前記事「カラフルトレインズ・10/京成赤電」の付属記事です。
当ブログの京成の「なつかし写真」(当ブログではフィルムカメラでの撮影分を指します)に関しては多くの記事にこまごま分かれています。
またラベル(タグ)を複数選択した記事検索ができないため、右フレームのラベル一覧から「なつかし写真」や「京成」を単独で選ぶ絞り込みか、上バーや右フレームの検索ツールでワード検索するしかないですが、前者は一覧表示ができない、後者は精度がイマイチと、なかなか使いづらいんです。
そんなわけで、ここに京成と関連路線(新京成・千葉急・北総・住宅・都市整備公団・都営浅草線・京急)車両のなつかし写真のリンクをまとめます。
なつかし写真オンリー記事のほか、リアルタイム記事の中になつかし写真を初出したものも含みます。
09.7.12 青電は来た
09.8.28 赤電が撮れない…
京成カラー・1
京成カラー・2&3200形8M車
京成 3300形いろいろ
京成 片開き赤電
京成 3500形と3600形
京成 3700形・3400形と3200形6M車
09.9.13 海神コースター
09.9.13 大森台とみどり台
09.9.13 2度目?の新京成
09.9.21 NEW AEを待つ
09.9.22 NEW AEと再会
京成 Airport Express
09.10.12 四ツ木今昔
京成西船 なつかし写真
09.10.25 八広カーブ・1
09.11.1 流浪
09.11.1 撮ろうが徒労に…
90・92 博物館動物園駅
北総鉄道 なつかし写真・1
北総鉄道 なつかし写真・2
京成千葉線・千葉急行 なつかし写真
都営浅草線 なつかし写真・1
都営浅草線 なつかし写真・2
京成西船—海神—京成船橋 なつかし写真
青砥 なつかし写真
10.4.18 ただただ北総・2
京急 なつかし写真
11.4.24 ジモトレイン
京成 鬼越・西船・海神 なつかし写真
京成 東中山 なつかし写真・1
京成 東中山 なつかし写真・2
京成高砂 なつかし写真
11.6.4 夕方の上野線・1
2024/03/11
2009/11/29
青砥 なつかし写真
お次は青砥でのなつかし写真。
…なのだが、AEやステンレス車の写真が全然見当たらない。不思議だ…。
都営浅草線、北総、千葉急の車両の写真はすでに出しているので、今回は赤電と京急のみ。

3200形(青砥・1992.3)
こちらに書いたNational/Panasonicの看板がこれ。

3300形(青砥・1992.3)
3308は3300形のうち空気バネ台車のグループ。金属バネ車が6連化されたのに対し、このグループは更新後も4連のままで使用された。写真の列車は成田方に別の空気バネ4連が付いていると思う。現在は3316-3313とともに北総7260形となって、3308は4+4の中間に押し込められている。


3200形(青砥・1992.4.2)
ごっつい色になってしまった写真。DPEの仕業だ。リバイバルカラー3300形の「赤」を見て、リアルタイムで見た人に「明るすぎる」という感想がよくあるようだが、意外と自ら所有する写真のプリント加減の影響を受けていることもあると思う。あとは塗料の質の違いなんかもあったりするかと。


3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.4.2)

3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.5.3)
こちらはDPEの仕業ではなく、実際にカエル色に塗られたもの。とにかく黄緑に赤と青のラインというのがまったくイケていない。試験塗色車についてはこちらを参照。

3300形(青砥・1993.4.6)
特急に入った3316F。この3316-3313は当時クロスシート試験車。グレーへの塗色変更とともにロングシート化が行われたが、これも京成では新たな試みとなるバケットシートだった。
先に載せた3308Fと組んで北総7260形となって現在も稼働中。

3100形(青砥・1993.4.6)
押上始発の金町行下り列車4連が3番線に入った。当時は浅草線直通列車に混じってよく走っていたものだが、現在このスタイルでこのホームに来る列車は平日7時13分着の1本だけになってしまった。金町始発押上行上りは早朝と深夜に1本ずつなので、下りは回送が1本あるだろう。


京急1000形(青砥・1991)
今になって気づいたことだが、1000形は集中クーラーだと黒表示幕、分散クーラーだと白表示幕みたいだ。

京急1000形(青砥・1992.4.2)
こちらは上と同じ列車に見えて、別の日のもの。車号が違う。


京急1000形(青砥・1993.4.6)
羽田開業ステッカーをつけた1000形。このステッカーは多くの車両に貼られていて、空港線に入らない800形などにも貼られていた。いや、もしかしたら全編成だったかもしれない。
当駅止まりで客扱い後、幕の回転を始めているのがわかる。「新町」で止まりこの後神奈川新町行になったかどうかは定かではないが、実際に当時はここからの神奈川新町行の列車が存在した。京急の慣例で「神奈川」が省略された行先表示は、「京成では通用しない」と思ったもんだ。現在は京成で「(東成田)芝山」というのがある。千代田はどこへ?

京急1500形(青砥・1992.2.11)
車号が光って飛んでしまっているが、1612だ。京成に来る1500形の外観は今もスカートと方向幕以外はあんまり変わってないかな? 私がコンデジで撮ったのは1700台の車両だけだ。
青砥では駅だけでなく、中川を渡る鉄橋脇でも撮影をしたことがある。どうやって現場まで行ったかとかは全く憶えてないのだが、同好の友人とふらりと行ったような記憶もある。
こちらはステンレスカー中心。なぜだろう…?

3600形・3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
3100形は8連。片開きドアですでに当時オンボロ車両に思えたが、こうして8連を丸々見ると立派に見える。

3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
こちらも片開き3150形8連の急行西馬込行。更新で内装のキレイさでは3050・3100形に差をつけていた。


3500形・3200形試験ライトグリーン(青砥—京成高砂・1993.5.1)
幕帯だけ青に変わった3500形と赤電とのすれ違い。カエル色との競演はどうやら高砂方から撮っているようだ。
車号はどれも読み取れないが、もしかしたらカエルとすれ違っている3500の最後尾は現在も未更新で現役の3589かもしれない。

3600形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
こちらも幕帯だけ青帯化されている3600形。パンタ付の車両だけクーラーキセが汚れているのがよくわかる。当時の3600形はすべて6連だった。

公団2000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
京急に乗り入れしつつもまだ2000形だった頃の現・北総9000形。同じ「2000形」が居る京急へ入るようになったのは1991(平成3)年3月31日から。写真の翌年に9000形に改番された。ちなみに公団2000形と京急2000形は同じ冷房装置だったそう。京急のほうは3ドア化で変わってしまった模様。

北総7000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
こちらは青砥の引き上げ線に入った7000形。「西馬込」を表示している。当時は北総車の浅草線内運用もあり、押上行なども存在した。
4・5両目が側窓がごついユニット二段窓になっているのがわかる。京成・都営・京急乗り入れに備えて8連化するために新造された中間車(上の2000形も中央2両は追加新造車)で、開閉出来る2段窓は固定窓ばかりの在来車から改善されたものであるが、どうもその見た目が野暮ったかった。一段下降窓でもよかったと思うのだが、在来車と共通の構体でやるとなると二段窓が有利だったのかもしれない。
それにしても、7000形の「青砥」表示は写真でも見たことがないな…。もしや、結構貴重な列車だったのか?
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
…なのだが、AEやステンレス車の写真が全然見当たらない。不思議だ…。
都営浅草線、北総、千葉急の車両の写真はすでに出しているので、今回は赤電と京急のみ。

3200形(青砥・1992.3)
こちらに書いたNational/Panasonicの看板がこれ。

3300形(青砥・1992.3)
3308は3300形のうち空気バネ台車のグループ。金属バネ車が6連化されたのに対し、このグループは更新後も4連のままで使用された。写真の列車は成田方に別の空気バネ4連が付いていると思う。現在は3316-3313とともに北総7260形となって、3308は4+4の中間に押し込められている。


3200形(青砥・1992.4.2)
ごっつい色になってしまった写真。DPEの仕業だ。リバイバルカラー3300形の「赤」を見て、リアルタイムで見た人に「明るすぎる」という感想がよくあるようだが、意外と自ら所有する写真のプリント加減の影響を受けていることもあると思う。あとは塗料の質の違いなんかもあったりするかと。


3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.4.2)

3200形試験ライトグリーン(青砥・1992.5.3)
こちらはDPEの仕業ではなく、実際にカエル色に塗られたもの。とにかく黄緑に赤と青のラインというのがまったくイケていない。試験塗色車についてはこちらを参照。

3300形(青砥・1993.4.6)
特急に入った3316F。この3316-3313は当時クロスシート試験車。グレーへの塗色変更とともにロングシート化が行われたが、これも京成では新たな試みとなるバケットシートだった。
先に載せた3308Fと組んで北総7260形となって現在も稼働中。

3100形(青砥・1993.4.6)
押上始発の金町行下り列車4連が3番線に入った。当時は浅草線直通列車に混じってよく走っていたものだが、現在このスタイルでこのホームに来る列車は平日7時13分着の1本だけになってしまった。金町始発押上行上りは早朝と深夜に1本ずつなので、下りは回送が1本あるだろう。


京急1000形(青砥・1991)
今になって気づいたことだが、1000形は集中クーラーだと黒表示幕、分散クーラーだと白表示幕みたいだ。

京急1000形(青砥・1992.4.2)
こちらは上と同じ列車に見えて、別の日のもの。車号が違う。


京急1000形(青砥・1993.4.6)
羽田開業ステッカーをつけた1000形。このステッカーは多くの車両に貼られていて、空港線に入らない800形などにも貼られていた。いや、もしかしたら全編成だったかもしれない。
当駅止まりで客扱い後、幕の回転を始めているのがわかる。「新町」で止まりこの後神奈川新町行になったかどうかは定かではないが、実際に当時はここからの神奈川新町行の列車が存在した。京急の慣例で「神奈川」が省略された行先表示は、「京成では通用しない」と思ったもんだ。現在は京成で「(東成田)芝山」というのがある。千代田はどこへ?

京急1500形(青砥・1992.2.11)
車号が光って飛んでしまっているが、1612だ。京成に来る1500形の外観は今もスカートと方向幕以外はあんまり変わってないかな? 私がコンデジで撮ったのは1700台の車両だけだ。
青砥では駅だけでなく、中川を渡る鉄橋脇でも撮影をしたことがある。どうやって現場まで行ったかとかは全く憶えてないのだが、同好の友人とふらりと行ったような記憶もある。
こちらはステンレスカー中心。なぜだろう…?

3600形・3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
3100形は8連。片開きドアですでに当時オンボロ車両に思えたが、こうして8連を丸々見ると立派に見える。

3150形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
こちらも片開き3150形8連の急行西馬込行。更新で内装のキレイさでは3050・3100形に差をつけていた。


3500形・3200形試験ライトグリーン(青砥—京成高砂・1993.5.1)
幕帯だけ青に変わった3500形と赤電とのすれ違い。カエル色との競演はどうやら高砂方から撮っているようだ。
車号はどれも読み取れないが、もしかしたらカエルとすれ違っている3500の最後尾は現在も未更新で現役の3589かもしれない。

3600形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
こちらも幕帯だけ青帯化されている3600形。パンタ付の車両だけクーラーキセが汚れているのがよくわかる。当時の3600形はすべて6連だった。

公団2000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
京急に乗り入れしつつもまだ2000形だった頃の現・北総9000形。同じ「2000形」が居る京急へ入るようになったのは1991(平成3)年3月31日から。写真の翌年に9000形に改番された。ちなみに公団2000形と京急2000形は同じ冷房装置だったそう。京急のほうは3ドア化で変わってしまった模様。

北総7000形(青砥—京成高砂・1993.5.1)
こちらは青砥の引き上げ線に入った7000形。「西馬込」を表示している。当時は北総車の浅草線内運用もあり、押上行なども存在した。
4・5両目が側窓がごついユニット二段窓になっているのがわかる。京成・都営・京急乗り入れに備えて8連化するために新造された中間車(上の2000形も中央2両は追加新造車)で、開閉出来る2段窓は固定窓ばかりの在来車から改善されたものであるが、どうもその見た目が野暮ったかった。一段下降窓でもよかったと思うのだが、在来車と共通の構体でやるとなると二段窓が有利だったのかもしれない。
それにしても、7000形の「青砥」表示は写真でも見たことがないな…。もしや、結構貴重な列車だったのか?
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2009/11/09
北総鉄道 なつかし写真・2
現在の京成の記事を2本挟んだ後、北総なつかしの2回目。


7150形(京成高砂・1991)
1991(平成3)年3月の高砂延伸開業に備え、北総は車両を増備した。
内訳は6連の7000形には新造の8連化用中間車7200が3ユニット、京成3700形と共通設計の新形式・7300形、新京成直通運用用に新京成から譲受した800形1本(806F。直通廃止時に新京成に復帰)、そして京急から譲り受けたこの7150形8連2本だ。公団も6連の2000形(現9000形)に8連化用中間車2ユニットを新造した。
京急1000形は1988(昭和63)年に京成が青電の代替として4連2本をリースし、大手→大手の車両のリースは話題となった。しかし、北総7150形はこれとは違い、いわば「完全移籍」だ。

7150形(千葉ニュータウン中央・1991)
川崎行の7150形。川崎市を走る臨港バスは当時銀色に紺帯のまさにこの塗装。あまりに突飛な1000形の変身に驚くと同時に、バスっぽいなぁと思ったのは私だけではないだろう。
運行番号窓のケタ間のスジは京急時代に白地幕だったせいか白のままで、北総式の黒地幕では数字が読みにくい状態だった。

7150形(荒川—四ツ木・1992.2.11)
この頃には運行番号窓のスジは黒く塗られて数字が読みやすくなっている。
京急1000形は分散冷房車は白幕だったので、集中冷房車と同じ黒地幕は変な感じでもある。


7150形(千葉ニュータウン中央・1992.8)
1992(平成4)年7月に新京成新鎌ヶ谷駅が開業し、新京成との相互乗り入れが廃止になった代わりに、新鎌ヶ谷—千葉ニュータウン中央間の区間列車が設定された。
7150形は4+4と8両貫通の1本ずつだったが、7150台の前者を4連2本に分割してこの運用に充てた。

7150形(西白井・1994.10.16)
西白井に留置中の7150形。正面には「上野」の幕が出ている。もちろん上野口への営業運転の実績はない。



7150形(西白井・1995.3.7)
4連のうち7158F(7158-7155)は1994(平成6)年にドアがカラフルに塗装された。北側が寒色、南側が暖色で、ドア1枚ずつ色が変化していくグラデーションとなった。

7150形(八広・1995.4)
8連貫通の7168F。この年の9月で廃車になった。その後7150台が再び8連に戻って直通運用に復帰したが、1998(平成10)年に廃車になった。
写真は八広駅が高架化に備えてコロコロと姿を変えていた頃で、画面右の上りホームはかつての上り線があった位置に設けられている。


7050形(松飛台・1995.10.10)
7168Fに代わる車両として導入したのは京成からのリース車・7050形。7300形同様、京成車のカラーバリエーションという感じだ。
3150形独特の正面の種別板は北総独自で用意したもので、英字が入っていない。
この後、3150形は代わる代わる北総や千葉急行へ移籍してから引退していった。

京成3150形(ユーカリが丘・1993.6.27)
上の写真の編成の種車・3166F(手前4両)。3166-3163は7054-7051となった。


公団2000形(青砥・1992.3)
住宅・都市整備公団2000形は1984(昭和59)年の小室—千葉ニュータウン中央間の自社線開業とともにデビューした。
足回りは北総7000形とほぼ同じで、車体は7000形より地味なものの、カラーリングは赤と緑という派手なものになった。

公団2000形(四ツ木・1992.4)
新製時、運行番号表示器は正面助士側窓内底部にあった。数字3ケタだけを表示するもので、表示器の前面は黒だった。
高砂延伸に合わせて種別表示を添えたものに変更し位置も窓内の上部に移ったが、表示器筐体はベージュに。種別は小さく、数字も筐体の色のせいで読み取りづらかった。

公団9000形(白井・1995.10.10)
運行番号表示器変更からたった2年の1993(平成5)年、早くも変化が起きた。小さな種別表示は使用停止、方向幕を種別と行先を併記したものに交換した。急行の表示は種別部分のみ青地になっていた。運行番号表示器はフレームのみ色を残し、黒く塗られた。
1994(平成6)年には乗り入れ先の京急車と被る形式を9000形に改番し、写真の姿となった。
1997(平成9)年、方向幕は北総7000形や京成3500形に似たセパレートタイプに交換されたが、文字はそれらと同じ小さいものになってしまった。
利用者へのサービスを考えるなら、ヘッドライトを下に下ろして空いたスペースに種別と運行番号を移す、もしくは貫通扉の車号の位置に種別表示器を設けるという手もあったと思う。
住宅・都市整備公団は1999(平成11)年に解散、業務は都市基盤整備公団が引き継ぎ、鉄道も引き継がれた。9000形の貫通扉と戸袋にあった住都公団の青いロゴは取り外され、側面にのみ都市基盤整備公団のロゴが貼られた。
2004(平成16)年には路線が都市基盤整備公団から京成の子会社となる千葉ニュータウン鉄道へ移行、今度は運行を担当する北総鉄道のプレートと京成グループのロゴが取り付けられた。
住宅・都市整備公団2000形として登場したこの車両、細かい所がコロコロと移り変わっている面白い車両なのだ。

公団9100形(新鎌ヶ谷・1995.3.7)
「C-Flyer」こと9100形は1995(平成7)年の公団の印西牧の原延伸に備えて8連2本が製造された。2000(平成12)年の印旛日本医大延伸時にもう1本が増備された。
開業時の2000形以来の新造車は、一見特急車にも見える前頭部を持つスピード感のあるボディの車両となった。足回りは京成3700・北総7300形と変わらない。北総が新車を京成のOEMで済ませたのに対し、こちらは新設計の車両を投入したのがニクい所。
写真はデビュー前の試運転時の9108F。新鎌ヶ谷駅が1面2線使用だった頃で、隣の7000形は現在の上りホームに停まっている留置車両。

公団9100形(矢切・1995.3.7)
矢切の待避線に入った試運転車両。


公団9100形(西白井・1995.3.7)
こちらは9118F。いつ見ても自動車(ワゴン)っぽく見えるフォルムだ。
一部車端にクロスシートを備えるが、多くが連結面側を向いているのが残念。青いドアは車いすスペース、黄色いドアはクロスシートの位置を示している。また、クロスシート背後には一部仕切りを設けて公衆電話が設置されていた。電話の設置はいわゆる「通勤形電車」としては他に例がないのでは? ご存知の通りケイタイが普及したため現在は撤去されている。

公団9100形(八広・1995)
営業運転に就いたC-Flyer。羽田行だが、雲が写って読み取れない。架線が1本映り込むその向かって右すぐに「田」の文字がある。
デザインに凝りすぎて、肝心の案内表示が読み取りにくいのは、過去の記事にも書いた通りだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)


7150形(京成高砂・1991)
1991(平成3)年3月の高砂延伸開業に備え、北総は車両を増備した。
内訳は6連の7000形には新造の8連化用中間車7200が3ユニット、京成3700形と共通設計の新形式・7300形、新京成直通運用用に新京成から譲受した800形1本(806F。直通廃止時に新京成に復帰)、そして京急から譲り受けたこの7150形8連2本だ。公団も6連の2000形(現9000形)に8連化用中間車2ユニットを新造した。
京急1000形は1988(昭和63)年に京成が青電の代替として4連2本をリースし、大手→大手の車両のリースは話題となった。しかし、北総7150形はこれとは違い、いわば「完全移籍」だ。

7150形(千葉ニュータウン中央・1991)
川崎行の7150形。川崎市を走る臨港バスは当時銀色に紺帯のまさにこの塗装。あまりに突飛な1000形の変身に驚くと同時に、バスっぽいなぁと思ったのは私だけではないだろう。
運行番号窓のケタ間のスジは京急時代に白地幕だったせいか白のままで、北総式の黒地幕では数字が読みにくい状態だった。

7150形(荒川—四ツ木・1992.2.11)
この頃には運行番号窓のスジは黒く塗られて数字が読みやすくなっている。
京急1000形は分散冷房車は白幕だったので、集中冷房車と同じ黒地幕は変な感じでもある。


7150形(千葉ニュータウン中央・1992.8)
1992(平成4)年7月に新京成新鎌ヶ谷駅が開業し、新京成との相互乗り入れが廃止になった代わりに、新鎌ヶ谷—千葉ニュータウン中央間の区間列車が設定された。
7150形は4+4と8両貫通の1本ずつだったが、7150台の前者を4連2本に分割してこの運用に充てた。

7150形(西白井・1994.10.16)
西白井に留置中の7150形。正面には「上野」の幕が出ている。もちろん上野口への営業運転の実績はない。



7150形(西白井・1995.3.7)
4連のうち7158F(7158-7155)は1994(平成6)年にドアがカラフルに塗装された。北側が寒色、南側が暖色で、ドア1枚ずつ色が変化していくグラデーションとなった。

7150形(八広・1995.4)
8連貫通の7168F。この年の9月で廃車になった。その後7150台が再び8連に戻って直通運用に復帰したが、1998(平成10)年に廃車になった。
写真は八広駅が高架化に備えてコロコロと姿を変えていた頃で、画面右の上りホームはかつての上り線があった位置に設けられている。


7050形(松飛台・1995.10.10)
7168Fに代わる車両として導入したのは京成からのリース車・7050形。7300形同様、京成車のカラーバリエーションという感じだ。
3150形独特の正面の種別板は北総独自で用意したもので、英字が入っていない。
この後、3150形は代わる代わる北総や千葉急行へ移籍してから引退していった。

京成3150形(ユーカリが丘・1993.6.27)
上の写真の編成の種車・3166F(手前4両)。3166-3163は7054-7051となった。


公団2000形(青砥・1992.3)
住宅・都市整備公団2000形は1984(昭和59)年の小室—千葉ニュータウン中央間の自社線開業とともにデビューした。
足回りは北総7000形とほぼ同じで、車体は7000形より地味なものの、カラーリングは赤と緑という派手なものになった。

公団2000形(四ツ木・1992.4)
新製時、運行番号表示器は正面助士側窓内底部にあった。数字3ケタだけを表示するもので、表示器の前面は黒だった。
高砂延伸に合わせて種別表示を添えたものに変更し位置も窓内の上部に移ったが、表示器筐体はベージュに。種別は小さく、数字も筐体の色のせいで読み取りづらかった。

公団9000形(白井・1995.10.10)
運行番号表示器変更からたった2年の1993(平成5)年、早くも変化が起きた。小さな種別表示は使用停止、方向幕を種別と行先を併記したものに交換した。急行の表示は種別部分のみ青地になっていた。運行番号表示器はフレームのみ色を残し、黒く塗られた。
1994(平成6)年には乗り入れ先の京急車と被る形式を9000形に改番し、写真の姿となった。
1997(平成9)年、方向幕は北総7000形や京成3500形に似たセパレートタイプに交換されたが、文字はそれらと同じ小さいものになってしまった。
利用者へのサービスを考えるなら、ヘッドライトを下に下ろして空いたスペースに種別と運行番号を移す、もしくは貫通扉の車号の位置に種別表示器を設けるという手もあったと思う。
住宅・都市整備公団は1999(平成11)年に解散、業務は都市基盤整備公団が引き継ぎ、鉄道も引き継がれた。9000形の貫通扉と戸袋にあった住都公団の青いロゴは取り外され、側面にのみ都市基盤整備公団のロゴが貼られた。
2004(平成16)年には路線が都市基盤整備公団から京成の子会社となる千葉ニュータウン鉄道へ移行、今度は運行を担当する北総鉄道のプレートと京成グループのロゴが取り付けられた。
住宅・都市整備公団2000形として登場したこの車両、細かい所がコロコロと移り変わっている面白い車両なのだ。

公団9100形(新鎌ヶ谷・1995.3.7)
「C-Flyer」こと9100形は1995(平成7)年の公団の印西牧の原延伸に備えて8連2本が製造された。2000(平成12)年の印旛日本医大延伸時にもう1本が増備された。
開業時の2000形以来の新造車は、一見特急車にも見える前頭部を持つスピード感のあるボディの車両となった。足回りは京成3700・北総7300形と変わらない。北総が新車を京成のOEMで済ませたのに対し、こちらは新設計の車両を投入したのがニクい所。
写真はデビュー前の試運転時の9108F。新鎌ヶ谷駅が1面2線使用だった頃で、隣の7000形は現在の上りホームに停まっている留置車両。

公団9100形(矢切・1995.3.7)
矢切の待避線に入った試運転車両。


公団9100形(西白井・1995.3.7)
こちらは9118F。いつ見ても自動車(ワゴン)っぽく見えるフォルムだ。
一部車端にクロスシートを備えるが、多くが連結面側を向いているのが残念。青いドアは車いすスペース、黄色いドアはクロスシートの位置を示している。また、クロスシート背後には一部仕切りを設けて公衆電話が設置されていた。電話の設置はいわゆる「通勤形電車」としては他に例がないのでは? ご存知の通りケイタイが普及したため現在は撤去されている。

公団9100形(八広・1995)
営業運転に就いたC-Flyer。羽田行だが、雲が写って読み取れない。架線が1本映り込むその向かって右すぐに「田」の文字がある。
デザインに凝りすぎて、肝心の案内表示が読み取りにくいのは、過去の記事にも書いた通りだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
2009/10/12
09.10.12 四ツ木今昔
前日につづき昼過ぎに出かける。
いまのカメラでは京成押上線での撮影をしていないので、京成立石・四ツ木・八広のどこかで撮ろうかと。
チャリで東中山へ。
改札を入ったところでやってきた羽田空港行快速は初めてナマで見る「スペーシア」だった。ホームに降りたときはすでに先頭へ回って撮れるタイミングではなく、そのまま乗り込んだ。
走行中に先頭車へ移動。乗務員室後部はクロスシートが2対残り、助手側は特等パノラマ席と化している。幼い子を連れた家族が占拠していた。
この車両を撮るためだけに京成小岩で降りた。

京急600形・スペーシア広告車(京成小岩)
「スペーシア」の正体は日光・鬼怒川への観光広告がラッピングされた600形。京急の車両に東武特急スペーシアの写真が貼られていて、京成を走っているという面白い状態になっている。
反対に東武では日比谷線直通の20000系に京急広告車(くりぃむしちゅーの2人がデカデカと)を走らせている。

AE100形(京成小岩)
次の列車を待つあいだ下り列車を撮影。すでに建物の影が伸びてしまっている。
写真手前には下り線〜上り線の片渡り線があり、折り返しができるようになっている。青砥駅の高架化工事の時代などは京急車の小岩折り返し運用もあった。
列車を乗り継いで京成立石へ。どの列車を狙うということではないので、いろいろ撮ってみようという魂胆だ。

京急新1000形(京成立石)
立石は下町の地平対向ホームの駅で昭和の雰囲気があるが、実は葛飾区役所の最寄り駅だったりする。
本線にはかつて葛飾駅があったが、葛飾区の駅だと勘違いする人がちょいちょいいたらしく、京成西船と改称された。もとは千葉県東葛飾郡葛飾町だったためで、「西船」は国鉄が設けた西船橋駅の地元の通称(私もそう呼ぶ地元民)であり、それが元で住居表示にも採用された地名。
京成西船駅に改称されたのはその国鉄がJRへ変身した1987(昭和62)年4月1日だ。同日、国鉄千葉駅前駅が京成千葉駅に、京成千葉駅が千葉中央駅に改称されている。理由は言わずもがなだ。
メトロ東西線浦安駅がある浦安市は東京都江戸川区に接しているが、東西線開業当初はこちらも東葛飾郡の浦安町だった。郡部に地下鉄の駅(高架区間だけど…)ができたのは最初で最後ではないだろうか。

京急1500形(京成立石)
押上線にいると京急の駅にいるような錯覚に陥るのは今も昔も変わらないようだ。
他の駅の様子を見るため、この列車で押上まで進む。

京急1500形(押上)
おとなしかった赤い普通は押上で降りたら快特に変身していた。アングラではブイブイいわせてるようだ。

3500形更新車(押上)
ところが、後続の3500形更新車がエアポート快特としてとっとと先行していった。押上ではまだ京成が強いのだ。
くだらない話をしているあいだに、向こうのホームには青い青砥行が…。これはどこかで待ちかまえよう。
…ということで、押上駅独特の狭くて浅い通路へ降り、改札を入り直してから下り列車に乗る。
鉄橋を渡るシーンが魅力な八広では先客が2名ほど。ちょっと撮りづらそうなので敬遠して、次の四ツ木で降りた。
四ツ木では過去にちょいちょい撮っていたので、なつかし写真も絡めながら載せよう。

3700形(四ツ木)
下りホームより。以下、当日の写真はすべて下りホームでのもの。

3150形(四ツ木・1992.4)
上りホームからの写真。荒川の橋梁掛け替え前は築堤でホームの高さまで上っていた。

北総9100形(四ツ木)
うーん、とってもパワフルな構図がとれるが、上を向いている分日が当たりすぎだな…

北総7000形(四ツ木・1992.4)
四ツ木駅旧ホームは足元がスカスカな感じの構造。柵は現在も千葉線ホームでよく見られる、鉄線がデルタ上に通してあるタイプ。

北総7150形(四ツ木・1992.4)
7150形は京急1000形を譲り受けたもので、メタリックシルバーのかなり無茶な塗装でまさに異彩を放っていた。

都営5300形(四ツ木)
立派になった現在の四ツ木駅ホーム。穴あきアーチの鉄骨屋根は京成船橋駅でも採用されている。

都営5300形(四ツ木・1992.4)

都営5000形(四ツ木・1991)
90年代になっても非冷房でしれーっと走っていた都営5000形。先頭の2両は側扉の窓のRが大きい車両で、あまり見かけなかったタイプ。

京急600形「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」(四ツ木)
意外に待たされてようやくやってきた青い京急。横浜開国博開催中は「たねまる」のステッカーが貼られていたが、元に戻ったようだ。ちなみに開国博は大スベリだったそうで、物議を醸している。
出発後の後追いを撮りたかったのだが…

北総9000形(四ツ木)
見事に被られましたとさ。青京急にコルゲートが映ってステンレスカーに見えるのが面白い。

北総9000形(四ツ木)
うーん、すばらしくこの駅に似合ってるなぁ。でもこの9000形、いつまで走ってるんだか。2編成だけの存在だ。

公団2000形(四ツ木・1992.4)
北総線の高砂開業により京急まで足を伸ばすようになった住宅・都市整備公団2000形。のち、京急2000形との重複を避けるために9000形への改番が行われた。車両の所有は都市基盤整備公団を経て千葉ニュータウン鉄道となった。
写真の2101号は現在の9001号。先の写真のやつじゃないほうの編成だ。車号だけでなく、貫通扉のロゴの有無や運行番号表示器のハコの色、方向幕が種別とのセパレートタイプになるなどの変化が起きている。

京急1000形(四ツ木・1992.2.11)
下りホーム立石寄りから上り列車先頭を狙った写真があまり出てこなかった。これは数少ない1枚。

京急1500形(四ツ木・1992.4)
1500形の黒地行先表示も今は昔。
青京急を撮ったところで四ツ木は終了。9000形の次の下り電車に乗って移動した。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
いまのカメラでは京成押上線での撮影をしていないので、京成立石・四ツ木・八広のどこかで撮ろうかと。
チャリで東中山へ。
改札を入ったところでやってきた羽田空港行快速は初めてナマで見る「スペーシア」だった。ホームに降りたときはすでに先頭へ回って撮れるタイミングではなく、そのまま乗り込んだ。
走行中に先頭車へ移動。乗務員室後部はクロスシートが2対残り、助手側は特等パノラマ席と化している。幼い子を連れた家族が占拠していた。
この車両を撮るためだけに京成小岩で降りた。

京急600形・スペーシア広告車(京成小岩)
「スペーシア」の正体は日光・鬼怒川への観光広告がラッピングされた600形。京急の車両に東武特急スペーシアの写真が貼られていて、京成を走っているという面白い状態になっている。
反対に東武では日比谷線直通の20000系に京急広告車(くりぃむしちゅーの2人がデカデカと)を走らせている。

AE100形(京成小岩)
次の列車を待つあいだ下り列車を撮影。すでに建物の影が伸びてしまっている。
写真手前には下り線〜上り線の片渡り線があり、折り返しができるようになっている。青砥駅の高架化工事の時代などは京急車の小岩折り返し運用もあった。
列車を乗り継いで京成立石へ。どの列車を狙うということではないので、いろいろ撮ってみようという魂胆だ。

京急新1000形(京成立石)
立石は下町の地平対向ホームの駅で昭和の雰囲気があるが、実は葛飾区役所の最寄り駅だったりする。
本線にはかつて葛飾駅があったが、葛飾区の駅だと勘違いする人がちょいちょいいたらしく、京成西船と改称された。もとは千葉県東葛飾郡葛飾町だったためで、「西船」は国鉄が設けた西船橋駅の地元の通称(私もそう呼ぶ地元民)であり、それが元で住居表示にも採用された地名。
京成西船駅に改称されたのはその国鉄がJRへ変身した1987(昭和62)年4月1日だ。同日、国鉄千葉駅前駅が京成千葉駅に、京成千葉駅が千葉中央駅に改称されている。理由は言わずもがなだ。
メトロ東西線浦安駅がある浦安市は東京都江戸川区に接しているが、東西線開業当初はこちらも東葛飾郡の浦安町だった。郡部に地下鉄の駅(高架区間だけど…)ができたのは最初で最後ではないだろうか。

京急1500形(京成立石)
押上線にいると京急の駅にいるような錯覚に陥るのは今も昔も変わらないようだ。
他の駅の様子を見るため、この列車で押上まで進む。

京急1500形(押上)
おとなしかった赤い普通は押上で降りたら快特に変身していた。アングラではブイブイいわせてるようだ。

3500形更新車(押上)
ところが、後続の3500形更新車がエアポート快特としてとっとと先行していった。押上ではまだ京成が強いのだ。
くだらない話をしているあいだに、向こうのホームには青い青砥行が…。これはどこかで待ちかまえよう。
…ということで、押上駅独特の狭くて浅い通路へ降り、改札を入り直してから下り列車に乗る。
鉄橋を渡るシーンが魅力な八広では先客が2名ほど。ちょっと撮りづらそうなので敬遠して、次の四ツ木で降りた。
四ツ木では過去にちょいちょい撮っていたので、なつかし写真も絡めながら載せよう。

3700形(四ツ木)
下りホームより。以下、当日の写真はすべて下りホームでのもの。

3150形(四ツ木・1992.4)
上りホームからの写真。荒川の橋梁掛け替え前は築堤でホームの高さまで上っていた。

北総9100形(四ツ木)
うーん、とってもパワフルな構図がとれるが、上を向いている分日が当たりすぎだな…

北総7000形(四ツ木・1992.4)
四ツ木駅旧ホームは足元がスカスカな感じの構造。柵は現在も千葉線ホームでよく見られる、鉄線がデルタ上に通してあるタイプ。

北総7150形(四ツ木・1992.4)
7150形は京急1000形を譲り受けたもので、メタリックシルバーのかなり無茶な塗装でまさに異彩を放っていた。

都営5300形(四ツ木)
立派になった現在の四ツ木駅ホーム。穴あきアーチの鉄骨屋根は京成船橋駅でも採用されている。

都営5300形(四ツ木・1992.4)

都営5000形(四ツ木・1991)
90年代になっても非冷房でしれーっと走っていた都営5000形。先頭の2両は側扉の窓のRが大きい車両で、あまり見かけなかったタイプ。

京急600形「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」(四ツ木)
意外に待たされてようやくやってきた青い京急。横浜開国博開催中は「たねまる」のステッカーが貼られていたが、元に戻ったようだ。ちなみに開国博は大スベリだったそうで、物議を醸している。
出発後の後追いを撮りたかったのだが…

北総9000形(四ツ木)
見事に被られましたとさ。青京急にコルゲートが映ってステンレスカーに見えるのが面白い。

北総9000形(四ツ木)
うーん、すばらしくこの駅に似合ってるなぁ。でもこの9000形、いつまで走ってるんだか。2編成だけの存在だ。

公団2000形(四ツ木・1992.4)
北総線の高砂開業により京急まで足を伸ばすようになった住宅・都市整備公団2000形。のち、京急2000形との重複を避けるために9000形への改番が行われた。車両の所有は都市基盤整備公団を経て千葉ニュータウン鉄道となった。
写真の2101号は現在の9001号。先の写真のやつじゃないほうの編成だ。車号だけでなく、貫通扉のロゴの有無や運行番号表示器のハコの色、方向幕が種別とのセパレートタイプになるなどの変化が起きている。

京急1000形(四ツ木・1992.2.11)
下りホーム立石寄りから上り列車先頭を狙った写真があまり出てこなかった。これは数少ない1枚。

京急1500形(四ツ木・1992.4)
1500形の黒地行先表示も今は昔。
青京急を撮ったところで四ツ木は終了。9000形の次の下り電車に乗って移動した。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

