2024/02/10

カラフルトレインズ・3/JR/秩鉄101系・JR201系

順番がおかしくなったが、101系も秩父鉄道の分も考えたら正に色々撮っていた。


JR・秩鉄101系

101系は国鉄最初の新性能電車の系列。登場時は「モハ90系」と旧国の続きのような番号が充てられたが、その後新性能電車は3ケタ系列に改められた。
まずはオレンジバーミリオンで中央線に投入された。全電動車編成で真の力を発揮する車両だったが、変電所容量が追いつかず頓挫。
結局クハやサハが用意され、概念を見直した後継系列の103系が巨大勢力となった。


中央・総武緩行線101系(船橋・1988)(d)

JR移行後もわが地元の総武線を走っていた101系。
写真のHMはJR東日本1周年を示すものだ。黄色の各駅停車とスカ色の快速が並ぶ、昭和の風景。なお翌年1月8日から平成になる。
総武線101系は1963(昭和38)年に投入が始まり、翌年からは山手線をウグイスの103系に追われた車両も転入し旧国を一掃。黄色が総武線のラインカラーとなった。平成になって、E231系500番台が山手線から総武線に回るという同じ流れが起きた。
総武線の101系は非冷房車オンリーで、この年の11月に定期運用から退いている。5+5の10両編成もあったなぁ。
私が生まれる前は、千葉駅を越えて房総各線へ入る運用もあった。
総武線 なつかし写真・1


南武線101系(尻手・1990.9.21)

南武線や横浜線は近郊路線で、車両は都心の路線のお下がりが回ってくる立場。遅くまで旧国72系が走っていた。
南武線101系は快速用に中央線のオレンジの車両が貸し出されたのが最初で、その後総武線系からカナリアが正式配置で転入し、そのままラインカラーとなった。
私が撮った頃は冷改車で統一。こちらでも3+3の6両編成をよく見た。写真の翌年でカナリアは引退した。
南武線 なつかし写真


鶴見線101系(鶴見・1990)

南武線同様、カナリアの101系が走ったのが鶴見線。3連で走った。当時は隣に居るクモハ12が興味のメインで、101系は脇役の感覚だったな。
写真の頃は中原電車区所属で、前述の南武線3+3編成も鶴見線に絡んでいるんだろう。
当ブログ右上の101系の写真は弁天橋電車区公開時で、中1の私が初めて撮り鉄をした日のものである。
なつかし鶴見線1・弁天橋公開とクモハ12


南武支線101系(浜川崎・1990)

南武線の尻手と浜川崎を結ぶ通称「南武支線」はニーズと距離の短さから2両での運転。
旧国の置き替えに使われたのはカナリアの101系2連。101系はクモハ101とクモハ100(パンタ付)でユニットを組めるので、最短で2連運転ができる。
その後ワンマン運転対応改造時に写真の塗色となり、後れてAU712での簡易冷改も施された。
定期運用は2003(平成15)年まで続き、JR所属の101系で唯一21世紀まで残った。


秩父鉄道1000系(三峰口・2008.6.15)(mb)

101系は秩父鉄道への譲渡もあった。国鉄最初の新性能電車は、国鉄新性能電車最初の私鉄譲渡車にもなったのだ。3連12本という大量の譲渡であり、系列は1000系となった。
写真は当ブログ開設前年にふらっと秩父鉄道へ行った際の、ガラケー撮影での写真。右上のアルバムには入っているが、記事には載せていなかったかもしれない。
移籍当初は従来車に準じた黄色地に茶帯だったが、のちこのガチャガチャした帯の姿に変更された。白地は汚れや車体の綻びが目立つのだが。横の西武4000系もまた白地。


秩父鉄道1000系(熊谷・2008.6.15)(mb)

せっかくの101系。秩父鉄道は県内のさいたま市に鉄道博物館ができたことを記念し、国鉄時代の塗装を復刻させた。屋根周りが国鉄らしさを削いでいるが、やっぱり101系はベタ塗りが似合う。
このオレンジをまとった第11編成は2010(平成22)年に引退し、第3編成が2代目オレンジとなった。


秩父鉄道1000系(三峰口・2008.6.15)(mb)

非冷房のままデビューした1000系も、のち冷改を受けた。冷改は3連の両先頭車のみ。電気容量増加に対応してダブルパンタに増強された。


秩父鉄道1000系(三峰口・2008.6.15)(mb)

101系のウグイスは関西線のみであり、関西線の黄帯入りが再現された。
関西線では103系の短編成化用に101系のクハを103系に編入したクハ103-2000番台が4両あった。黄帯廃止時にも在籍しており、101系ではなくなっていたが、この顔の黄帯なしウグイスは存在した。ただし黄帯廃止後短期間で引退している。
アルバム 秩父鉄道


秩父鉄道1000系(西羽生—新郷・2009.8.7)

スカイブルーの101系は京浜東北線で8年間ほど活躍。運用数に余裕が出た他線から転入し103系に混じって5編成が使用されたが、ATCを用いることが決まり撤退した。
阪和線にもスカイブルーのクハ103-2050番台が2両、101系からの改造で在籍した。2051はブレーキ故障で天王寺駅の車止めに衝突して廃車。2052は阪和線のATS-P化の際に取付を見送られて京阪神緩行に移り、短い活躍ののち引退したそうだ。
レアな青い101系顔は保安装置更新により退けられた顔色と言える。
1000系はこの写真のみ当ブログ開設翌月のもの。2008年訪問時はオレンジの写真の通り熊谷の奥の留置線に居て、顔は撮れなかった。
撮影時記事


JR201系

201系は国鉄初のチョッパ制御車として登場。当時は省エネルギーが叫ばれた時代で「省エネ電車」と宣伝した。額縁ブラックフェイスは国鉄通勤形を抜け出したスタイルだ。
201系に採用された電機子チョッパは高額であり、国鉄の厳しい財政状況からは歓迎されない面もあった。
諸般の条件から製作が急がれた203系がアルミ車体の電機子チョッパ車として続いたものの、経済性の高い界磁添加励磁制御の205系・211系登場以降、国鉄・JRにおいてチョッパ制御車は一切造られなかった。


中央快速線201系(日野・1991.10.27)

新性能車の先陣を切った101系が最初に投入された中央快速線。201系はその101系の置き換えのため、やはり同線が最初の投入線区となった。
特別快速の正面サボは当初は101・103系と同じ金具&マグネット付のものだったが、一旦取付が廃止されたのち、JR化後に写真の無骨な差し込みフレームが用意され復活した。
中央線201系 なつかし写真


中央快速線201系(御茶ノ水—水道橋・2010.2.7)

前時代的な特快サボをやめ、電動幕化された姿。通常の快速での運転時は幕がオレンジのベタ塗りのコマになりつつ、装置の明かりは点いたままだった。なんだかムダ遣いな感覚だったな。ハートマークは201系30周年記念のもの。
撮影時記事


青梅線201系(西立川・1993.11.6)

中央線から青梅線へ直通する青梅特快。前の写真と違い、サボは電動幕に変わったが、運行番号は幕のままだ。
中央線の201系はほかに五日市線・八高線へも直通運転を行った。103系故障の代走で川越までの営業運転実績もある。
青梅線では展望車へ改造した「四季彩」も運行されたが、撮るどころか実見していない。ちなみに上記の川越代走発生時、四季彩も八高線で一般列車を代走したそうだ。
青梅線 なつかし写真


武蔵野線201系(南船橋・1990.7.1)

武蔵野線の201系。豊田電車区の青梅・五日市線6連と武蔵野線6連が共通運用だった時期があり、201系も少数ながら武蔵野線を走っていた。
写真当日は2本の201系を撮ったが、このトタ37の写真は武蔵野線内でいう西船橋方のクハで、特快サボ受けがない。府中本町方はあったのかもしれないが、撮れていない。もう1本のほうのトタ33は両側ともサボ受け付だった。
1996(平成8)年10月に、武蔵野線のオール8連化に備えて同線から撤退した。
武蔵野線 なつかし写真・2


大阪環状線103系(今宮・2016.9.21)

大阪環状線・JRゆめ咲線の201系は京阪神緩行から移ってきた分で、全車体質改善工事を受けている。
後述するが、京阪神緩行では7連だったがお古で受け取る先は8連という若干ヘンな形で、編成の都合上すべてを環状線に振ることができず、環状線の103系はたくさん残った。
201系に置き替えられた分の103系は奈良や日根野に移ったそうで、そちらではより古い(もしくは検査のタイミングが近い)103系を排除する役になったのであろう。
撮影時記事


JRゆめ咲線103系(安治川口・2016.9.21)

高架のユニバーサルシティ駅から下ってきた201系。西九条行のJRゆめ咲線内運用だ。
201系は103系と共にUSJ関連をはじめとしたド派手なラッピング編成も多く誕生した。
撮影時記事


中央・総武緩行線201系(西船橋・1989)

中央快速線に続いて登場したのはカナリアの中央・総武緩行線用。10両編成だが、投入時の所属区・中野電車区の検査線有効長の都合で、6+4の分割可能編成を組んでいる。
支線に勢威を拡大したオレンジの中央線用に比べ、こちら総武線用は武蔵小金井発着・国分寺発・立川発着が一部設定された程度で、地道に都心の通勤電車生活を送り、せっかくの分割可能編成が営業に活かされることはなかった。
E231系投入により、京葉線と青梅・五日市線へ転用された(東中野事故の生き残りのクハ201-3を除く)。


中央・総武緩行線201系900番台(西船橋・1988)

省エネ電車としてデビューした際の試作車・900番台は、1986(昭和61)年に快速線から緩行線に移りカナリアに衣替えした。
写真当時は丸々900番台で揃った10両編成で走っていたが、ATS-P導入時に取付スペースの捻出が難しいことが判り、量産車との混成に組み替え、900番台クハ4両はすべて中間に入る形に変わった。
900番台の見た目の特徴は、運行番号幕が白地黒文字、戸袋窓の天地が長い、乗務員室直後にも戸袋窓がある、パンタ撤去跡がある(新製時1両2パンタだった)、車内の床が青い…などなど。
900番台が混じった編成も京葉線へ移籍した。私はたまに総武線を利用すると乗車車両がこの900番台という確率が妙に高かった(外目で気づかなくとも、床の青さでハッとする)のだが、京葉線移籍後もそれが続いてほんとに奇妙だった。
総武線 なつかし写真・2


京阪神緩行201系(京都・1991.9.16)

関西で201系が新製投入されたのはこの京阪神緩行のみ。201系3色目となるスカイブルーは関西独自のものであった。7連32本が投入され、103系とともに各駅停車で走り続けた。
321系の投入により、32本の7連は最終的に大阪環状線へ8連16本・大和路線へ6連16本に振り分けられた形となった。7連の中央のサハを外して6連、別の7連に外したサハを挿入して8連を生んだわけだ。
写真は高2のときの家族旅行のついでで1枚だけ撮ったもの。手ブレがひどく、ガンガン補正をかけた画像だ。
東海道線 なつかし写真・6


京葉線201系(二俣新町・2010.11.3)

2000(平成12)年に総武線からの転入で関東の京葉線にもスカイブルーの201系が誕生した。
当時私は鉄道雑誌もあまり読まず、情報を常に仕入れている状態ではなかったため、京葉線に並行する湾岸道路(国道357号)を車で走っているときに青い201系が現れて驚いた。しかも正面の方向幕が 白 地 になっているじゃないか! どういうセンスなのかと思ったが、これはJRの担当者がメーカーへの発注時に「103系と同じで」と告げたら、配色まで同じものが納品された、という有名な話。
5年ほど後から、写真の本来あるべき配色のものに振り替えられ、側面のコマの上部には 京葉線 の表記が入った。


東金線201系(福俵・2010.8.3)

京葉線201系のトピックといえば、東金線・外房線への乗り入れ運用である。
成東・勝浦行として1つの列車で東京から下り、4連が成東、6連が勝浦へ進む。翌朝それぞれが戻ってきて、途中で1つの列車にまとまって東京へ上る。103系が担ってきた運用を中野電車区の検査線のせいで生まれた6+4の分割編成の活用で引き継いだのだ。
写真は前夜に京葉線からの成東行で東金線に入った4連のケヨK3が大網で夜を明かし、成東行の線内運用に就いた姿である。成東から折返しで通勤快速東京行となる。
撮影時記事


外房線201系(誉田—土気・2010.8.3)

こちらは同日、通勤快速で勝浦から外房線を上ってきた6連のケヨ53。この列車の3分後に成東からのケヨK3が同じ表示で追いかけてくる。
外房線と東金線の分岐駅である大網は両線が離れたホームを使っている。分割併合は大網の1つ東京寄りである島式1面2線の土気ではなく、さらにもう1つ東京寄りの2面3線の誉田で行われる。
なお2011(平成23)年の京葉線201系の引退は、イコールJR東からの201系撤退でもあった。
撮影時記事


大和路線201系(JR難波・2016.3.20)

前述の通り、大和路線には結果として大阪環状線との均等振り分けで京阪神緩行から6連の201系が転入し、201系で初のウグイスが登場した。
正面窓下には103系同様白の警戒帯が入っているが、真上にブラックフェイスがあるなら警戒帯はいらないようにも思える。写真当時、正面行先表示に英字は入っていなかった。
環状線系、おおさか東線に続き、大和路線も2023年度中に3ドア車統一で201系が撤退することが発表されており、すでに外れた車両は順次廃車が進んでいる。201系自体の消滅が近づいている。
撮影時記事


おおさか東線201系(高井田中央・2016.9.21)

2008(平成20)年に開業したおおさか東線では開業当初から走った。
大和路線と共通の車両であるが、2022(令和4)年3月のおおさか東線の3ドア化により、大和路線より先に撤退した。
ウグイスの201系は和歌山線や万葉まほろば線(桜井線)での運用もあったが、和歌山線運用はおおさか東線と同日に終了しているようだ。
撮影時記事

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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