2011/03/24

11.3.23 ささやかな減便

もともと休みのこの日、神保町のミズノ本店へ行くためメトロ東西線を使った。
現時点では通勤で使っていないため、地元・原木中山駅の改札内は久々の訪問。震災後は初めてだ。


気持ち少なめ

首都圏の各鉄道は電力不足による計画停電策発表翌日の3月14日(月)の超大幅減便に始まり、徐々に本数と運転区間の拡大が進んだ。
首都東京を支える交通網である東京メトロの大動脈である東西線も「一部列車の運休」という程度になっている。
日中は通常、各駅停車2本のあと快速1本というパターンになっているが、このうち一部の各停は九段下—西船橋に区間を縮めている。


05系(原木中山)

B線西船橋方端っこに立つと、まずは快速が通過。試運転列車のような番号の99S。
2番線のLED到着予告表示は三鷹・中野の順に表示されていたので、九段下行はしばらく来ないようだ。



07系(原木中山)

三鷹行は07系71F。機器の関係でJRへの乗り入れができない時期もあったようだが、現在は解消されている。



07系(原木中山)

A線は西船橋行のワイドドア車・16F。07系とともにドアに関しては変則スタイルの車両。



東葉2000系(原木中山)

原木中山は14時36分発の1458T。真っ昼間には珍しい、T車の各停運用。


05系(原木中山)

日中の原木中山は上下列車がほぼ同時刻発着となっている。2000系と行き違ったのは05F。


05系(原木中山)

回送列車の04F。05系初期車13本は15000系導入による置き換えが見込まれているが、まだまだ姿が見られる。すでにインドネシアで赤黄帯になって走っている編成もある。同じ地域の京葉線の205系京葉顔もまた似た立場で、いまや2本しか稼働していない。


07系(原木中山)

07系は有楽町線用として6本が製造されたが、副都心線に続いて同線に導入されたホームドアにフィットしないためすべて東西線に転用された。この編成はそのラストナンバーの76F。

小雨のぱらつく天候のせいもあって暗くなってきた。そもそも買い物の用事で出ているので、次に来た16Fの三鷹行最後尾・1号車に乗車した。
次の妙典はLED予告が1号車からも読める位置にあり、次の列車が九段下行であることがわかった。原木中山ではLED予告が中野寄りにしかなく、西船橋方端っこからはよく読み取れなかったのだ。

ということで、一旦降りて、次の九段下行でそのまま終点まで移動することに決定。


05系(妙典)

ひと駅乗った16Fは原木中山でもここでも撮影失敗。西船橋行31Fをついでで撮影。




05系(妙典)

幕式の05Fが九段下表示で接近。ここでは長ダマがほしい。私のコンデジでは粗くなるばかり。



05系(妙典)

九段下行は葛西で快速通過待ちを行う列車が選ばれていた。この感じだと、西船橋基準で各停・各停・快速・各停・各停・快速と6本続く列車のうち5本目の各停を中野行から九段下行に変えているようだ。「気持ち少なめ」程度の減便。


05系(九段下)

節電のため空調を停止した車内だったが、そこは東西線、適度な乗車人数による熱で寒さを感じることはなかった。
幕回しを期待したものの、列車は九段下表示のまま引っ込んでいった。

半蔵門線で短い1駅間を移動し、ミズノでいろいろ買い物。バッグを買ったので大きい袋の荷物になった。
スタバで一服したあと外に出ると雨が少し多くなっていた。他に寄る用事もないので帰ることに。淡路町まで出て丸ノ内線→大手町→東西線のルートで帰る。

原木中山にもうすぐ着くところでケイタイが鳴り、話しながら列車を降りた。そして改札を出たときに、肩の軽さに気づいたのだった。
買い物は見事荷棚に載って西船橋へ行ってしまっていた。すぐに駅員さんに話す。乗った列車は幸い西船橋止まりで、乗務員さんがすぐ回収してくださっていた。

そのままホームの事務室で保管しているので取りに行って、とのこと。改札を出ているため、駅員さんが西船橋までの定期を持っているか念のため聞いてきたが、もちろん持っていない旨話す。「今回は特別に」と笑いながら語気を強めて、再入場と1駅間の往復の許可を出していただいた。

西船橋へ移動し、階段下の事務室で書類にサインをして忘れ物を受け取りホームへ出ると、6番線の列車はJR車の九段下行じゃないか。


JR E231系800番台(西船橋)

幸か不幸か、東西線は「非常時の途中駅折り返し」が多いため、JR車の九段下行は幾度となくあったとは思うが、こうして撮るのは初めて。しかし節電策が続くあいだはいつも見られるわけだ。…幸か不幸か。

原木中山で先ほどの駅員さんにあいさつしてフリー出場。上の記録ができたわけで、忘れ物をしたのも、幸か?不幸か?

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2011/03/20

11.3.17 分割編成を待つ

海浜幕張駅に戻り、帰路へ。


E233系分割編成登場

図らずして、往路と同じケヨ52+K2編成が登場。ただし快速のため乗車は見送り。



201系(海浜幕張)

日を浴びたスカイブルー塗装はナマの目で見るともっとキレイな発色をしている。何度か同じ表現で書いたかな…。
この列車が出発すると、下り1番線にはケヨ54+ケヨK4が快速でやって来た。複々線の外側線同士で201系がすれ違った。こっちの運行番号表示は「19」。

次に来たE233系の各停に乗車。


京葉車両センター(新習志野—海浜幕張の車内より)

往路では一番手前にあった京葉顔205系を撮ろうと思ってドア窓で待ちかまえていたが、さらに手前に武蔵野線205系が来ていた。この写真だとケーブルが絶妙な位置にかかっていて、まるで量産先行車が武蔵野線用に転用されたかのように見える。
京葉顔の編成はケヨ4。中間車6両が長野送りとなって4連に組成されており、当然営業運転からは撤退している。また奥のE331系ケヨAK1も1月下旬以降営業から離れたままになっている。
写真の201系はケヨ53+K3で、ケヨ51(京葉線幕)+K1は奥の離脱フラグ的線路に停まっていた。


二俣新町に到着。日が当たる蘇我方カーブでしばらく撮る。
往路は南船橋で、復路は新習志野で、2回もE233系分割編成と行き違った。蘇我から戻って来るであろうそれを待つのだ。地震の前後だか、つい最近営業運転に就いたばかりだ。


E233系(二俣新町)

単線に対する2本脚の架線柱に作業用の足場のパイプが加わり、なお仰々しいカーブになった。




E233系(二俣新町)

来るのはE233系ばかり。この日は209系500番台ケヨ34も走っていたが、カメラを構えているタイミングでは現れなかった。




201系(二俣新町)

海浜幕張でケヨ52+K2とのすれ違いを見せたケヨ54+K4が来た。こちらも59を表示していて成勝には関係ない運用。


E233系(二俣新町)

順番的にそろそろ分割編成か? と思ったら、ケヨ506。貫通編成だ。日が傾いて当たらなくなってきた。



E233系(二俣新町)

そしてようやく現れたのがケヨ551+F51。201系同様に東京方から6+4で、中間に白フレームの先頭車が入っているのが見える。運行番号は1582Aを出していて、この日成勝運用に入る見込みだ。

これにて撮影は切り上げた。


停電肩すかし

帰宅途上にあるコーナン湾岸市川モールに寄って買い物をしようとしたら、「停電があるかもしれないので18時まで休止」とのことで閉門中。買い物に来た車が次々にUターンしていた。

帰宅後、夜に大規模停電(計画でなく、需要オーバーによる突然の停電)が起きる可能性が出たとテレビで報じていた。国は平常運行を始めた路線を抱える東京の鉄道会社に減便を要請。各社それに応じたようで、京葉線も手がつけられた。ケヨ551+F51がこのあと成勝に入ったのかは私は確認していない。

そして夜。結局鉄道会社の努力もあって大規模停電は避けられた。
ちなみに、第5グループに入っている我が家は一度も計画停電に遭っておらず、この日もナシ。コーナンも停まらなかったはずだ。同じ第5の別の丁目は停電があったようだが、いろんな関係で我が家の近所一帯は停電にならないとの噂も町内で出ている。LEDのランタンや懐中電灯も買って用意したんだけど、いつも肩すかしばかりだ。
これは当然有難いことではあるんだが、一体なぜなんだろうか?

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

11.3.17 いつもの風景と変わり果てた風景

3月11日の震災後、東日本は非常事態が続く。
東京電力管内は発電所の停止による供給不足のため、関東を中心に計画停電(結局「輪番停電」という当初の言葉はあまり使われず)が行われることになった。東京23区は13区のうちの一部地域を除き、首都機能維持のために対象から外された。

その初日となった3月14日(月)は結局どこも実施はないまま。翌15日から実施されたが、同じグループでも停電した地域とそうでない地域があったりして、停電を見込んで一旦店を閉めたのに肩すかし…という小売店の嘆きなども出た。
停電が多くの地域に及ばなかったのは、鉄道会社が運行本数を極端に抑えて電力供給ができたため。電車が走るために使う電力の多さがよくわかった。
特に3月14日はほとんどの路線が止まった、と言ってもいいような状態。私の地元では京葉・武蔵野線どころか総武線すら止まっていたため、動いていたメトロ東西線は大混乱になったようだ。

その後日が進むにつれ動く路線・時間帯が拡がった。京葉線に関しては千葉市方面の計画停電を見込んで16日の日中などは東京—南船橋間の折り返しという通常見られない形態がとられた。


吉川美南幕ふたたび

職場が入っている巨大ビルが地震後の点検でふさがっているため、私はしばらく連休となってしまった。16日の昼間は髪を切りに行っていたので、この17日、南船橋の表示を出して走る京葉線車両を記録しようと地元・二俣新町駅へ向かった。
すると、湾岸道路・東関道をくぐる地下道が節電のためふさがっていた。照明がもったいないということだ。朝夕を除いて通行量は少ないので致し方ないところだが、二俣交差点までの遠回りを強いられた瞬間はため息が出た。

ようやく駅に近づくと、E233系の下り列車が二俣新町を通過して行った。…ん? 快速か? 駅に入ると、下りの行先は蘇我となっていて、この日から特急を除き通常ダイヤに戻ったことを知った。本来あるべき姿に戻ったのだから、喜ぶべきであろう。



E233系(二俣新町)

二俣新町駅上り蘇我方のカーブは工事用の足場が設置されている。これは風に強い路線にするための防風柵の工事用だろう。
設置されるのは潮見—葛西臨海公園と二俣新町—南船橋の両区間で、ともに橋りょう部の上り線側はすでに設置されているが、前者は上下線全体に、後者は上り線側の全体に防風柵が付く。



205系(二俣新町)

一旦南船橋へ移動する。やって来たのは京葉顔ケヨ10。20周年HMを外して素顔に戻った。

南船橋着。武蔵野線は未だ通常運転には戻っておらず、三方とも西船橋での折り返しになっている。二俣支線は2本の編成がピストン運行中。列車が南船橋幕で入線してきたので、恒例(?)の幕回し撮影。






武蔵野線205系(南船橋)

吉川美南やむさしものコマが追加されても、南越谷だけ漢字が長体(字の横幅が狭くなる処理)になっているのは以前と同じ。その理由は謎だ。そんな南越幕だけ上の線が見えちゃったのは勝負弱いな…。



E233系(南船橋)

それこそ、京葉線の201系や205系なら幕回し中に「南船橋」のコマを見られるかもしれないが、デジタル表示のこういう車両は実際にそういう運用に就かないと見られない。きのう髪切りを空いてる昼間に予約したのが失敗だった。


武蔵野線205系(南船橋)

ケヨM23が出発。きのうならここの中側の線路に京葉線用車両が出入りしていたわけか。



E233系(南船橋)

南船橋行の姿は見られなかったが、通常運行のありがたさは身にしみた。



武蔵野線205系(南船橋)

ケヨM12はとっとと幕を回して入線してきた。この1駅間のピストン運転の最中、どこで幕を回しているんだろうか?




201系(南船橋)

地震前にオプション品の取り寄せを頼んでいた海浜幕張のドコモショップに行けることに気づき、201系が来たところに乗り込んだ。


201系(新習志野)

時間調整で少々停車とのことで、ここでも一枚。車内に戻って海浜幕張に移動。


臨海新都市の弱点

ドコモショップは駅前のビル1階にある。目の前のロータリーは地震当日、液状化で吹き出した泥が拡がっていた。それが乾き、折からの強風で砂嵐のように舞い上がっている。
店で用事を済ませてから駅の周りを歩いてみた。







タイル舗装の歩道はどこも段差が現れている状態。ロータリー脇のベンチも高さがズレてしまった。





駅の階段両脇にある飲食店「きおい食堂」と「大王SL」は目の前の地盤が液状化で沈んだために建物が前傾し、営業できない状態。
店舗の位置と電話ボックス・ポストの位置との間が沈んだため、それぞれ向かい合って傾いているのがわかる。まるで大陸のプレートを模しているようだ。



京葉線開業後に開発が進んだこの地区、昭和後期の埋め立て地で地盤が緩い。同じ埋め立て地である新浦安・舞浜では液状化の上停電・断水などライフラインも断たれ、この海浜幕張よりひどい被害に遭っているようだ。東京至近のベッドタウンの欠点が露呈された。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)