まだまだ続く宇都宮・高崎線ネタ。今回は「新特急」。
東北新幹線が大宮から上野へ延伸した1985(昭和60)年、東北・高崎線の165系急行列車は185系への置き換えにより特急に生まれ変わった。
停車駅の多さと185系の設備レベル(非リクライニングの転換クロスシート・開閉式の側窓…)から通常の特急よりも廉価な設定となり、通常の特急との区分けのために愛称に“新特急”を冠したスタイルとなった。
新特急なすの
特急「新特急なすの」は1985年、急行「なすの」を格上げする形で登場した。上野—黒磯間の東北(宇都宮)線特急。
185系特急「新特急なすの」(尾久・1988)
登場時は9往復設定されたなすのだが、この1988(昭和63)年に登場した快速「ラビット」へ4往復が転換された。急行時代からの利用者にとっては新特急の料金といえど値上げで、所要時間も変わらず利用が伸び悩んだそうだ。なお、ラビットとは停車駅が変わらなかった。
185系特急「新特急なすの」(鶯谷・1989)(f)
尾久の写真と同じ5006M。上野に夕方着の新特急なすの6号だが、この夕方の風景でヘッドライト滅で走っているのが終日点灯の現在との違い。
185系特急「新特急なすの」(上野・1989.8.7)
新特急に用いられたのは耐寒・耐雪仕様の185系200番台。斜めストライプが国鉄にしては派手と話題になった田町区の「踊り子」用0番台と違い、帯は横一本のシンプルなものになった。7連であることや、ヘッドマーク下の通風口にフタがされているのも0番台との違い。
0番台同様投入当初は急行運用もあったが、のち上野—大宮間の「新幹線リレー号」用として定着した。これは上野—大宮間の工事が遅れ、東北・上越新幹線が大宮始発で暫定開業したためのアクセス列車で、新幹線のきっぷを持っている客のみ乗車ができた。
東北新幹線上野延伸後、185系200番台はこの新特急用と田町へ移籍の踊り子用に分散された。
185系特急「新特急なすの」(池袋・1991)
1990(平成2)年、なすのは大ナタが振るわれ、4往復が快速「ラビット」・「スイフト」に転換。残った1往復は東北新幹線との重複を解消し新宿始発に変更、上野口からなすのが姿を消した。
1995(平成7)年に東北新幹線の那須塩原発着列車に「なすの」の名称をゆずり、上りが「新特急おはようとちぎ」、下りが「新特急ホームタウンとちぎ」と改称。2002(平成14)年には“新特急”の呼び名が消えた。
そして今年12月のダイヤ改正で、特急「おはようとちぎ」・「ホームタウンとちぎ」はついに廃止されることになった。
新特急あかぎ
特急「新特急あかぎ」は1982(昭和57)年に急行から昇格した特急「あかぎ」が1985年に改称されて登場した。基本は上野—前橋間を結ぶ東北・高崎・上越・両毛線(後者2つはわずかな区間)特急で、登場時は桐生始発の上り列車もあった(桐生—前橋間は普通列車)。
185系特急「新特急あかぎ」(尾久—赤羽・1989.8.7)
あかぎの写真はこの1枚しかなかった。
なすのと同じように運転区間のほとんどが上越新幹線と被る列車だが、こちらは現在も多くの本数が運転され、7連を2本つないだ14両編成もあるが、前橋発着の場合は新前橋で増解結を行い、たったひと駅間を7連で走る。
1993(平成5)年には新宿発着列車も登場し、のち休日のものは「ウィークエンドあかぎ」の愛称が付いた。現在新宿口の列車は田町区の185系が担当し、あかぎのカラーリングは2パターンとなっている。
現在のダイヤは下りが夜のみ。上りは朝に集中しているが、夜にも平日2本・休日1本の設定がある。またグリーン車以外は全車自由席というのも特徴的だ。このあかぎについても12月の改正で休日の列車について減便されることが発表された。
新特急谷川
特急「新特急谷川」は1982年に登場した特急「谷川」が1985年に改称したもので、急行「ゆけむり」が元。上野—水上間の東北・高崎・上越線特急。
185系特急「新特急谷川」(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)
谷川はあかぎの要素に加え、高崎から先の上越新幹線が通らない駅へのアクセスを担う。谷川岳を模したヘッドマークが用いられた。写真は新特急同士のすれ違い。
185系特急「新特急谷川」(上野・1989)
1997(平成9)年に上越新幹線の高崎・越後湯沢発着列車が「たにがわ」を名乗ることになり、「新特急谷川」は「新特急水上」に改称された。
185系特急「新特急谷川」(大宮・1991.6.6)
現在の特急「水上」は全列車が特急「草津」との併結運転となっている。なお、両列車は上野—渋川間で同じルートをたどるが、分割併合は人員配置の都合で新前橋で行われている。
12月の改正でこの水上は3往復すべて廃止。定期列車としての消滅が決まっている。
新特急草津
特急「新特急草津」は1985年に特急「白根」と急行「草津」を統合して誕生した。こういうケースで特急だった方の名前が使われなかったのは面白い。
名前のとおり温泉地・草津を目指す、東北・高崎・上越・吾妻線特急。
185系特急「新特急草津」(上野・1988)
822Mを表示して停まっている「新特急草津」。822Mはこちらに載せた籠原発上野行普通列車で、その折り返しから特急となるわけだ。
185系特急「新特急草津」(浦和—北浦和・1988.12.25)
185系特急「新特急草津」(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)
6線区間の真ん中を快走する草津。国鉄・JRの駅としては“草津”というと東海道・草津線の草津駅が思い浮かぶ。電車図鑑で153系新快速が「草津」を表示して走る写真を観ていた幼いころの私は、草津温泉は関西だと思っていた。
その草津温泉を通る吾妻線には“草津”が付く駅がなかったが、1991年に長野原駅が長野原草津口駅に改称されてわかりやすくなった。
185系特急「新特急草津・新特急谷川」(尾久—赤羽・1989)
王子の京浜東北線・東北貨物線との合流点に近づく新特急草津1号。2001Mは後ろ7両の新特急谷川1号の運行番号。
ほかの3系統とともに2002年に愛称から“新特急”がなくなり、現在は平日3往復・休日4往復の体制で運行が続いている。4系統の中で12月改正で現状維持となるのはこの草津のみ。
185系は新前橋車が1995年から、田町車が1999(平成11)年からリニューアル改造された。ともに普通車もリクライニングシートとなりようやく特急車らしい内装になった。また外観は新前橋車が赤・グレー・黄色、田町車がオレンジ・緑(湘南色)のブロックパターンが描かれたものに変更。塗装フォーマットは両者同一だ。
2006(平成18)年に高崎車両センター(新前橋電車区から改称)の185系は大宮総合車両センターに移籍、そして今年、OM03編成が旧国80系風の湘南色に塗り替えられた。でもどうせなら今回の写真のような「新特急色」も観てみたいもんだ。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
1 件のコメント:
こんばんは。
185系も活躍する姿が見られるのはあと少しになってきた感があります。新特急として活躍した頃のお写真を楽しく拝見させて頂きました。
在来線の中距離を走る特急列車も、こうして振り返ると随分と減ってしまったのですね。今も優等列車として残る「草津」は万座・鹿沢口まで行く列車はなくなってしまいましたし、「あかぎ」はスワローあかぎとなって、ホームライナー的な性格が強くなりました。
水上駅で「谷川」を見たり、新前橋で185系同士の分割を見たり、懐かしく思い出します。
後継が、交直流の651系になるとは思いませんでしたが、並行して新幹線の走る在来線の数少ない雄として、これからも活躍するところを見ていきたいものです。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
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