宇都宮線と高崎線のなつかし写真のつづき。
115系+α・1989
115系(上野・1989)
上野駅には常に湘南色の115系が停まっていた。向かって左は東北線普通、右は快速だが、運行番号が見えない…というか表示器そのものが見えてない?
115系(上野—尾久・1989)
尾久近くの複々線区間で撮ったもの。田端運転所を覗きたくて、同級生と田端の駅から歩いた日だと思う。デカ目なだけでさらに古くさい。
115系(尾久・1989)
架線柱で先頭がどこなのかわからないが、7+4の11連だろうか? 東海道線・横須賀〜総武快速線・常磐線とともに、最大で15連の列車が走る。
115系(尾久—赤羽・1989.8.7)
尾久の先にある踏切での写真。マヤ34が見える1枚目は併設の歩道橋からで、道路によく架かっているくし形の柵+不透明アクリル板を用いた通路だが、例によってとても都合のいい位置に穴が開けられていた。
現在歩道橋はエレベーター付の立派なものに掛け替えられていて、通路もガラス張りで完全室内になっている。
185系(尾久—赤羽・1989)
たった1枚だけあった、185系の普通列車の写真。早朝の上り列車だ。
調べると、上野口の185系普通列車は822Mという籠原発上野行の片道1本だけで、現在は通常の車両に変更になっているそうだ。
115系(王子・1989)
デカ目・白幕車先頭の非冷房7連が飛鳥山をかすめる。キャプションのとおり日付がはっきりしないのだが、窓がたくさん開いているので暑い時期の写真だろう。
当時の上野口は最短がこの7連。しかし池袋口には211系5連という列車も存在し、激混みで走る姿を見た記憶がある。
大宮からこの王子までは東北旅客線と東北貨物線が並行し、ここから旅客線が尾久・上野方面、貨物線が田端・池袋方面に別れる。
115系(東十条・1989)
王子と同じように、京浜東北線がインカーブを通る形の東十条での写真。ともに青サボの東北線。現在は211系が緑地幕で東北線を表現、高崎線は白地幕。
それにしても、正面白幕の列車が多かったことに改めて気づかされるな。
115系(大宮・1989)
大宮駅11番線に到着した2541M。千位2・百位5から、池袋発の東北線ということになる。なお、貨物線経由列車は1995(平成7)年に一部が池袋から新宿まで延長され、2001(平成13)年に湘南新宿ラインに進化した。
115系・1990〜
115系(上野・1990)
高崎線の快速「アーバン」と普通列車。快速はデカ目・非ユニット窓の初期車。隣の車両とはジャンパ栓の有無、先頭のベンチレーターの形状、タイフォンカバー、乗務員室扉の位置(パノラミックウィンドウとの間隔)、ATS-P取付有無などの差異が見られる。
115系・211系(上野・1990.5.6)
こちらは夕方に撮ったものなので、115系宇都宮線快速「スイフト」と211系高崎線快速「タウン」だろうか? 両者が「通勤快速」の呼称に変わったは翌年3月16日からなのだが、211系が「通勤快速」幕を出しているのが不思議だ。
実は「90 5 6」の日付入り紙焼き(直前に山手線線路を京浜東北線が走る姿を記録していたため日付入りのままになっていた)をトリミングしたものなので、1990(平成2)年5月6日のものに間違いないのだが…。このころは「通勤快速タウン」の呼び方をしてたんだっけ…?
115系(尾久・1990)
115系(大宮・1990)
シールドビーム化されている非ユニット窓の初期車。タイフォンカバーはスリット形でライト中心より低い位置にある。
11番線の表示は前年の数字のみの状態から行先併記形に変化している。大宮の5番線・10番線は中線でホームがない。
115系(大宮・1992)
塗装のきれいな115系が大宮で並ぶ。宇都宮線上野行598Mと高崎線池袋行2842M。
未だサボを差しているが、側面方向幕は装置の取り付けが済んで白幕の状態になっている。実際に行先を表示するようになったのはさらにこの後ということ。常磐線403・415系鋼製車も同じくらいのタイミングだったと思う。
115系訓練車・EF81 85(大宮・1992)
単機のEF81 85がボーっと11番線に停まる中現れたのは訓練車。デカ目・非冷房の車を用いたものだ。モヤの横からの写真は広角で撮ったものをトリミングしてあるため歪んで見える。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
1 件のコメント:
こんばんは。
連続してのコメントにて失礼致します。
湘南色の115系、高崎からも遂に廃車されることになって、いよいよその歴史が終わりました。東北本線や高崎線、信越本線、上越線、両毛線、どこに行っても必ず見られた車両が、完全にいなくなると思えば、不思議な感覚でもありますし、寂しくも思います。
高崎の方により新しい1000番台の車両が走っていたのですね。初期車が大動脈の長大編成で活躍する姿は新鮮にも映ります。大きなヘッドライト、急行型にも通じる、国鉄時代の標準の顔ですね。
185系の普通列車は、乗り得列車、選んで乗る人もいたのでしょうか。折り返しが特急になるとはいえ、その車両を間合いでそのまま料金なしで走らせてしまうあたり、今の感覚とは違う、運用の都合重視の時代を感じさせられます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
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