2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/10/26

宇都宮・高崎線・3&上越・両毛線 なつかし写真

今回は宇都宮・高崎線211系と、高崎から先の区間の列車の写真。


211系

宇都宮・高崎線の211系は1986(昭和61)年から投入された。東海道線に投入された車両をベースに耐寒耐雪仕様を追加したもので、番台は東海道線仕様に+1000の形でセミクロスシート車が1000番台、ロングシート車が3000番台となった。



211系(上野・1988)

211系の初期形。その証は東海道線のときに触れたとおり、正面の「まゆ毛」部分がグレーであること、ライトケースが等分割になっていること。JRマークは黒まゆ毛の車両同様白が用いられているが、しっくりきていない。
ヘッドライトは□の中で電球の中心が外側に寄っており、のちの車両ではヘッドライトの□が電球の中心が合うように拡幅されている。
2枚目に関しては入線中のフラッシュかもしれない。当時中1・2の私の若気の至りです。ごめんなさいm(_ _)m。


211系(尾久・1988)

増備が進むとまゆ毛が黒くなり、ライトケースの幅もヘッド>テールと変更になった。JRマークもはっきりしている。



211系(浦和—北浦和・1988.12.25)(d)

211系1000・3000番台はすべて5連で登場。湘南新宿ラインにからんだグリーン車投入までは単純な組成だった。
面白いのは5連の北寄り2両がモハユニットで、上野寄り3両はトレーラーであること。これは将来の短編成での支線転用を見越してのもので、その思想が発揮される日が徐々に近づいているようだ。


211系(尾久・1988)

高崎線の快速「アーバン」に就いた211系がワムの貨物列車とすれ違う。初期車はまゆ毛のJRマークが浮いて見える。


211系(尾久—赤羽・1989.8.7)

上野を目指す高崎線。211系は新前橋電車区に多く投入された関係で、高崎線運用に就くことが多かった。置き換え対象の非冷房115系が東北線の小山電車区より多かったのかもしれない。


211系(大宮・1990)


211系(大宮・1991.6.6)

大宮での211系。結局私が昔撮った211系は全部高崎線運用のものだったようだ。
現在は正面の表示のみLEDに変更、また平屋・2階建てのさまざまなグリーン車を取り込み、編成のバリエーションが増えている。房総地区への転用で数を減らしたこともあり、宇都宮・高崎線系統の211系は高崎車両センターひとつにまとまっている。


上越線

高崎線の終点・高崎から上越国境を越えて信越線の宮内まで至る路線が上越線。新前橋で両毛線、渋川で吾妻線を分けており、両毛線列車が乗り入れる高崎—新前橋の4駅間は列車本数が充実しているが、渋川—宮内間は本数が少ない。


115系(八木原・1991)

115系3連の上越線普通列車。百位が7なので、次の渋川から先も上越線を進む列車だ。



107系(群馬総社・1991)

107系は日光線向けに1988(昭和63)年に登場した3ドア車で、105・119系に似た車体同様、足回りも1M車。
同じ北関東で普通列車用に使われていた165系の部品を流用して造られた。冷房装置も流用しているので、クハは分散、クモハは集中という165系そのものの状態になっている。
上越・両毛・吾妻線用には耐雪ブレーキ装備の100番台を製造。0番台では日光線にちなんだNのデザインの塗装だったが、100番台はこのようなピンクを用いた派手なものとなった。
百位が5の列車は吾妻線からの乗り入れ列車で、吾妻線普通列車はすべて高崎までの運行。


両毛線

両毛線は東北線の小山から上越線の新前橋に至る路線。高崎線に直通する、前橋発着の線内を1駅だけ走る列車も多い。
東武鉄道の路線を串刺しにしている、他にありそうでない面白い路線だ。


107系(新前橋・1990)

新前橋に留置されていた107系。1次車は0番台同様扉間は戸袋窓付き・下降窓2枚という形だったが、2次車から戸袋窓なし・扉間3枚窓に変更になった。留置車両だが、百位4は両毛線なのでこちらに。
107系はライト周りが「カバーを外したまま」みたいな状態なところが好きではない。



115系(桐生・1990)

立派な高架2面4線の桐生駅。非冷房115系はデカ目クハが付いた4連。桐生はわたらせ渓谷鐵道の列車も現れる


水戸線415系(桐生・1990)

下り外側線に停まったのは415系の桐生止まりの列車。これは水戸線の列車が小山からそのまま直通してくるもので、当時1往復だけ存在していた。
水戸線は小山—小田林に交直デッドセクションが設けられていて、路線のほとんどが交流電化区間。この列車は415系が直流区間もたっぷり走る、性能を活かした列車だ。
なお茨城県を走る水戸線は小山駅のみ栃木県、さらに両毛線は桐生駅から群馬県。415系が群馬に顔を出していた、と考えると、ちょっと不思議な感じがする。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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