前回の続き。塩尻から岡谷まで移動。
119系3色
岡谷は中央東線が塩嶺トンネル経由と辰野経由に分かれる駅。岡谷—辰野間は辰野からの飯田線と一体化しており、この駅までは頻繁に飯田線の列車が現れる。
飯田線119系(岡谷・1989.9.16)
スカイブルーにライトグレー帯の119系デフォルト色。
119系は1982(昭和57)年に登場し、スカ色の旧国群を飯田線から排除し一気に新鮮なイメージに切り替えた車両。国鉄の新性能近郊形車両としては唯一の裾絞りなしの車体で、通勤形の105系に似たスタイルとなったが、車内はセミクロスシートになっている。
岡谷には飯田線折り返し用0番線切り欠きホームがあり、このように車両を正面から撮ることができる。背後の高架橋は中央自動車道で、中央東線を高所から見下ろしている。ちなみに写真左端に見える白い車両は183系グレードアップ車。
115系(岡谷・1989.9.16)
下諏訪では小淵沢行でやって来た姿を撮ったN21編成。平成になったこの年でも、未だ冷房準備のままで走っていた。
飯田線119系(岡谷・1989.9.16)
飯田線はJR化後はJR東海の路線となり、119系は211系に合わせた「湘南色帯」のスタイルに塗色変更された。気動車や身延線のクモハ123も同スタイルとなった。113・115・165系のように全身湘南色でもよかったと思うが。
なお、身延線のクモハ123の種車であるクモユニ147は119系と同じスカイブルー+ライトグレー帯の塗装で製造されて飯田線で活躍した。
183系特急「あずさ」(岡谷・1989.9.16)
貫通形の初期形クハ先頭の「あずさ」。プリントのせいではなく、実際にこんな色あせた状態の車両だった。側面方向幕は愛称名表記がないシンプルなもの。
飯田線119系(岡谷・1989.9.16)
飯田線専用に製造された119系だが、一時期東海道線静岡地区の普通列車増便のために転用、冷房改造・塗色変更され「するがシャトル」として活躍。代わりに飯田線には165系が転入した。(211系のするがシャトル仕様方向幕はこちら)
ただ、高速性能に劣る119系はダイヤにのせるのが難しかったようで、2年半ほどで飯田線に帰ってきた。東海道線では写真の半年前まで走っていたため、するがシャトル色のままで飯田線を走っていた。
119系はするがシャトル色のみが集中形AU75を積んだ冷改車だったが、飯田線生え抜き車もこの年からJR東海独自のインバータクーラーAU711での冷改が始まった。
小淵沢へ帰還
115系・小海線キハ58系(小淵沢・1989.9.16)
たぶん岡谷からこの115系に乗って戻ってきたんだろう。小海線のキハ58は札からキハ58 427とわかる。
115系(小淵沢・1989.9.16)
中央東線は東のスカ色、北の湘南色と、2色の115系が常に混じり合っていた。さらに信州色の登場でにぎやかになった。
2本のスカ色115系のうち立川行564MはAU712の簡易冷改、高尾行566MはAU75の集中冷房を載せているが、ともにデカ目の初期車。
下諏訪のアキ座
日は翌日になって1989(平成元)年9月17日。この日は特急「あずさ」に乗って帰宅するのだが、珍客が来ることをDJ誌で知っていたのでまず帰宅とは反対方向へ進み、前日に続いて下諏訪へ。
キハ58系秋田お座敷車(下諏訪・1989.9.17)
ふだんは東北地区のみで運行されるこの列車が、珍しく東京を越えたところまでやってきた。前日は14系「アルプス」がいた3番線でやはり留置中だった。
ぶどう色ベースながら派手な塗装だが、この編成には愛称がなく「秋田お座敷」「アキ座」と呼ばれていた。私がこの「アキ座」をナマで見たのはこの時一度きりだ。
キハ58系秋田お座敷車・115系(下諏訪・1989.9.17)
ホームを挟んで115系と並ぶアキ座。キハ58系との顔合わせは日常でも、このカラーリングとなると不思議な光景。
キハ58系秋田お座敷車(下諏訪・1989.9.17)
HMは「お座敷」と一言。「花笠」の女性のテキトーな顔が面白い。
この「アキ座」は2年後にリニューアルされてピンク系に塗色変更され「こまち」の愛称がついたが、秋田新幹線開業で「おばこ」に改称され、のちキロからキハへの格下げとさらなる塗色変更を経て廃車となった。
169系(下諏訪・1989.9.17)
中央東線にも169系の普通列車が走っていた。そういえば、しなの鉄道の169系が再び湘南色に戻ったとか。房総の113系のほか185系も1本湘南色になったりと、湘南色復刻ブーム?
飯田線119系(下諏訪・1989.9.17)
飯田線からの列車は岡谷からさらに中央東線に入ることもあり、この列車はとなりの上諏訪まで行く3両編成。アキ座をかすめながら出て行った。この岡谷に近い辺りは車両のバラエティが豊富で楽しい。
先頭の車両はM4の札があるので、両運転台化された車両。119系は105系と同じ1M車で、両運転台車の新製はなかったが中間車はなく、クモハとクハのみ。クモハのほうが数が多く、そのうちの9両が改造で両運転台化された。
183系特急「かいじ」(下諏訪・1989.9.17)
私の乗る「あずさ」の前に下り「かいじ」が登場。この先単線となるため、交換待ちのようだ。
183系特急「かいじ」・「あずさ」(下諏訪・1989.9.17)
私ののるあずさは白地に緑と赤のライン+下部ベージュという不思議な塗装の「グレードアップあずさ」編成。側窓を貫く2本のラインはまったく似合っておらず、私はあまり好きではなかった。
グレードアップあずさは指定席車のハイデッカー化が行われているため、現在の波動用183・189系に見られる大窓車を生み出した。シートも指定席車はマトモなリクライニングシートとなったが、私が乗った自由席車は従来のままの簡易リクライニングシートで、座席を倒しても固定できないもの。眠って気をぬくと「ガチャン」と音がしてデフォルトに戻ってしまう誠に居心地の悪いものだった。自由席車はハイデッカー化が行われていないため窓の天地も変わっておらず、外からもすぐわかる。
183系特急「あずさ」(新宿・1989.9.17)
新宿に到着後撮ったもの。オートだが、露出が合っていない。白い車体がいけないのだ。補正をしたが…。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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