2009/12/04

京葉線 なつかし写真・3

京葉線なつかしその3。

1990(平成2)年3月、京葉線は東京駅に達した。
東京駅京葉ホームは鍛冶橋通りの地下にある。現在でいえば東京国際フォーラムの北端の位置だ。もともと東京—成田空港間の成田新幹線の始発駅として用意されたスペースを活かしたもの。成田新幹線は営団(現・東京メトロ)東西線と並行する計画になっていて、昭和40年代に区画整理が始まった行徳地区は東西線の高架の下を通る道路の幅を広くとってある(歩道・自転車道含む)。
我が地元の原木中山を過ぎると東西線から離れ、千葉ニュータウンを経由して空港に至る。つまりは、現在の北総鉄道・千葉ニュータウン鉄道とその先で整備が進んでいる成田新高速鉄道のルートとなる。成田線との交点の土屋から現・成田空港駅までも新幹線用に建設された路盤を利用している。

それにしても、京葉ホームは東京駅とは言い難い位置で、むしろ有楽町駅のほうが近い気もする。メトロ千代田線の二重橋前駅のラチ外通路にも「京葉線東京駅」を指す掲示がある(今はどうかわからないが、営団時代に見た)し、鍛冶橋通りを少し歩くとメトロ銀座線京橋駅もある。
最近話題になったマングース(@健作)の話でよくいわれた「成田空港は都心から遠い」ということを考えると、東京駅での新幹線同士ののりかえにあの長い徒歩移動を強いることを考えていた計画には甚だ疑問だ。


205系(蘇我・1990.3)

東京開業により、京葉線も大きく変貌した。これまで転入車のみで構成されていたが、ついに新製投入車が登場。形式こそ他線で投入が続く205系だが、先頭デザインを一新して「遊び」(…っていうか東京ディズニーランド)を意識したものになった。
私が初めて目にしたのはデビュー前に新習志野の車庫の一番奥の本線寄りに留置されていた姿。その顔とラインカラーは青ではなく濃いピンクだったことに激しく驚いた。


「マリンちゃん」の開業記念ヘッドマーク(蘇我・1990.3)

新木場終点時代までは武蔵野線の葛西臨海公園通過が唯一の通過運転だったが、この改正から京葉快速・通勤快速と武蔵野快速が登場。休日の京葉快速は停車パターンが変わるため「マリンドリーム」というこれまた「遊び」(っていうかTDL)を意識した愛称になった。
通勤快速は東京—蘇我間を途中八丁堀のみ停車という大胆な列車。この通勤快速など朝の上り・夕方の下りは房総方面発着の列車が登場。停車駅の少ない通勤快速は開業前は「113系が走る」との話(噂?)もあったが、結局ロングシートの205・103系での運用となった。
現実、10連のない幕張の113系だと6+4連を組むことになりデッドスペースが増えてしまう。横総用は11連だから入れないし、グリーン車が2両も入っているのもよくない。


205系(新浦安・1990)


205系(市川塩浜・1990)


205系(市川塩浜・1990)

わが二俣新町のカーブでの写真はピントが合ってないものばかり。


205系(検見川浜—稲毛海岸の車内より・1990)


205系(新浦安・1990.3)

「各駅停車」表示を出した205系。現在はスカートがつき、方向幕の英字は小文字混じりに。各駅停車は正面の種別幕は非表示となっている。


205系(南船橋・1990.3)

南船橋に滑り込む205系。現在この場所はロケットが手前に立ってしまい、こうキレイには撮れなくなってしまった。
背後のららぽーとのタワーも注目。豊洲や新三郷にも登場したららぽーとだが、この船橋が最初。西側のタワーは船橋そごうの一部で、頂部はホテルオークラ経営の回転展望レストランだった。つい最近テレビで、今は美容室になっていることを知った。
そごう4階の模型売り場の鉄道模型はそれはそれは充実していた。懐かしい。


205系(新浦安・1990.7.1)

マリンドリームに倣ってこの日より土休日の武蔵野快速も「むさしのドリーム」と改称された



205系(南船橋・1990.7)

ふたたび南船橋。この日はこの位置で103系とともに定点撮影的に撮ったようだ。




205系(南船橋・1990.7)

東京開業記念の黄色いヘッドマークの目新しさが消えると、こんどはマリンちゃん押しのヘッドマークが登場した。「どうぞよろしく」って、もう三月経ってますよ。


205系(東京・1991)

東京駅での1コマ。10連列車はホームの余裕がないせいで撮りづらく、東京駅での京葉線車両の顔は全然写真が残っていない。
このピンク帯の「西船橋」表示は単なる故障でこの車両のみ表示されていたもの。奥に183系の房総特急が見える。


205系(市川塩浜・1993.10.24)

方向幕、種別幕、編成札、帯とみんな同じ色に見える。正面の方向幕にも種別併記にするのはいささか芸がないが、側面との連動にしたからなんだろう。種別側に「マリンドリーム」のコマを設けて方向幕は「東京」を2コマつければいいようにも思えるが。




165系快速「シャトルマイハマ」(西船橋・1990)

シャトルマイハマは東京開業とともにデビューしたディズニーランドアクセス列車。東京—西船橋間の運転で、停車駅は舞浜だけ。車内の写真はリンク先参照。
165系改造で垢抜けた感じになったが、いま写真をよく見るとタイフォンカバーだけ原形で残ってたり、デフロスターが付いていたりと歴戦の強者の風格を残している。


165系「シャトルマイハマ」回送(南船橋・1990.7)

シャトルマイハマはいろんな時間に走っていたが、時間帯によって混雑とガラガラの差が激しかったのを憶えている。この列車は新習志野で休むための回送。


183系特急「わかしお」(市川塩浜・1993.10.24)

1991(平成3)年3月、東京駅地下ホーム(横須賀・総武快速線用)から出ていた房総特急のうち、外房線行「わかしお」と内房線行「さざなみ」が京葉ホーム発着に変更となった。
これは「成田エクスプレス」の運行開始に伴う総武快速線の線路容量確保のための措置。国鉄特急色の183系は京葉線の新しい顔となったが、房総特急なのに千葉駅を通らないという少し残念なことになった。
意外なことに、京葉線での183系はこれくらいしか写真がなかった。現在は255系やE257系500番台に置き換わっている。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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