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2010/10/07

埼京線・川越線 なつかし写真

今回は今のカメラで未だ撮っていない埼京線のなつかし写真を。


通勤新線

埼京線は京葉線より半年早い1985(昭和60)年に赤羽—大宮間を新設して誕生した運行系統。池袋—赤羽間の赤羽線は埼京線の一部となり、同時に川越線全線も電化、池袋—川越間が一体の路線となった。
新設区間(以下記事内では同様に表現)は半年先に上野—大宮間が開通した東北新幹線と一体の高架線で、新幹線の騒音被害の見返りとして地元民への足である通勤新線も併設されたという経緯だ。つまりは騒音に関してはよりうるさくなるわけだが、戸田市民などにとっては埼京線は大きな恩恵となった。
なお新設区間は東北線の別線で、池袋—赤羽間も赤羽線のままのため、「埼京線」という路線名は存在しない。


103系(大宮・1988)

地下の大宮駅埼京線・川越線ホームで出発を待つJR1周年記念HMの新宿行。
埼京線開業用に用意されたのは山手線や赤羽線で使われていた103系。赤羽線はカナリア色で、103系は8連→10連と変遷したのち、ウグイス色に塗り替えられた。


103系(大宮・1989)

池袋から山手貨物線を進んで新宿まで顔を出すようになったのは埼京線開業の半年後から。新宿—池袋間は山手線103系と同色同士の併走が見られた。のち恵比寿、大崎と南へ順次足を伸ばし、現在はりんかい線と相互乗り入れを行い新木場まで顔を出すようになった。
東武東上線〜メトロ有楽町・副都心線も川越〜池袋〜新木場・渋谷を結ぶ列車が走っていて、小江戸川越・副都心・湾岸の新木場が不思議な縁でつながっている。


103系3000番台(川越・1990)

埼京線開業前はキハ35系などが走る非電化路線だった川越線。埼京線との直結が決まって全線電化されたが、埼京線の列車が来るのは川越までで、川越—高麗川間は専用の103系3000番台3連5本が就役した。
103系3000番台は元をたどると仙石線の旧型72系のアコモ改良車。72系の足回りに103系並みの新製車体を載せたものだった。
仙石線が完全103系化されることからあぶれるこの車両の車体を活かし、今度は足回りを103系並みにして川越線電化用に整備された。
仙石線時代から半自動ドア使用のためドアに大きな取っ手が付いており(電動ボタンはなく手で開け閉め)、写真の通り開扉時にドアは戸袋に完全には収まらない。
仙石線では4連だったため、各編成の中間車1両はオレンジのサハ103-3000番台となって青梅・五日市線に回った。

103系編入後も非冷房だったが、のちAU712で冷改。高運転台で簡易冷房という珍しい形態になった。1996(平成8)年には八高南線との一体化に応じて、生き別れたサハ103-3000番台と再会して元通りに4連化され、2005(平成17)年まで活躍した。なお、電化間もない頃は大宮まで顔を出す運用にも就いていた。


205系(川越・1990)

205系は1989(平成元)年7月に投入が開始されるとあれよあれよのうちに103系を追い出してしまい、翌年12月には天下統一。現在まで続いている。



205系(浮間舟渡・1990)

新設区間は東北新幹線と完全併走。この区間の駅は京葉線同様15両編成対応ホームを設置できる空間が確保されている。



205系(浮間舟渡・1990)

バリエーションは見られなかった当時の205系だが、2枚目の編成は山手線から移ったもので、マグサイン式の運行番号表示器と、貼付の「埼京線」表記(新製投入車は表示幕)が目立つ。もちろんドアは窓が小さいものだ。
残念ながら新設区間での103系の写真は撮れていない。


山手線快速

埼京線は大崎—池袋間を山手貨物線を使って運行。線路は湘南新宿ラインと共用となっている。この間、五反田、目黒、原宿、代々木、新大久保、高田馬場、目白にはホームがなく、山手線の快速列車的存在。
ただし渋谷は用地の関係で山手線とホームが離れているため、気軽にのりかえられるわけではない。
東急東横線ホームが地下に移転した後、その跡地を使ってホームが山手線に近づくという話もある。(今回の記事は新宿まで運転の頃の写真のみ)



103系(池袋・1990)


205系(池袋・1990)

池袋で山手線と並ぶ。埼京線の快速・通勤快速は新設区間のみ通過駅の設定がある。


205系/EF65 1019(池袋・1990.5.6)

となりに現れたのはEF65 1019。ジョイフルトレイン「スーパーエクスプレスレインボー」の初代直流機。
じつは後ろにレインボーをつないでいて、この写真はレインボーを撮りに来たときのものだ(写真はこちら)。



103系(池袋・1990)


103系(池袋・1990.5.6)



205系(池袋・1990)


赤羽線

前述のとおり、池袋—赤羽間は赤羽線である。大元は山手線の一部だったが、山手線から切り離されてからはこの短い区間を8連もしくは10連の電車がピストン運行していた。
山手線のカナリア101系が居残ったことからカナリアがラインカラーになったが、103系では山手線からの転属車による混色編成も多かったようだ。
埼京線となって赤羽線用カナリア103系はウグイスに変身した。



103系(十条・1990)

赤羽線はほとんどが地平で、池袋の先でわかれる東武東上線に似た雰囲気の下町空間を走る。十条の商店街は物価が安いことで有名。




103系(十条・1990)

赤羽線は1984(昭和59)年にATC化され、クハはATC付高運転台車が出そろったが、中間車に関しては非ユニット窓・非冷房の古い車両ばかり、という「キセル」編成も多かった。
写真の編成はその残党が冷改されたもの。逆に201系登場後に増備された、黒Hゴムで登場の最新の中間車もあった。



103系(十条・1990)

沿道の建物も味がある。
川越から乗ると、単線(川越—日進)のローカル区間、大宮地下駅、新幹線と併走の大規模高架区間、踏切もある赤羽線の下町区間、山手線と併走の都心複々線、りんかい線の地下鉄区間、湾岸地区高架区間とさまざまな風景が展開される。




205系(十条・1990)

10連の103系も205系も、どこか似合わないこの赤羽線風景。
2001(平成13)年から205系には山手線から転用の6扉車が編成に1両導入され、のち2両挿入となった。りんかい線70-000形も加わり徐々に変わってきているが、この辺りの風景は何にも変わっていない。



205系(十条・1990)

205系の活躍は今も続くが、2015(平成27)年ごろからE233系の投入が始まるとの話もある。現在の205系は表示幕がLED化されて多少イメージが変わっている。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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