2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現Googleアルバム経由での再貼付しかなく、アルバムの貼り直しから進めていました。
しかし5月4日に作業の続きをしようとしたら、古いリンクが復活してるではないですか!💢
ということで、再貼付準備をした分(これが結構進んじゃった。最悪)は
記事の方の貼り直しを進めます。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。(←ここ変わってない)

2024/02/17

カラフルトレインズ・5/JR113系

今回は113系。新性能電車の近郊形は交直両用車401・421系が最初であり、その後直流専用の111系が登場。113系はそのパワーアップ版。
401・421系は153系同様運転台が低いクハが存在するが、111系以降の東海顔は高運転台のみである。


113系

113系は湘南色、スカ色のほか、阪和色、春日色(関西線)が国鉄時代に登場。後ろ2つは撮れる機会がなかった。
阪和色については国鉄末期に1両だけ房総ローカル用に転入ししばらくそのままの色でいたそうで千葉県民の私としては見られなかったのが惜しいが、ちょうど私が中1で撮影を始める頃にはスカ色に変わっていたと思われる。

111系が最初に投入されたのは東海道線東京口。
普通列車に用いられていた旧国80系や153系は2ドア・デッキ付であり、通勤ラッシュ時の乗降に手間取っていた。他方で長距離利用も考慮し、結果として401・421系同様の直流セミクロスシート車導入となった。
111系のモハは64ユニットで製造終了し、モーター出力を強化した113系に移行した。111系モハユニットは113系登場後静岡地区や山陽線へ転用されている。


東海道線113系(東京・1989)

私が撮影を始めた頃の東海道線東京口はグリーン車2両入り11連が基本編成で、付属編成が4連。最大15両編成で運用された。
一部、4連を2本つなげたグリーン車のない8両編成の列車もあった。
東海道線 なつかし写真・1


東海道線113系(東京・1987.11.8)(d)

サロ111は111系として新製された車両。サロ153の車掌室なしバージョン。この写真は中1で初めて撮り鉄をした日のもので、トップナンバーを見つけて真横から撮ったもの。
ほかに、モデルになったサロ153が転入したサロ110、一段下降窓のサロ152・サロ163改造のサロ112、定員の少ない新製車サロ113などが登場。サロ110に関してはその後特急・急行形からの改造車がどんどん詰め込まれた。モハが113系になってもトレーラーのクハ・サハ・サロについては基本的に111系の数字を継続したが、サロについてはもう何が何だか…というところ。


東海道線113系(品川・1989)

サロの極み付がこちら。グリーン車は自由席であることから、通勤時間帯は事前にグリーン券を購入しても着席できないケースが増えた。改造編入車の老朽化取り替え目的もあり、211系とともに113系にも2階建てグリーン車が導入された。
211系と基本構造は共通であり、ご覧のように編成時は違和感しかないビジュアル面となった。形式は車掌室付がサロ124、トイレ付がサロ125となり、前者が多く用意された。後年すべて211系に編入されている。


東海道線113系快速「アクティー」(東京・1990)

快速「アクティー」に充当された姿。東京口の東海道線は東京—横浜間において京浜東北線に、横浜—戸塚間で横須賀線に対する快速列車のような存在であるが、アクティーは横浜以西でも通過駅がある。
設定当初の通過駅は戸塚・辻堂・大磯・二宮・鴨宮・早川・根府川だったが、その後徐々に通過駅が減っていった。最後は夜の下り2本のみとなり、昨年3月のダイヤ改正で消滅した。


東海道線113系(熱海・1988)(d)

熱海駅はJR東日本とJR東海の境界駅であり、東京口とは別の113系が待っていた。4連は東京口へ付属編成としても乗り入れた。
JR東海車は側面のJRロゴが小さいのと、ボックスシートに枕カバーが付いていたので区別がついた。



京阪神113系(米原・1991.9.15)(d)

米原で寝台急行「銀河」から北陸線へののりかえの際についでに撮った京阪神の113系。
後になって私はこの2枚が同じ編成かと思っていたのだが、1枚目の奥のクハがJR移行後の分散冷房改造車に見えるので、これは別々の編成かもしれない。2枚目も4連と思ってたが、後ろがカーブのため、もっと編成が続いているかもしれない。
おそらくこの時代、東京から下関まで113系だけを乗り継いで行けたのではと思う。
東海道線 なつかし写真・2


奈良線113系(京都・1991.9.16)

こちらは翌日、特急「タンゴエクスプローラー」で京都に着いた際、やはりついでで撮ったもの。
奈良線だけに春日色の可能性もあったが、湘南色。京阪神・湖西線・山陰線でも湘南色の113系が走っており、京都駅は湘南色だらけだった。まぁ今は221系だらけと言えるか。
東海道線 なつかし写真・6


外房線113系(誉田—土気・2011.5.3)

房総用が残るのみとなっていたJR東日本の113系も終焉が近づき、湘南色がリバイバルカラーとして2本登場した。過去には横須賀・総武快速線も含め、転入車が湘南色のままで走ったこともある。
この列車は6連のマリS62と4連のマリ117の湘南色2本が揃って10両編成を組んだ姿。この時点で113系の6連はマリS62のみとなっており、7日後には長野へ廃車回送された。
撮影時記事


横須賀・総武快速線113系(横浜—保土ケ谷・1992.9.6)

東海道線に次いで111系が投入されたのが横須賀線。東海道線同様113系に移行した。111系は湘南色だったが、113系移行後にスカ色に変更した。
正味の横須賀線は大船—久里浜間23.9kmのみであるが、東海道線の貨物線と地下別線を走る東京—大船間も路線系統名として横須賀線とされている。
写真は並行する相鉄本線の平沼橋駅から撮ったもので、私の中で数少ない横須賀線区間での一枚。


横須賀・総武快速線113系(本八幡・1991)

総武快速線には東京地下駅延伸時に1000'番台が投入された。
当初地下線対応でA-A基準準拠の1000番台が用意され先に房総各線で走り始めたが、地下線ではATCを使うこととなり、ATC対応・ユニット窓・冷房準備車の通称1000'番台が改めて造られた。のち、冷房付での新製に移行した。
地下線の品川延伸後に直通運転する横須賀線にも1000'番台が投入され、直通開始後はボックスのシートピッチを拡大した1500番台も投入された。
総武快速線 なつかし写真・1


横須賀・総武快速線113系(千葉・1990)

スカ線のサロも111、110、113や特急形からの編入車があった。
特にサロ113はこのスカ線系統用に新製されたもので定員48名の優雅な車両。京阪神や宇野線に飛んでいた時期もあったが、転用先のグリーン車運用廃止でスカ線にすべて戻っている。鋼製サロに絞って撮った写真がなかったのは失敗だ。
写真は東海道線とともに導入されたサロ124。211系と同じ斜めの線もある帯装飾となった東海道線用と違い、スカ線向けは側面中央を直線でぶった切る別デザインとなった。
211系に編入後も湘南色帯が直線に入ったため、元スカ線車両であることがひと目で判った。


横須賀・総武快速線113系(津田沼・1994.4.17)

成田線で運転士が亡くなる踏切事故が起きたことを受け、東海顔の各系列に前面補強が施された。
当初は写真のように一部にカラー帯を貼っただけで、「鉄仮面」と称された。4枚アンチクライマーが目立つ。のちに塗装されて色の見た目は原状に回帰している。
前面補強自体は国鉄時代から順次行われていたもので、全車がこのアンチクライマーの見た目になったわけではないが、その従前のものより強固な形とのこと。
総武快速線 なつかし写真・2


房総113系(千葉・1989)

千葉駅を起点とし北へ東へ南へ進んでいく房総各線には、様々なタイプのスカ色がゴロゴロしていて楽しかった。
こちらは非冷房のマリ242で、ネット上で調べたところ写真の先頭車は千葉方のクハ111-1337と思われる。
当時路線別方向幕を用いておらず、この列車がどの路線に行くかは今になってはわからない。


内房線113系(千葉・1991)

内房線の線内快速に就いたマリ69。総武線からの直通でない快速の写真はこれ1枚のみだ。
隣に201系がいるということは、このホームが内房線発着ホームであり、内房線と確定した。
写真のデカ目はクハ111-1324で、上のシールドビームの1337と番号が近いが、クハ111-1300台は1332以降がシールドビームでの新製だそうだ。
房総各線 なつかし写真・1


外房線113系(安房天津—安房鴨川・2011.5.27)

房総各線ではある時期から正面の方向幕の地色で行先の路線を示すようになった。赤は外房線。
写真は手前からマリ217+マリ106の8両編成。安房鴨川行で「勝浦回り」と付記されている。側面方向幕は白地のままだったのが、サービスとしては中途半端だった。その点は211系では改善されている。
撮影時記事


内房線113系(長浦・2010.8.3)

内房線の正面幕は紺。まぁそれまでの「普通」幕と変わらない色だ。
手前から4連マリ116+6連マリS65の10両編成。紺幕での安房鴨川行は「木更津回り」と入る。撮影時記事


総武本線113系(物井・1992.9.27)

現在と印象が違う、ローカル感溢れるホームの物井駅。
千葉以北の総武本線は黄色幕。千葉以西の緩行線との区別のため、敢えて総武本線と案内しているが、黄色は緩行線と一緒という…。マリ72は1000番台で揃った6連。


成田線113系(物井・1992.9.27)

成田線は黄緑幕。
写真はマリ217で、外房線の写真と同じ編成番号だが、タイフォンの位置からして、車両は入れ替わっているようだ。房総各線 なつかし写真・2


鹿島線113系(成田・2010.2.21)

成田線の香取から分かれる鹿島線は、成田線と同じ色。鹿島線は香取から2駅目の十二橋駅以降は茨城県であり、113系は茨城県も走っていた。
マリ214はアンチクライマーが目立ち、鉄仮面タイプの補強がされているのがわかる。
撮影時記事


東金線113系(大網・2008.11.8)(mb)

大網始発で東金線内運用のこの列車は「普通」を表示していた。
編成番号札が見えてないが、データを漁ったら当時の記録が見つかり、この車両はマリS66のクハ111-1133と判明した。
通常は東金線は外房線と同じ赤である。
アルバム 房総各線113系


113系新聞列車(市川・2010.2.13)

房総113系の特筆列車が、この「新聞電車」。
房総半島の指定地区へ配達する夕刊を積んだ列車で、総武線両国駅3番線で新聞を積み込み、千葉駅から外房線・内房線の営業列車として運転するもの。そのため、千葉駅までは4連を2本併結して回送列車として走る。
2010(平成22)年3月のダイヤ改正で廃止された。113系の前はクモユニ143が使われていた。
撮影時記事


113系「旅れっしゃ京葉号」(海浜幕張・2010.5.29)

びゅう商品の一環として運転された「旅れっしゃ京葉号」。京葉線で113系に乗車できる列車で、6両のうち3両は一般客も乗れるというステキなもの。
海浜幕張での38分停車の中、正面幕回しのサービスが始まった。「快速 茂原」という面白い幕。快速の文字色は「外房線なので赤」のようだ。リンク記事参照。
撮影時記事


クハ111-1072・2152(ポッポの丘・2015.10.19)

スカ色マリ218のクハ111-1072と湘南色マリ117のクハ111-2152。
共に2011(平成23)年に廃車後長野県上田市の民宿に据え付けられたが、その後2年ほどで千葉県いすみ市の『ポッポの丘』にやってきた。
民宿へ行った時点でカットボディとなっており、2つのクハ183と4つ並んで余生を過ごしている(183系の1つはフルボディ)。
露天展示のポッポの丘の課題である雨ざらしのため塗装がボロボロになっていたが、昨年クハ111-2152は修復された。その際湘南色からスカ色に変身している。現在は写真の状態から1072と2152の位置が入れ替わっている。
撮影時記事


湖西線113系(大津京・2016.3.19)

湖西線は1974(昭和49)年に開業し、耐寒耐雪装備の700番台が用意された。115系っぽい感覚もあるが、抑速ブレーキ不要ということなんだろう。
その後草津線電化時に登場した車両が2000番台ベースの耐寒耐雪仕様の2700番台で、基本的にこの2つの番台が湖西線と草津線をまかない、のちに高速化対応改造され、+5000の5700・7700番台となった。
私の中では湖西線は湘南色で正面幕は赤地白抜き文字で「湖西線」と書かれたイメージだったが、この写真の時には抹茶色・水色幕に変わっていた。パノラミックウィンドウの桟がなくなり、1枚ガラス化されている。ベンチレーターも撤去されている。
撮影時記事


湖西線113系(京都・2016.3.19)

こちらは正面の桟や通風器どころか、体質改善工事で更にあちこち角が取れまろやかになった編成。車内も転換クロスシートとなり、ゴリゴリに変身している。
車体色はJR西日本が塗装工程省力化のため単色化したもので、深緑は「京都・北近畿地区地域統一色」である。
撮影時記事



山陽線113系(岡山・2019.7.15)

山陽線岡山地区の113系は瀬戸内地区地域統一色の黄色。いつまでも国鉄車両を使い続けることを揶揄され「末期色(まっきいろ)」とも呼ばれる。
現在は115系と入り交じって走っているが、残っている113系はすべて体質改善車で揃っている。ただ正面の方向幕が自動化されていないことから、正面は何も表示を行っていない。115系はLEDで行先を表示しており、見分けがすぐにつく。
227系Uraraの投入により今後置き替えが進められる。
撮影時記事


予讃線113系(高松・2018.7.17)

さいごはJR四国に移った113系。国鉄再末期の予讃線電化当初は111系が静岡から転用され、新製の121系とともに活躍した。
その後111系の老朽化を受け、6000系を2本新製したが、残りはJR東日本から113系を譲受し、魔改造が施された。
正面は方向幕がヘッドライトケースに変わり、両側の窓下は補強(私は「宍戸錠化」と呼んでいる)のうえ新たにライトケースを設置。表示幕は新たに貫通扉に設けた。
4連3本が改造され、それぞれ異なる派手なカラーリングとなった。車号は四国独自のものとして1から振り直され、先頭車も113系らしいクハ113・クハ112を名乗っている。



予讃線113系(岡山・2018.7.17)

車内はJR西日本風に扉間転換クロスシートとなり、居住性は改善されている。
そして、四国車独自の点が、写真の「モハ112の乗務員室」。無人駅での集札や監視の際、編成の中間にも乗務員室があると便利なようだ。横から見ると一見切妻先頭車のようにも見える。
四国の113系は写真の翌年8月にこの編成を最後に全廃。同2月には121系の7200系化も完了しており、JR四国の電車がVVVF車で統一された。
撮影時記事

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。