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2009/09/13

09.9.13 2度目?の新京成

京成津田沼に出て、新京成にのりかえ。北習志野から東葉で帰るルートに決めたのだ。
乗り込んだ列車は8連3本だけの8900形だったが、撮るのを忘れた。


ピンク時代の新京成8900形(京成津田沼・1995.4)

14年前のトップナンバーの写真。私の8900形の印象はこのうっすいピンクの帯。青も含めて中途半端な色の電車だなぁ、と。
このピンクの色あせが問題視され、現在はルビーレッドという濃い赤に変わった。写真は竣工後1年半くらい経った時期だけど、もう色あせちゃってる状態だったのかもしれない。
車内戸袋には新京成の謎の伝統である鏡がしっかりついている。混雑時の立席でこれの前を選んでしまうと、自分の顔を見続けることになるので注意が必要だ。

過去に新京成線線内で撮影したのは北総ついでの北初富のみで、あとは京成津田沼と松戸のJRホームからだけだ。新京成撮影を主目的で出かけたことがなかった。通っていた高校の第二アクセス路線なので、気分転換で帰りに乗った回数は数知れずだ。


8000形(松戸・1988)

8000形第一陣は1978(昭和53)年11月、北総7000形も2カ月後の1979年1月の竣工。革新的な前面形状の両者が相互乗り入れを開始した当時、新京成は京成のお古のつりかけ車がゴロゴロしていてそのギャップも凄かった。ちなみに8000形と同じフレーム顔の国鉄201系も1979年デビューだ。


千葉ニュータウン中央行の新京成8000形(北初富・1992.4.2)


松戸行の北総7000形(北初富・1992.4.2)

写真は北総としての北初富廃止の3カ月前。8000形の奥に北総の高架へ向かう線路の複線分岐が見える。京成高砂延伸時に登場した7300形も新京成に顔を出したことがある。また高砂延伸時には新京成800形806Fがほぼそのままの姿で北総へ譲渡されが、乗り入れ廃止で新京成に復帰した。こちらも試運転ながら高砂方面に入ったこともある(高砂には達さず矢切までだったかな?)。

北総線は1979(昭和54)年の北初富—小室間が最初の開業。列車は松戸まで走り、新京成と相互乗り入れの形となった。北初富駅は新京成のホームのみのままで共用。駅の津田沼方で線路が分岐し坂を上って高架の北総線に入る形になった。
1991(平成3)年に北総線は念願の京成高砂延伸。新京成との併走区間の高架に北総の新鎌ヶ谷駅が新設され、都心直通列車は新鎌ヶ谷からそのまま高架線を直進し、分岐線上となった北初富は通らなくなった。
新京成直通は継続されたが、翌年新京成が地平の新鎌ヶ谷駅を新設したことで両線の接続駅が移動。北総の新鎌ヶ谷—北初富間は廃止、当然新京成との相互乗り入れも廃止となり、坂道連絡線はフェンスで塞がれてしばらく存置されたのち撤去された。



8000形(北初富・1992.4.2)

8000形1本めの8502Fは800形やつりかけ車と同じキャンディピンクとマルーンのツートンで登場、次の8504Fから茶帯一本のシンプルなものに変更、京成直通対応工事がきっかけで現在はストライプ帯の三代目の装いになっている。
8502Fは800形とともに8504Fと同じ塗装になったが、2001(平成13)年に再びツートンに戻り、今もそのまんまのようだ。一時期は新京成に近づくたびに8502Fを見かける不思議な運があったが、カメラを持っていると逢えない。




8800形(北初富・1992.4.2)

8800形の登場は1986(昭和61)年で、量産のVVVF車としてはかなり早い(新京成のサイトでは「1500V区間用電車としては、世界初の長編成VVVFインバータを採用」とある)。
新京成オリジナル車は1970(昭和45)年に新車と言いながらつりかけ車の足回りを流用した250系(250形・550形)でスタート。翌年完全新製の新性能車800形が登場。8000形は斬新な顔を用い3本目からは界磁チョッパに、8800形ではVVVFでついに時代を先取りした。
国鉄がVVVF試作車の207系900番台を登場させたのも1986年。松戸駅6・7番線で新京成と隣同士になる常磐緩行線にやってきたのは何かの縁か?


現在に戻って、北習志野へ。途中、JRのりかえ駅の新津田沼から乗ってくる客が多かった。
初めてじっくりと見た北習志野駅の松戸側は幅広の島式ホームに合わせて南行きの線路が大きく開いている。武蔵野線の船橋法典に似ている。逆光だけど、ちょっと撮ってみるか。


8800形(北習志野)

これは高速連写1で撮ったもの。出かけているあいだはデジカメのプレビューでしか観られないから、画質が悪いのはわからなかったのだ。なつかし写真と同じような画質。
8連口は登場時のまま側面一本帯を維持してきたが、最近は6連口のように扉の帯を省略した編成もあるようだ。


8800形(北習志野)

8896F(8896〜8889)は8800形最終番号の編成。つまり一つ前の編成はスーパー縁起番号の8888Fだ。



8000形(北習志野)

みどり台で撮った8518Fが帰ってきた。新京成線内なので「普通」表示なしの幕に変わっている。後追いはこれも高速連写1なので画質が落ちている。

さらには松戸方から千葉中央で遇ったN800形がやってきた。



N800形(北習志野)

同じく走ってるほうは高速連写1。LEDの行先表示もひどいことになってしまった。
N800形のナンバーは編成でN818〜N811という感じで、6連なのに8連風なのは京成3600形の登場時と同じ。
801という車号がないのは何とも気持ち悪いし、11本目の編成はどういう付番になるのか?とも思うが、800形はともかく8000形の廃車が始まらない限りは11には達しない。そしてその頃にはもっと新しい車両が登場するんだろうな。

800形は8連2本が残っている。現在は朝だけ動いて車庫で寝ていることが多いらしいが、突然終日走ることもあるという。



800形(松戸・1992.4.2)

「フォトギャラリー号」として走った800形。私の持っている800形の写真はこの列車のみ。貴重な姿だが、ノーマルな姿を撮れていないのも悲しい。この当時すでに800形はあんまり姿を見ない印象だった。


京成3200形・800形(京成津田沼・1992.4.2)

800形は原形から更新を経ていろんな顔があったが、最終的にこの貫通扉跡の飾り帯が方向幕を囲むスタイルが残った。新製時は隣の京成3200形と同じく方向幕なしのおでこ両脇2灯ヘッドライトだったので、両者更新を経てまた似たようなライトの配置になったわけだ。写真の編成は6連の818Fで、京成千葉線直通用として用いられる計画があったそうだ。件の8800形の組み替えに計画が変わり、その組み替え完了を待って2007(平成19)年に廃車になった。


京成3200形・8000形(京成津田沼・1992.4.2)

先の京成・新京成並びと同日のもの。
8000形はくぬぎ山行。「北初富で松戸行に接続」とある。くぬぎ山は北初富の次だから、そこでも乗り換えられるのだが。


再び現在に戻り、N800形を撮ったところで東葉にのりかえ。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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