2010/10/26

宇都宮・高崎線・3&上越・両毛線 なつかし写真

2010年10月26日付で立てたこの記事だが、複数のミスが重なり結果的に削除してしまっていた。
13年半後の2024年6月になったが、改めてその時に書いている体(てい)で記事を再作成。
なお何を書いたか憶えてないので、改めて新鮮な気持ちで書いていく。


211系

東北・高崎線中電に211系が投入されたのは1986(昭和61)年2月。寒地仕様の1000番台(セミクロスシート)・3000番台(ロングシート)の割り当てであるが、実は0・2000番台より先に営業運転に入ったんだそうだ。



211系(上野・1988)

東海道線向け0・2000番台同様、初期の車両は前面のアイシャドウがグレーで、ライトケースのヘッド・テールのフレームの配分が1:1となっている。
これは製造時期が近い415系1500番台も同じだ。


211系(尾久・1988)

数としては圧倒的に多いのが、こちらのアイシャドウが黒・ライトケースのフレームがヘッド広・テール狭の比率の顔。



211系(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)

東北・高崎線用はすべて5連で新製。当初の計画は15両編成時に1000番台×1+3000番台×2の組合せをする形とし、製造もその比率で行われた。現在のようなグリーン車の組込みは一切なかった。
写真で手前の2線が現在の湘南新宿ラインの列車が走る東北貨物線であるが、そこを走っての池袋までの乗り入れが始まった頃に211系1編成のみ5両編成の列車があり、案の定車内はラッシュ状態だった。実見したので、土日の列車だったと思う。


211系(東十条・1989)

運行番号の千・百が39なので、高崎線快速「スイフト」運用と思われる。
当時は昼間のヘッドライトは消灯がふつうだったので判りづらいが、この顔はこの列車の先頭側である。


211系(尾久—赤羽・1989.8.7)

跨線橋の「たまたま撮影に都合の良いところに空いていた穴」から撮った写真。
いまはエレベーター付の跨線橋になっているが、当時は普通の歩道橋で、半透明のアクリル板が柵に貼られていたのだが…。


211系(大宮・1990)

1990(平成2)年より、東北線の上野—黒磯間は「宇都宮線」の愛称が新たに制定された。
115系では愛称制定前から側面に東北線が青サボ・高崎線が白サボを挿していた(当時の両線は側面方向幕はあっても準備工事まで)が、211系では両線とも普通の白地方向幕だった。
211系の宇都宮線幕が緑になったのはずーっと後の話。


211系(大宮・1991.6.6)

211系1000・3000番台の基本5連は北側にパンタ付クモハが来る、Mc-M-T-T-Tcの編成。
これは将来の支線転用も視野に入れており、サハを抜けば最短3連が組める。







211系甲種車両輸送列車(品川・1989.8)

品川で遭遇した甲種輸送列車。PFに牽かれてきたのが写真でわかるが、PFを含めた編成写真は撮れていない。前面ライトが未取付で、金属製のフタが赤丸用に付けられている。


上越線と両毛線

上越線と両毛線はわが家からは遠いためなかなか撮りに行く機会がなかったが、少しだけ写真がある。


115系(八木原・1991)

3連の列車。八木原駅では2000(平成12)年2月まで貨物列車の発着があったようだ。


107系(新前橋・1990)

新前橋の電留線にいた107系。107系は日光線用に登場した0番台と、高崎口各線区用の100番台があり、これは100番台。
日光のNを大胆にデザインした0番台と異なり、直線ながらも緑とピンクを配した派手な塗色が特徴。



107系(群馬総社・1991)

107系は165系の機器を流用した準新車であり、クハの分散型冷房装置がその分かり易い部分。
私はライトケースが「カバーを外した」ようなデザインで好きでなかったな。前面方向幕の英字は側面用の「FOR」を消したようなアンバランスな位置にあるのもまた気持ち悪い。



115系(桐生・1990)

両毛線桐生駅は2面4線の立派な高架駅で、わ鐵の車両もやって来る。
この115系はクモハを含む非冷房4連で、高崎方はデカ目・方向幕白目だ。


水戸線415系(桐生・1990)

桐生へ来たのはこの列車に乗ってきたからであった。1日1往復、水戸線の列車が桐生まで直通していた。415系が定期列車で群馬県まで来ていたわけだ。
水戸線と両毛線の連絡線のさび取りなどの目的もあったのかな?





115系(小山・2008.11.8)(mb)

こちらはブログ開設前年に「大回り旅」をしたときのもの。
8時台に我孫子線に乗っているときに、この両毛線の遅延情報が出て焦ったが、13時前発のこの列車は定刻で、しかも107系でなく115系。高崎までクロスシートにありつけたのは大きかったな。
もしこの列車が遅れたら、高崎で3分接続の八高線に間に合わず(八高線、めっちゃ本数少ない)、半日で計画が失敗になるところだったのだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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