2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2022/06/30

22.6 小ネタ集(スマホ)

6月のスマホこまごまネタ。


ラストサムライ?

6月10日の仕事帰り。
本八幡での用事のため、いつもの東西線ではなく都営新宿線で地元・市川市へ向かった。
このとき東西線が妙典駅での信号不具合でダイヤ乱れになっていたが、たまたま別ルートを選んでいた。

大江戸線からのりかえの森下駅で、のりかえ口すぐの先頭ドアの列に並んだら、8両編成列車が来た。

先頭は結構な混みよう。森下は8連も私がいた本八幡方端まで先頭が来るが、他の駅では必ずしもそうではないわけで、10連しか停まらない位置にいた客は、8連の先頭に駆け込みがちである。混雑は東西線のこともあるのかも。

西大島から少しずつ人が減り始めていくと車内が見渡せてきた。
内装は水色系で、色褪せたそれはどうにもみすぼらしい。


10-300形(本八幡・2022.6.10)(i)

本八幡に到着。
都営新宿線では京王車には8連はなく、都営10-300形の一部が8連なのだが、調べたらもう8連は3本しかないようだ。残っているのは41F、42F、そしてこの44F。

以前も書いた通り、都営車ではJR E231系ベースの10-300形8連を新製のE233系ベースの10-300形10連で置き替えることを進めている。
44Fは2005(平成17)年12月の新製で、8連で残った中ではいちばん若い編成。つづく45〜48Fは翌年8連で登場し、その4年後に新製車を挿入して10連化された。
E233系ベースの49F以降は 10連での新製となっている。

新製のペースを見ると、年内には44Fを含めた8連口は消滅しそうな感じだ。

後日追記 44Fはこの1ヶ月後となる7月11日に、大島車両検修場から若葉台工場へ廃車回送された。41Fはすでに輪切りにされてドナドナされており、残りは42Fのみとなった模様。
後日再追記 42Fはこの2ヶ月後となる8月10日に運行を終了。翌8月11日から都営新宿線は全列車10連に統一された。


京王9000系(本八幡・2022.6.10)(i)

こちらはまだまだフツーに走る京王9000系。
側面の表示器では、京王に入ると優等列車に種別が変わるような交互表示がされていた。

用事を済ませ、総武線で西船橋へ出てマイラインの東西線にのりかえる。未だダイヤが乱れており、東葉への直通も中止中。


05系(西船橋・2022.6.10)(i)

東葉高速線へ入る列車は東西線からの直通で主に5番線から出るが、直通中止で8番線折り返しとなっていた。
以前は一部の東葉高速線列車が8番線始発で設定されていたが、2016(平成28)年3月のダイヤ改正で8番線からの東葉高速線定期列車は廃止されており、こういう時でないと見られない光景。


05系・05系ワイドドア車(西船橋・2022.6.10)(i)

こちらは6・7番線に並ぶ当駅始発の東西線で、いつもの光景。
前の写真の39Fやこちらの14Fは帯がカスカスだ。


もうすぐラストサムライ?

6月18日。ちょこちょこ出てくる、非鉄用事での小川駅詣で。


20000系(小川・2022.6.18)(i)

高田馬場から乗ったのは8連の20157F。先月4日と同じ便で、8両編成充当の拝島急行だ。
調べると、新宿線用の20000系は10連5本・8連4本。意外と少ないなぁと思ったら、池袋線用は10連3本・8連4本とさらに少ない。

20000系は10連・8連とも8本ずつの全容で、次の世代である30000系の10連6本(宿)・8連18本(池8・宿10)・2連6本(池)に比べ少数派である。

先月はとっとと出場したが、今回は国分寺線の到着を待つ。
単線の国分寺線は当駅で上下列車の交換が行われる。西武線アプリによれば、2000系が並ぶ感じだ。


2000系(小川・2022.6.18)(i)

東村山行は2033F。国分寺線は6両編成での運行。


2000系(小川・2022.6.18)(i)

そして、国分寺行は2031F。
最近は新2000系の廃車も始まっているが、2000系は新宿線用のみの6連3本・2連6本にまで減った。つまり写真は3本の6連のうちの2本。もう1本は3色表示LED表示器の2027Fのようだ。
4月には8連最後の2007Fが廃車になっている。昨年10月に高田馬場で露出オーバー気味で撮ったな。

新宿線用新2000系は8連8本・6連5本・4連21本・2連5本。
国分寺線では4+2で6両編成を組むケースも出ていて、2000系6連同士の並びは高確率ではないのかもしれない。
ちなみにアプリではこの時間の国分寺線運用の残り1本は新2000系の表示だった。

後日追記 2033Fはこの2ヶ月後となる8月23日に横瀬車両基地に廃車回送され、2000系6連口は残り2本となった。


小川の次は小川町

6月20日。再び仕事帰りの寄り道での都営新宿線。


10-300形(小川町・2022.6.20)(i)

10日の44Fと違い、森下から小川町まで乗車した10-300形50Fは水色デコラから脱却した暖色系の小綺麗な車内。
1本前の49Fより、JR東・常磐緩行線のE233系2000番台ベースとなっており、色こそ違うが顔の雰囲気はそっくり。
45〜48Fは44Fと同じ顔のE231系ベースながら10連のため生き残ることになっており、少数派となる。まるで500番台がほとんどとなった中央・総武緩行線のE231系の中の0番台編成みたいだ。
新宿・市ヶ谷・岩本町(秋葉原)・本八幡で両系統が接続しているのも面白い。


10-300形(小川町・2022.6.20)(i)

ふと振り返ると、美しい構造のシールドトンネル。
ちゃんとしたカメラなら列車も撮れるかな?


シン・ラストサムライ

7・8月真っ只中のような暑さのこの日だが、運動不足解消のため自宅からウォーキングに出た。
江戸川の妙典橋を渡っていくと、東西線の深川検車区行徳分室の留置線が見えてきた。



03系・05系(深川検車区行徳分室・2022.6.26)(i)

まだ03系がいた。もう全部いなくなったと思っていたが。
20m車の東西線10連が並ぶ中、18m車のTcが2両ちょこんと置かれている。



03系・05系(深川検車区行徳分室・2022.6.26)(i)

編成は35F。
昨年10月は34Fがこの位置にいて、写真奥に続く形で35Fが置かれていた。



03系・05系(深川検車区行徳分室・2022.6.26)(i)

この35Fがここでドナドナ待機をしていた03系たちのラストサムライである。
昨年7月3日に出て行った33Fなんかは他社譲渡にならず解体に回されたなんて話であるが、はてこの35Fはどうなるか?

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2022/06/04

22.6.4 雹・50・都電(スマホ)

当ブログ恒例の池袋での経過観察日。朝、地元駅へ向かう。


雹害

前日3日に雹(ひょう)が降った原木中山駅は、屋根に穴が開く被害が出てテレビのニュースでも扱われた。


2番線中野寄り階段の屋根(原木中山)(i)

穴が開いたのは、階段上空の明り取りの半透明屋根で、その他の通常タイプは問題なかった。半透明屋根は1・2番線に各2ヶ所ずつある。


1番線中野寄り階段(原木中山)(i)

2番線から眺める。穴から漏れた日差しが模様を作っている。



1番線中野寄り階段(原木中山)(i)

昼に帰って来たときに撮ったもの。屋根の傾きの向きのせいか、1番線のほうが穴が多い模様。
3日夜の仕事帰りで降りたときは、警備員が階段の一部を塞ぐように立っていて、特に雨漏りのひどい所を避けるように誘導していた。
屋根改修の際は壁もキレイにしてほしいもんだ。ちなみに看板類についた「まつ毛」はフン害防止のための鳥避け。


2番線エスカレーター(原木中山・2022.6.7)(i)

(後日談)エスカレーターは4日は動いていたが、後日降雨時に雨が当たり支障が出たようで、その後はビニールシートが被せられて運転を中止している。
両ホームともエレベーターがあるのでバリアフリーはキープしているが、1番線のエレベーターは孤立した自動改札機1台に面していて、有人改札には回れないレイアウトになっており、困る人も出るかも。まぁ、元からなのだが。


今回も02系

話を4日に戻す。前回の4月2日同様、ひと駅乗ったあと妙典で土休日1本だけの始発列車で座っていって、大手町から丸ノ内線。
そしてやっぱり、02系に当たったのだった。池袋で降りたところで記録。



02系(池袋)(i)

折返し中野富士見町行となった50F。
前回の63F(第13編成)は編成番号ステッカーが貼られていたが、車号下2ケタと編成番号が一緒のこちらはステッカーなし。
前回調べて残り2本と知った、VVVFインバータ制御で新製の編成の1つ。あと1本は53Fだ。
B修や赤帯のサインカーブ化は行われていないが、車内にはLCDが各ドア上に2つずつ後付けされていて、2000系の増備で引退が近い車両とは思えない。

現在02系6連21本、2000系33本。支線用02系80番台は3連4本となっている。
これからは02系に当たったら運がいい、となっていくであろう。


東京さくらトラム

池袋での通院を終え、天気がいいので都電を見ながら高田馬場まで歩くことにした。
明治通りから鬼子母神(きしじん。「鬼」の漢字はツノが無い字体を用いる)を回って参道を抜けると、都電の鬼子母神前(きしじんまえ)停留所がある。


7700形(鬼子母神前)(i)

最初に現れたのは青くなった7000形…と思いきや、7700形だそう。
当初は新車で7000形をすべて置き替える構想だったが、経費を抑えるため車両更新に切り替えた。
そもそも7000形も1954(昭和29)年以降製造の車体から1977(昭和52)年以降に新しい車体に載せ替えたもので、足回りは吊りかけ駆動のままだった。
2016(平成24)年以降、その「比較的新しい」車体を残し、今度は足回りを8900形と同じVVVFインバータ制御の新性能に更新したのだ。
吊りかけ車に新性能車レベルの車体を載せ、足回りが老朽化すると今度は新性能化…というのは、小田急初代4000形や国鉄103系3000番台などあちこちで見られるパターン。


7700形(鬼子母神前)(i)

7705は荒川車庫前行だが、相変わらずiPhoneでは切れちゃうな。
工事中のようで、仮設感の強いホームが向き合っている。工事前のホームは踏切を挟んで点対象配置だった。
これは道路の環状5号線のトンネル設置のためで、都電の軌道を十数メートル移設したんだそうだ。
トンネルは地上の都電と地下のメトロ副都心線のあいだの地下1階を通り、明治通り池袋駅前の渋滞ポイントを避ける1km弱のバイパスになる。
当然歴史の浅い副都心線はこの計画も踏まえて造られているだろう。



7700形(鬼子母神前)(i)

次に来た早稲田行も青い7700形。みんな青になったとも思っていたが、実際は「みどり」2両、「あお」3両、「えんじ』3両の総勢8両とのこと。
奥の線路が右にシフトしており、移設した距離がわかる。


7700形(鬼子母神前)(i)

この7703は側面ラッピング広告がなく美しい姿。

思えば都電を撮ったのは2013年11月以来8年半ぶり。8900形も7700形もいなかった。ちなみに、同じく出かけたついでのスマホ(Panasonic製)撮りだった。


(鬼子母神前)(i)

早稲田方では目白通りの千登世橋が跨いでいて、線路は丘から明治通りと並ぶ位置に下りていく。


(雑司が谷)(i)

工事で狭くなった千登世橋への道すがら、副都心線雑司谷駅の出入口があった。鬼子母神前停留場の真下にあり、のりかえ駅となっている。
元からある都電雑司谷停留場は鬼子母神前停留場の北隣でややこしい。副都心線開業で停留場名のアタマに「都電」が加えられた。
写真の場所はエレベーターのみで、裏手の建物の地下1階に2番出入口があるようだ。なかなか無理矢理なレイアウトだ。


(鬼子母神前—学習院下)(i)

千登世小橋から都電を見下ろす。
明治通りを跨ぐのが千登世橋で、すぐ隣で都電を跨ぐのは千登世小橋である。
千登世橋は1932(昭和7)年の竣工で、日本で初めての道路立体交差ではないかと言われているそうだ。


8800形(鬼子母神前—学習院下)(i)

8800形。4色あるうちのローズレッドの8805。
架線柱広告の『白十字』がこんな所でも付いている。


8500形(鬼子母神前—学習院下)(i)

8500形8501。
ここで撮るのはiPhoneでは難しいな。明治通りに下りよう。



7700形(鬼子母神前—学習院下)(i)

学習院下停留場を出てきた三ノ輪橋行7703。終点の早稲田が近いため、早くも2度目の遭遇。
2枚目は鬼子母神前へ向かって上り坂になっているのがわかる。


8500形(鬼子母神前—学習院下)(i)

早稲田行8505。
8500形は7000・7500形の黄緑を引き継ぐ唯一の形式。
前扉は両開きの中扉に合わせた窓デザインだが、片開きである。




8900形(学習院下)(i)

早稲田行8905。
8900形は8800形の次の形式で、新製車としては最新型。8800形より角張って、7000形寄りに回帰したイメージ。
やはり4色あるうちのローズレッドで、これまた5番。7700、8500、8800、8900と5番によく当たるな。


8800形(学習院下)(i)

学習院下停留場にさしかかる8805を迎える。
思えばこの色の顔は大江戸線の12-600形3次車に似ているな。



8500形(学習院下—面影橋)(i)

明治通りと新目白通りの高戸橋交差点。
都電はここで急カーブを描き、明治通り沿いから新目白通りの中央分離帯に移る。




8900形(学習院下—面影橋)(i)

交差点名になっている高戸橋は神田川を渡っている。
都電も並んでプレートガーダーで渡るため、高戸橋の歩道で早稲田行を待ち構える。
現れたのはブルーの8903。橋の上では日が当たらなかった。


(学習院下—面影橋)(i)

目白通りに入った線路は面影橋、早稲田と2つ進んで終端となる。
都電荒川線は2017(平成29)年4月に愛称「東京さくらトラム」が制定されたが、簡潔な「都電」に勝る愛称ではなく、まったく定着していない。

ここで都電とお別れし、高田馬場で昼食を摂ってから東西線で帰った。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)