2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/04/27

京成 鬼越・西船・海神 なつかし写真

前回の記事でなつかし写真をちょっと載せたのをきっかけに、同じくまだ載せていない京成での写真を排出しよう。

撮影した駅や区間ごとにまとめて記事を立てる。今回は鬼越・京成西船・海神でのもの。京成中山で撮ったものは少なく、すでにアップ済なのでナシ。


鬼越 Onigoe

鬼越(おにごえ)駅は京成の市川市内の代表駅・京成八幡の成田方の隣り駅。普通のみ停車。
古くからの住宅街の中にあり、地上駅舎・島式ホームのクラシカルな駅だ。現在、京成上野から本線を進んでくると最初に現れる構内踏切使用駅。

駅に面し踏切で京成本線を横切る道路はすぐ近くで国道14号線に合流する。その14号の渋滞が始まると踏切は大きなネックになる。高架の国府台駅の先から始まる市川市内区間は立体化の構想があるが、現時点ではその方式の案が数点出されて検討をしている段階。まだまだこの駅がこのスタイルで推移しそうだ。


初代3050形(鬼越・1992.2.11)

ファイアーオレンジの初代3050形。塗色変更のほか更新や冷改工事で新造時とはイメージが変わっている。
写真右に見切れている不動産店の前は円形の植え込みがあり、プチロータリー的になっている。



3200形+3200形ライトグリーン(鬼越・1992.2.11)(再掲)

再掲の3200形8M車の炎+緑編成。下り正面の写真は構内踏切手前の路盤レベルのところで撮っているので、後追いはホーム面がべったり入る。


3500形(鬼越・1992.2.11)

千葉線直通の4連。背後で車が渡っている踏切が前回の記事で3700形と3500形更新車を撮った場所。


3700形(鬼越・1992.2.11)

登場時の姿の3700形。英字なしの方向幕に対し、種別幕は英字入り。過去帳入りした「急行」の種別やスカートなしの姿もなつかしい。



3500形(鬼越—京成中山・1992.2.11)

鬼越駅付近の区間。市川市内の地上区間は線路両側に街路がある場所が多い。千葉線のみどり台あたりも似た雰囲気。
2枚は別の列車で、1枚目の3509は前記事で撮った更新車の更新前の姿。このときも散歩を兼ねてだったのでじっくりは撮らなかったが、なんだかこの撮影時は3500によく当たったみたい。


京成西船 Keisei-Nishifuna

鬼越から京成中山、東中山を経た次が京成西船(けいせいにしふな)駅。ここでのなつかし写真は過去にも記事を設けたが、それに載せてない分もまだあった。
「西船」は地元の住居表示で、国鉄の西船橋駅設置をきっかけにこの辺りが「にしふな」と呼ばれるようになった。そして見事住居表示にまで発展したのだ。

私が小学生までの間、この駅は葛飾(かつしか)駅だったが、東京都葛飾区と混同する利用者が出がちだったため現駅名に改称された。改称が行われたのは1987(昭和62)年4月1日。国鉄の分割民営化(JR化)に際し国鉄千葉駅前駅の改称が必須となり、同じタイミングで4駅の改称(「国鉄千葉駅前」→「京成千葉」、「京成千葉」→「千葉中央」、「センター競馬場前」→「船橋競馬場」、「葛飾」→「京成西船」)が実施された。どうせ変えるなら同じタイミングでやったほうが案内や手続き上効率がよかったのだろう。


AE100形(京成西船・1994.3.26)

スカイライナーで活躍していたAE100形。当時はどの会社も昼間はヘッドライトは使っていなかったため、明るい時間帯はライトのカバーが閉じたこの状態が常だった。


初代3050形(京成西船・1994.3.26)

細切れの上屋がこの駅のホームの特徴。
当時まだ千葉急行線の駅だった大森台行の列車。この3062Fはのち赤電色に復刻され(前出リンク記事参照)、その姿のまま廃車となった。



3200形(京成西船・1991)

3200形6M車同士のすれ違い。通勤特急で6連というのは不思議な感じ。薄暮でもヘッドライトはやっぱり点いていない。


3500形(京成西船・1994.3.26)

現行色に移行した3500形。「普通」板はまだ用意されておらず、3150形と3500形の普通列車は「赤地」だった。その赤地が擦れてみっともなくなっている。


3600形(京成西船・1994.3.26)

こちらは側面幕帯だけ青になった編成。3700形カラーになる前、3500・3600形の一部編成でこのスタイルが見られた。この写真はわかりづらいか…。この帯スタイルと英字入り方向幕の組み合わせはいかにも過渡期の形。西船における普通・西馬込行というのも今では考えられない。


3400形(京成西船・1994.10.16)

初代AE形の機器を活かし、京成系メーカーの大栄車輌で3700形に似た鋼製車体を新調して生まれた3400形。鋼製になったのは、大栄車輌にステンレス車の実績がなかったためと思われる。
写真はホーム到達直前のもの。奥の跨線橋をくぐった先が東中山駅で、駅間は0.6kmととても短い。


海神 Kaijin

海神(かいじん)駅は京成西船から丘へ上がったところにある。駅の両側に踏切があり、ホーム有効長は6連分しかない。京成中山も同じ状況で6連分になっているが、両駅が8連対応になると京成本線全駅が8連対応可能となる。


3200形(海神・1994.10.16)

距離をおいて並行するJR総武線と違い、この区間はアップダウンが激しい。京成西船—京成船橋間でのなつかし写真はこちらで。


3500形(海神・1993.6.27)

幕帯が青になった3500形。駅の上野方には片渡り線があった。


3500形(海神・1995.4)

今では実現されない3500形未更新車8連による特急。3500形は基本的にセミステンレスカーだが、上野方4両は最終ロットのオールステンレスカー・3596F。


3600形(海神・1995.4)

西船の西馬込行列車と同じ3618Fの6連が現行色になったあとの姿。
京成西船・海神とも駅舎は片側のホームに隣接して設けられているが、西船は上り、海神は下り線にあり、跨線橋の向きも含めて両駅舎は点対称の配置。


3200形(海神・1993.6.27)

駅成田方には保線基地がある。この写真は駅隣接の踏切から撮ったものだと思う。
写真の3212Fは試験塗色で白ベースをまとった編成。一番ダサい「漢字の上に英字」幕を使用していた頃。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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