武蔵野線なつかし写真の後編。
1990(平成2)年3月、京葉線は東京へ延伸した。新木場行はなくなり、二俣新町以西を通る上り定期列車はすべて東京行となった。
京葉線は京葉快速・通勤快速と房総半島方面直通列車の運転を開始。土休日の快速は停車駅が異なり、「マリンドリーム」という愛称がついた。武蔵野線東京口列車はすべて快速となり、武蔵野快速という名前がついた。武蔵野快速の通過駅は越中島・潮見・葛西臨海公園。土休日はこれに八丁堀が加わり、葛西臨海公園は日中のみ停車した(マリンドリームも同じ)。京葉快速との重複区間では、武蔵野快速のみ市川塩浜に停まるのが唯一の違い。これは、西船橋方面と蘇我方面相互ののりかえの便を図ったためだ。
103系(東京・1990)
京葉線は東京延伸とともにピンクの帯で新デザインの205系10連が登場したが、武蔵野線は相変わらず103系主体。ただ、オレンジの103系の「東京」行表示はかつての中央線を思い起こす懐かしい風景になった。(シンプルな東京行表示はこちらの記事に)
写真は真新しい東京駅京葉ホームに1灯ヘッドライトのベテランクモハが当たり前のように入線した風景。冷房は簡易冷房と言われた2台分散式のものだ。冷改ではなく冷遇を受けてきた車両の証拠だ。
103系(西船橋・1990)
103系(南船橋・1990.7)
車齢が高い武蔵野線の車両は、更新工事を受けたものが増え始めた。オレンジの車両に黒Hゴムというのは、いささか暑苦しい色合いだ。
201系(三郷・1990.6.24)
南流山方から江戸川を渡って三郷駅に滑り込む201系。6連の前後とも中央特快用ヘッドマークステーが付いている。
東京圏を大回りする武蔵野線の列車はここのほか、葛西臨海公園—舞浜で旧江戸川、市川塩浜—西船橋で江戸川放水路を渡る。また、荒川を北朝霞—西浦和で、中川を越谷レイクタウン—吉川で、荒川・中川放水路を新木場—葛西臨海公園で渡っている。
103系(市川塩浜・1990.7.1)
201系(新浦安・1990.7.1)
この7月1日より、休日の武蔵野快速は「むさしのドリーム」という名前がついた。同時に、従来の行先のみの表示だった方向幕を平日用「快速」・土休日用「むさしのドリーム」表示付きに変更、「武蔵野線内各駅停車」の文字も加わった。201系正面幕の赤ベタ表示が新鮮。
シンプルな「東京」行表示は4カ月ほどで消えてこの日から見られなくなったわけだが、ほとんどその写真を撮れていないことに今気づいた。
201系(南船橋・1990.7.1)
同日のもう1本の201系。南船橋へ顔を出す列車は従来通りの幕。特快サボ受けもない先頭車。
103系(西国分寺・1991.12.1)
1991(平成3)年10月、かねてより地下水の出水が続いていた新小平駅の掘割の壁が、台風をきっかけについにパンク、駅が水没してしまった。パンクしたのは列車のない深夜だったそうだ。
武蔵野線は長期の分断を余儀なくされ、新小平の両隣りである西国分寺と新秋津で列車が折り返すことになった。つまり、府中本町—西国分寺間と新秋津—京葉線間の運転になったわけだ。
偶然にも西国分寺・新秋津の両駅には上下線とY字でつながった通過用の中線があり、そこを使って折り返しを行った。写真の西国分寺の場合は下り西船橋行ホームを拡幅して下り本線に被せ、中線まで届かせた。そのため、写真左端に少し見えるが、ホームの真上に下り本線の架線が通っている不思議な光景になった。
府中本町—西国分寺間の途中駅は北府中のみで、103系6連2本が閉じこめられて運用に就いた。新秋津口は方向幕を新調したが、西国分寺口は方向幕ガラス上に「府中本町—西国分寺」のステッカーを貼って済ませた。側面方向幕も同様。
103系(府中本町・1991.12.1)
こちらのトタ12編成?のクモハはヘッドライトの内フレームがなくなった珍車。37編成のクハと同様に、屋根布が正面に回り込んでいるのも特徴。
205系(西船橋・1991)
武蔵野線205系は京葉線用と同じ顔で登場。ただ、京葉線用が白顔なのに対し、こちらは銀顔。私の中ではこの武蔵野顔が205系の中でいちばんイケてると思う。武蔵野線向けは運行番号が山手線用以来のマグサイン式となったが、当然のことながら明るく読みやすいものに改善されている。
205系は一部8連列車運転開始に備えて8連で用意されたが、そのダイヤ改正前に写真のように1ユニットを外した6連で運用に就いていた。
205系(南船橋・1991.12)
正式な8連となって運用開始した205系。この当時は6連列車と8連列車が入り交じっての運行で、8連列車には山手線11連と同デザインのステッカーが貼られた。運転台側の窓にも8の字が付けられている。
103系(新木場・1993.10.24)
新木場の手前は広大な運河の上を走る水上高架。そのシメの90度カーブはトラス橋。東京のイメージとはちょっと違う雄大なロケーションだ。
103系(市川塩浜・1993.10.24)
103系向けの8両ステッカーは205系とはオレンジと黒が反転したものが用いられた。8連と6連の2通りの編成が生まれ、編成番号の札の色も変化が起きた。8連口は黒字に黄色の文字。
103系・205系とも8連は6M2Tの強力編成。現在活躍中の他線からやって来た205系たちはモハがVVVFインバータ制御化された5000番台で、4M4T編成を組んでいる。
103系(西船橋・1993.10.31)
6連の編成番号は緑地にオレンジ文字のチカチカする色合いに。
103系・205系(船橋法典・1994.3.26)
船橋法典での定点撮影的写真たち。平日の武蔵野快速の幕は「快速」表示だ。低運転台の先頭車は補強板がつけられて表情が変わっている。
1枚目のクモハは運転台窓のみ黒Hゴムで独特の雰囲気。府中本町行の103系8連は簡易冷房と集中冷房の車両が入り交じり、寄せ集めらしい編成になっている。
こうして見ると、東京行は6連、南船橋行が8連という感じになっているが、他の写真のとおり、必ずしもそうだったわけではない。
武蔵野線の103系は2005年まで活躍。首都圏では遅くまで残ったほうだった。一部はJR西日本やインドネシアに譲渡され現在も活躍している。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2 件のコメント:
おはようございます。
武蔵野線のお写真楽しませて頂きました。
103系の姿、懐かしいですね。
http://kazetabiki.blog41.fc2.com/blog-entry-363.html
高速で走っているときの感覚を今でも思い出します。硬い感じでよく揺れましたし、音も今の新しい電車とは比較にならないほど大きかったです。
それでも、綺麗な新しい電車に置き換えられてしまうと、寂しくもありました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
コメントありがとうございます。
90〜92年度は高校通学に武蔵野線新松戸—西船橋間を使っており、毎日いろんなタイプの103系に乗っていました。
東松戸駅がなかったこの区間は各駅間4分ずつの長距離で、103系のモーターもブンブン唸ってました。
もっとたくさん撮っておきたかったですが、当時はフィルムカメラなので、高校生の経済状況では数は稼げませんでした。
…4年半ほど前に書いた記事ですが、通学に使ったことにはとんと触れてないですね。
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