2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2020/05/31

長い春休み(スマホ)

新型コロナウィルスの蔓延により、世の中が変わってしまった。

発生元とされる武漢で春節を控えた時期に広まり始めたウィルス。タイミングが悪すぎた。
春節で人々が遠征することを止めればこんなことにはならなかったと思うが、初動対応の悪さのせいで結果として世界の経済が止まり、多くの人々の命を奪うことになった。

…月並みすぎる表現であるが、この記事はあくまで時が過ぎて読み返したときに状況を思い出せるように書いている。以下も続ける。

ウイルスに感染している人を簡単に見分けることはできない。そして感染していても発症しない人のほうが多い。
感染拡大を防ぐには「自覚のない感染者が他人と接しないようにする」のが一番。そこから、外出自粛要請、緊急事態宣言による休業や在宅勤務対応の要請が出た。ステイホームライフの始まりである。

現在の私は平日5日出勤のベタなサラリーマンである。
所属部署は取扱内容の特性上テレワークができない。3密回避のため、出社人数を減らし出社日シフトを組んでの業務継続となった。
ステイホームで体はなまるばかり。体重も増えた。

そんな中、当ブログの過去記事を読み返すのも日課になった。
誤認識や誤字脱字・画像のリンク切れを見つけるごとに修正を行ったが、『Blogger』の編集フォーマットが最近変わり、過去記事を開くといろんな設定がリセットされるなどストレスフルなこと。
記事中1ヶ所の誤字を直すため、それらを都度都度原状復帰させていく…ただし作業時間はいくらでもあるという…。長く続くと気が狂いそうだ。
こんな情勢になる前は時間に追われながら仕事をしていた。いくらでも時間が使える日があれば…なんて思ってたわけで、つくづくないものねだりだなぁと考える。


ガラガラ

過去記事閲覧では、9年前の東日本大震災による鉄道の運行本数削減というのがあったことを思い出した。
原発事故をはじめとした電力インフラの能力低下で、軌道が消失や損壊した路線以外は列車本数を間引きしたり、平日でも休日ダイヤで運行を行った。
最近では強力な台風の接近時に事前に運行を停止することも始まったが、長い日数にわたって鉄道の風景が変わることになったのは震災のとき以来ではないかと思う。
わがメトロ東西線はそのときは微減という感じだった。

今回のコロナ禍では結果として、旅行者利用が多い新幹線や特急列車等は減便が行われたが、都心の通勤路線についてはきっちり平日は平日ダイヤで運行された。
ラッシュ時の通勤路線はいわゆる3密(密閉・密集・密接)コンプリートであるが、外出減・減便なしで混雑率はかなり下がった。季節が幸いし、車両の窓を開けて換気能力を上げることもできたことで、3密すべてが緩和された。
ロックダウンとなったニューヨークでは地下鉄を減便した結果、たまに来る列車に客が集中するという、お口アングリな流れが展開されたようだ。

私が通勤で利用している東西線の妙典始発列車については、従前は各ドア位置横にある「次始発」待ちの列に並ぶことからスタートしていた。
先の始発列車が着いたら列が1本目待ちの位置に移動する。
しかし外出自粛要請が出て徐々に人が減っていき、2本目の列に人がいることはなくなった。


05系(妙典・2020.4.7)(i)

緊急事態宣言が行われた日の朝。ドアが開いた直後の車内。全然埋まらない。
コロナ前は、私の利用する時間帯は即満席が常だった。
ホームに残っている女性客は、いつもと同じ時刻の列車に乗りたいんだろう。職場に早く着いても時間をつぶす場所がない…そんな人もいるはずだ。


15000系(妙典・2020.4.16)(i)

9日後。同じく開扉直後。
ロングシート1本に1人いるかどうか、というところ。


05系(妙典・2020.4.21)(i)

さらに6日後はこんな状態。人同士の間隔はさらに拡がり、顔隠しの加工不要に。
それでも列車が進むにつれどんどん乗客は増えていくのはさすが国内トップクラスの混雑路線。
ただし前述の通り混雑率は従前に比べればラクなものだ。

緊急事態宣言解除があった5月25日の週は、少々人が増えた感じだ。


日比変化

コロナ禍にあって、このところ日々の変化が見えるのが日比谷線。
通勤で東西線からのりかえて茅場町から東銀座まで使っている。


(茅場町・2020.4.13)(i)

茅場町駅ホームの「軒下」には補強材が現れた。ホームドア設置の準備工事だ。
前記事でも触れているが、6月6日に日比谷線はダイヤ改正が予定され、同時に新駅「虎ノ門ヒルズ」が誕生する。
18m車は2月に03系・3月に東武20000系列が引退済みで、すでに日比谷線は20m車に統一されている。車両のドアの位置も単一となったため、虎ノ門ヒルズ駅は当初からホームドアを稼働しての開業となる。
当駅を含めた既存駅でも順次ホームドアの設置が進むこととなる。
ちなみに壁は近年改装したものであり、東西線ホームも最近同じデザインのものになった。写真のグレーのタイルが東西線ライトブルーに変わっている。
ただ、レール側にある東西線ホームのものは早くも汚れが気になり始めている…。


東武70090系(茅場町・2020.4.17)(i)

前記事につづき3度目の遭遇の70090系。
今回は仕事帰りの夜の便。空いていたのでしっかりシートを堪能した。編成も前回と違ってトップナンバーだ。


(茅場町・2020.5.25)(i)

5月25日、茅場町駅の乗車位置ステッカーが変わったのに気づいた。
他路線でも見られる従来のフォーマットのものだが、日比谷線はそれまで独自のものを用いていた。


(東銀座・2020.5.25)(i)

同日の帰りの東銀座駅で撮ったもの。こちらはその「独自」のものが残っている。
20m車4ドアと18m車3・5ドアでは当然ドアの位置が合わない。20m車が走り始めると、駅の次列車予告装置は新型のものに更新され「7両」「8両」と行先の脇に表示が付くようになった(7両統一なった現在でも「7両」の表示は続いているが、ダイヤ改正を機に消えるかな?)。
利用者はそれを見て然るべきドア位置に並んで待つことになるが、それでは細かくズレた列を設けることになる。被りもあろう。
そこで工夫が行われた。位置表示は7両を基準とし、8両の位置指定は一番近い7両のドアの位置に併記する形となった。
結果、7両編成の1車両に対し「7・8両併記」3枚、「7両のみ表示」1枚という感じになった。
1枚のステッカーで7両と8両の号車が異なるところもある。前出の茅場町の更新前は、8両は4号車・7両は3号車の組合せだった。
まぁこれに5ドア車の2・4番目のドアが加わるんだから、ややこしかったな。


13000系(茅場町・2020.5.25)(i)

上の写真のあとやってきた13000系は車内に「新車臭」が漂っていた。
13144F。13000系の最終編成で、4月25日に徳庵の近畿車輛から発送された。
03系42本に対し13000系が44本となったのは、虎ノ門ヒルズ駅開業に伴う所要増に基づくものとされている。
まぁ駅が増えることもそうだけど、今後ホームドアが増えれば停車時間が増えて(車両のドアとホームドア、ドアの数が倍になると安全確認も時間がかかるし、車両とホームのドアの開閉タイミングも時差がある)ダイヤが寝ることも一因なのではないか?


(茅場町・2020.5.27)(i)

27日。仕事帰りに茅場町で列車を降りた際の足元に違和感を感じ、思わず立ち戻った。
なるほど、THライナーの乗車位置表示が加わったのか。
有料の座席指定列車「THライナー」は6月6日のダイヤ改正がデビューとなる。同日は土曜なので、車内は鉄分高めになりそうだ。
THライナーは定期列車として日比谷線初の「通過駅がある列車」「有料列車」「東武線内も通過駅がある列車」となる。


ついでに

5月30日土曜・整体のためJRで柏へ出かけた帰り、3月のダイヤ改正から走り始めた柏—船橋間の急行を体験しようかと敢えてアーパー線をチョイスしたのだが、入場したと同時に船橋行急行が出てしまった。昼メシのレジで前の客がモタモタしてなければ乗れたか…。
次は30分後。1時間に2本か。うーん、せめて1時間であと1本あったらなぁ。供給過多かなぁ…。
調べたら、大宮口とともにラッシュアワーも含め1時間に2本までになっている模様。


(新船橋・2020.5.30)(i)

結局普通列車に乗り、買い物がてら下りたのがイオンモール直結の新船橋。急行は停まらない駅だ。
ラチ内コンコースのSL大樹の模型は、おそらく子供が乗り込んで写真を撮るためのものだろう。


(新船橋・2020.5.30)(i)

改札脇の窓口にはこんな風景が。



(新船橋・2020.5.30)(i)

ペーパークラフトの車両がたくさん並ぶ。手前のブルトレはプラレールかな?
1800系はクーラーの形状から1819Fで確定。よく見たら、さよなら運転のHMが描かれている。 その時のグッズなのかも。
1800系の左は倒れたリバティ。窓の中の14系の上に乗っているのは70090系だ。


(新船橋・2020.5.30)(i)

日比谷線に合わせ、東武本線もダイヤ改正。
…スケベイシア、いつまであの色で走らせるんだろう。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)