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2009/09/10

京成 片開き赤電

京成のちょい古写真をどんどん出そう、ということで、今回は赤電3000系から片開きドアの初代3000形〜3150形・3290形の写真。


初代3000形

初代3000形が都営浅草線乗り入れ用規格に則りつつも1372mm台車・青電で登場したということは京成カラー・1に書いた。
その後赤電→ファイアーオレンジと塗色が移り変わったが、最後まで冷房化されないまま1991年に廃車となった。
「3000形」の呼称はのちに登場したステンレス車に再び使われている。


初代3000形(京成西船・1990.7)

顔は更新で大分変化した。
・丸形テールライト→角形
・運転台上部の急行灯→テールライトで兼用とし撤去
・助手側上部の運行番号窓→助手側窓内に設けた3ケタ表示器に移行して撤去
運行番号窓は2ケタで「B11」などの場合は10位がB・1位が11の幕を表示。
・デカ目1灯ヘッドライト→ブタ鼻2灯
・小型2段アンチクライマー→大型3段

屋根も東武2000系のようなモニター屋根(初代3050・3100形も同)から個別の通風機に改造された。通風機の出っ張りは控えめで、私には冷房準備車もしくは通風機撤去後のような印象だった。
2両ユニットで14両すべて片運転台だったが、10両が更新時に中間車改造されて初代3050形とも編成を組んだ。


初代3050形

初代3050形も京成カラー・1に書いたとおり、初めて1435mm・赤電として登場した車両。初代3000形同様全車片運転台の2両ユニット。車体はヘッドライトがシールドビームになり小さくなった(京急1000形似)ほかは初代3000形と変わりなく、更新後の変化も同じ。
更新時に半分の車両が中間車化された。2両は初代3000形とともに非冷房のまま散ったが、他の24両は冷房改造と表示幕取付工事を受けて顔は三代目となった。しかし、その後長くても5年の使用で引退、冷房装置などが他形式の老朽部品の交換用に活用されたそう。
「3050形」の呼称ものちに登場したステンレス車に再び使われている。


初代3050形(東中山・1990.7)


初代3050形(京成西船・1994.3.26)

2枚の写真はともに3070号。下の冷改車は方向幕を正面・側面に取り付け、ヘッドライトを3100形風の左右振り分けに変更、貫通扉は3300形で使用した種別表示器付のものを転用もしくは同型の新品を使用した。
冷改後の初代3050形と3100形はそっくりになったが、前者のほうがヘッドライトが低く、方向幕との位置関係でその見分けがついた。
一部の車両は京成を引退後千葉急行車として引き続き活躍したのは京成カラー・2に書いたとおり。


初代3050形(青砥・1992.5.3)

テールライト(標識灯と書いたほうがいいか…)が急行灯表示の初代3050形特急。
初代3050・3100形は冷改・表示幕取付時に急行灯の新設は行われなかった。


3100形

3100形は新製時から左右振り分けのヘッドライトを装備した車両。角形になったテールライトは急行灯兼用で、赤・白の切り替えができるようになった。運行番号表示器も助手側窓内に3ケタのものが設けられ、初代3000・初代3050形からおでこの構成がガラっと変わった。アンチクライマーは少し幅が拡がった。
空気バネ台車になった2次車からはKeiseiのロゴの使用が始まった。それまでの車両のK.D.Kものちにこれに合わせて変更された。
初代3050形同様更新で半数が中間車化、アンチクライマーも大型3本に。その後冷改・表示幕取付が行われた。


3100形(堀切菖蒲園・1992.5.3)


3100形(八広・1994.10.16)

これまた上の写真はともに3104号。3100形はグレー塗色を経験した最古の形式となる。
3100形は初代3000・初代3050形より乗務員室扉の背が高く、これも冷改後の3100・初代3050形相互の識別ポイント。
3121〜3124の客用ドアは一時期新京成風の、窓の下辺が上に寄ったタイプが試用されていて、幼少期に実見した。「あの電車だとドアから外が見えない」と考えた。そして「なんかカッコ悪いな」とも。新京成800形は同タイプドアの最後の生き残りだ。

グレーの写真は半年前に「荒川」から駅名改称した八広駅が高架化へ向けて動き出したころのもの。上下線の間に設けられている線路はのちに上り線となり、手前の上り線の上に仮設ホームがかぶせられた。
3100形はグレー塗装の中で唯一赤帯にライトがかからないため、独特の雰囲気があった。のち、千葉急行に移った車両はこの赤帯と青帯を入れ替えた塗装になった。


3100形(八広・1995.4)

上り線の移設が終わった八広に到着した3100形。いまは日中に見られない押上—金町間の運用の列車。


3150形

3150形は初めて4両固定編成&個別の通風機で登場した形式。アンチクライマーは3100形からさらに幅が拡がった。
冷改&更新工事を最初に受けたのがこの3150形で、その早さが災いしたか正面の種別幕は用意されず内接式の種別挿しが設けられるにとどまった。
ライト類は3600形に準じてヘッド・テールライトを窓下にまとめたためクリームの帯は正面に回らなくなった。急行灯をおでこの両脇に新設。アンチクライマーは3200・3300形同様の3段のものになった。
3200形に合わせて運転台が10cm高くなり、正面の窓は「クマ」ができた。これは3000形〜3150形で共通。かさ上げ前はワイパーの付け根だけ窓枠がカーブを描くスタイルだった。


3150形(東中山・1992.4.2)


2100・210形さよなら運転(京成上野・1988.3.31)(d)

参考写真。ワイパーの付け根と窓の形に注目。赤電も当初は同じようになっていた。


3150形(京成西船・1994.3.26)

種別板挿しはグレー化後も赤地のまま。「普通」種別板が作られたのは遅く、写真のようにグレーの普通列車は「アッカンベー」状態だった時代がある。


3150形(八広・1994.10.16)

駅高架化準備に入った八広を通過する8連の急行。


3150形・3200形開運号用

3150・3200形のうち、特急用として作られたのが3191〜3194と3291〜3298(3290形)の12両。扉間クロスシートとして開運号などで使用された。


3150形(東中山・1993.3.3)

急行灯を両点灯して特急仕業に就く3150形。手前4両が元開運車の3194F。
はじめに登場した3194F4連はのちに3291・3292と組んで6連化され、セミクロス車は6連2本が組まれた。3292・3296はトイレ付で、1編成に1両ずつ振り分けられた。



3200形VVVF車(荒川—四ツ木・1992.2.11)

3200形ながら片開きドアという3291〜3298は3290形とも呼ばれた。
3191〜3194とともに初代AE形登場後ロングシート化され、冷改&更新により3290形は側窓がユニット窓となった。3291FはVVVFインバータ制御の試験車となり、3291・3294両先頭車は3000系でたった2両のクハとなった。このクハはヘッド・テールライトを角形ケースにまとめた独特のものになっている。
3294FのVVVF化で3290形は孤立した4連2本となり普通列車専門に。金町線・千葉線がらみでの姿が多かった。押上—金町間の列車は写真の当時はフツーに走っていたが、現在は平日の朝1往復・深夜の押上行の1.5往復だけで、土休日は皆無。

写真は押上線の古い荒川橋梁を渡る姿。鉄パイプが斜めに突き出た「柵」は上流の本線の橋とともに京成独特のもので、作業用の通路を後付けしたものだと思われる。仮設ではなく、これが通常の状態だった。
この低い橋梁は船舶航行に支障をきたす、増水時に水面が橋に届く、線路が通る部分だけ堤防が低いなど問題だらけで、下流に高さのある立派なトラス橋を新設し、両端に接する四ツ木・八広(旧・荒川)両駅も新しい高架駅に生まれ変わった。


斜め鉄パイプが現役の本線荒川橋梁(京成関屋—堀切菖蒲園・2008.3.29・mb)

本線荒川橋梁もやはり堤防をえぐって通っているため、前後の築堤の高架橋化も含めた掛け替えの計画が進められている。



3200形片開き車(国府台・1989)

VVVF化された3294Fに対して地味な存在になった3298F。しかし、グレー塗装を経た現役の最後は2代目リバイバル赤電に選ばれて最後の一花を咲かせた。残念ながら私はそれを写真には記録できていない。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

3050形はTDカルダン車、冷房化時改造し静かになりました。
モーターは新品交換だったらしいです。顔もごっついブタライトからさわやかな左右ライトの顔立ちに変わり、音、更新していないとはいえ冷房改造後は別車に思えました。

そのころのイメージが伝わります

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