹線となった際には、信越線の長野—妙高高原間もしなの鉄道北しなの線へ転換された。
169系引退時、北しなの線開業時に、それぞれJR東から115系が追加で譲渡された。2020(令和2)年からSR1系が初の新製車として投入され、115系は廃車が進んでいる。
ここでの写真はすべて、前記事の新潟から移動して訪れた2018(平成30)年9月のものである。
しなの鉄道115系(長野・2018.9.19)
しな鉄の115系は3連と2連がある。
この列車は2連のS22と3連のS10の5両編成の篠ノ井発豊野行で、篠ノ井—長野間はJR東の信越線として残っている区間を走る。
篠ノ井はしなの鉄道しなの鉄道線(ややこしいね)の終点であるが、この列車はしな鉄車両ながら自社線ではなくJRを進んで行く。
写真の通り、ホームがたくさんある長野駅で進行方向で一番右のホームに入るという変態経路をとるのも面白い。
しなの鉄道115系(千曲—屋代・2018.9.19)
しなの鉄道標準色は側面がほぼダークグレーというへんてこなもので、裾の白細ボーダーなど塗装工程が面倒くさそうな配色となっている。路線の背景からも、無駄な経費をかけないようにすべきと感じるが。
この編成はS23。2連口は169系引退時に代替として7本が入線したが、昨年3月までに全編成が廃車されている。SR1系が2連口であることが大きいのだろう。
しなの鉄道115系(長野・2018.9.19)
115系がゴロゴロしているだけでも魅力のしな鉄だったが、2017(平成29)年7月からの信州デスティネーションキャンペーンに合わせてリバイバルカラーが登場。
しな鉄で最初にリバイバルカラーとなったのがこのS7の初代長野色。
写真の列車は後述のコカ・コーラ色と組んで朝の快速「しなのサンライズ号」でやってきた折り返しで、3+3の6両編成。
現在「しなのサンライズ号」と夜の「しなのサンセット号」はデュアルシートのSR1系100番台がクロスシートのセットで担っている。
しなの鉄道115系(戸倉・2018.9.20)
戸倉駅は電留線があり、昼間はたくさんの編成が留置されているねぐら駅である。
旅の間に都合のいい運用に就かなかった湘南色のS3は、この戸倉での記録にとどまった。この日は予備で寝っぱなしだった。
カラーリングの復刻であるためJRロゴがなく、国鉄風の新鮮な姿。車内は湘南色化前からリニューアル済で、初代長野色のS7とともに記事アップ時点では現役だ。
しなの鉄道115系(千曲—屋代・2018.9.19)
S16はスカ色となった。JR東でも2014(平成26)年に長野のC1編成がスカ色化された(翌年11月で引退)が、正面タイフォン下の紺色の「角丸」が小さくてファンには不評だった。このS16はしっかり角丸が大きめで再現されている。
訪問当時は、地理的に近くて同じくリバイバルカラーが次々現れる新潟と合わせて訪れたくなるタイミング。自身も長い連休が取れたのでいい旅だった。
S16は車内も国鉄時代の青モケットの原型座席を保つ車両だったが、一昨年に廃車となっている。
しなの鉄道115系(長野—北長野・2018.9.18)
しな鉄開業時の115系はこの新長野色で転入し、しな鉄ロゴを貼った状態で走り始めた。
その後赤グレーに統一されたが、このS15はリバイバルカラーとして再度新長野色に戻ったもの。ただし転入時のしな鉄ロゴはなく、JRロゴもない。
新長野色はJR時代の登場であり、どちらのロゴもないのは新長野色の第3形態である。S15も車内は国鉄キープだったが、一昨年廃車となっている。
しなの鉄道115系(信濃国分寺—上田・2018.9.20)
S11はコカ・コーラ広告編成。JR黎明期に北長野運転所N12編成が実際に纏った格好で、これもリバイバルカラー。国鉄の感覚も色濃い当時、車体丸々広告にしたのは異例中の異例だった。
このリバイバルはクラウドファンディングで資金を集めたもので、コカ・コーラのロゴは写真時点で使用されているものに変わっているが、何より素晴らしいのは、このS11自体が当時のN12編成そのものであることだ。
コーラ色は2020(令和2)年の入場で終了ししな鉄色に戻ったが、S11は昨年7月よりアニメ『Turkey!』の広告車となり、今度はクリーム色の地肌にコーラロゴと同じくドア間腰部にロゴを貼ったスタイルとなっている。
現在しな鉄で現役の115系はすべて車内のリニューアル工事済であり、ボックスシートの背もたれの角が面取りされたようなものになっている。原型の背もたれの角が直角の車両はなくなった。
しなの鉄道115系「ろくもん」(戸倉・2018.9.20)
しな鉄の115系の異色車がS8を改造して2014(平成26)年に登場した「ろくもん」編成。タイポグラフィ全開の、水戸岡鋭治の手によることが一目で判る観光列車。
車内も水戸岡氏王道の木材を多用した内装で、1号車は食事なしプラン向け座席と木のプールなどキッズスペース、2・3号車は食事付きプラン向けの各種座席やキッチン等が設けられている。中央ドアの閉鎖など、外回りでも塗色以外の変化が見られる。
この日は運行日ではなく、ねぐらの戸倉にいる姿。職員のものか、乗用車が真脇に並んで駐車されていていて、こんな結果に。
「ろくもん」も現役で稼働中。しな鉄の115系で最後まで残るのはこの編成かもしれない。
そして、しな鉄と山陽地区はどっちが最後の現役115系になるだろうか?
しな鉄撮影記事は、こちら以降の複数記事で。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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