4連リバイバル列車を追いかけて最近よく訪れている京成千葉線。
もしかしたら、今年デジカメを使い始めてから訪れた回数がすでに過去に訪れた回数を上回っているかも。
今回はその少ない過去の千葉線・千葉急行の写真を。西から辿っていこう。
3500形(京成幕張本郷・1992.4.2)
幕張本郷駅は1981(昭和56)年、国鉄総武線の津田沼—千葉間複々線化の際に設けられた駅。同時に東船橋駅も開業したが、そちらはすでに複々線になっていた区間への新設。
いっぽう京成はスルーを決め込んでいたが、JRに後れること10年、1991(平成3)年に完全に並んだ位置に京成幕張本郷駅を設置、のりかえ駅となった。
JRと接している日暮里・成田空港・空港第2ビルは「京成」が付かないが、この幕張本郷はなぜか「京成」が付けられている。
京成と総武線で近いエリアに駅が存在する例は様々あるが、この駅が一番のりかえが便利。
この幕張本郷の前後は京成千葉線と総武線がフェンス1枚隔てて並行している区間で、ユーザーのことを考えればのりかえ駅が設けられて当然。しかし、10年に渡り京成が駅を設けなかったのは、客が流れることを危惧した面があるんだろう。
3500形(京成幕張本郷・1992.3)
京成幕張本郷の津田沼方は見通しがよく、JRの留置車両なども絡めた写真が撮れる。
そういえば、デジカメ後はこっち側で撮ってないな。
千葉急行1000形(京成幕張本郷・1992.4.2)
千葉急行電鉄線は1992(平成4)年4月1日に、千葉中央—大森台間で開業した。写真はその翌日だ。
京急(京急ファインテック)から京成へリースされていた1000形1029Fの4連が今度は千葉急行へリースされ、青ベースの専用塗色となった。
千葉急行1000形(町屋・1992.4)
町屋を出る青1000。青砥から上野までは自身の紅時代以外は他社スタイルの車両が入っていなかったため、この車両が通ると目立った。
千葉急行1000形(青砥・1993.4.1)
京成上野—高砂の区間運用に入った千葉急。現在の芝山3600形同様、千葉急車は京成車と分け隔て無く運用され、金町線にも顔を出した。本家京急1000形や銀色の兄弟・北総7150形もこの千葉急車と顔を並べることがあったわけだ。
1000形(青砥・1991)
同じ位置で撮った京成1000形。京成移籍当初この1037Fと1029Fで8連を組んでいたが、のち4連ずつにバラされ、1037Fは青くなることもなく先に引退した。
3100形(みどり台・1995.4)
正面の赤帯が目立つ、グレーベースの3100形トップナンバー編成。
3100形は赤電の中ではグレーを纏った最古の形式で、一部は千葉急行へリースされて赤と青の帯が入れ替わったものもある。
残念ながら、その千葉急塗色は何度も実見しているものの、撮ってはいない。
3150形(みどり台・1995.4)
3150形も、2両だけだが千葉急行へリースされた車両がある。3100形2両と合わせて4連を組んだ。
3200形(みどり台・1995.4)
この頃はこうしてグレーになった赤電がゴロゴロ走っていた。
いまは最後の3300形だけが4連で奮闘しているが、いつまでの姿になるやら。
千葉急行1000形(西登戸・1992.4)
同じカメラで撮っても、DPEの依頼先によって仕上がりが全然違ってくる。この写真は暗くにじんだプリントをされてきたものをスキャン後ガンガン補正している。青砥の2枚も一緒だ。
千葉急ブルーはファイアーオレンジとともにプリント泣かせの車体色でもある。
この写真を見て初めて気づいたが、パンタの根っこあたりのパーツが青く塗られていたようだ。
3200形・3500形(千葉中央・1992.4)
京成の朱色が並ぶ千葉中央駅。3569はすでに廃車になっている。
現在は新京成車が折り返しのため長居するシーンが多く、新京成の駅のようになった。
3200形VVVF車(千葉中央・1992.3)
赤電の中では特殊車だった3294Fの4連。開運号用のセミクロスシート車であったため3200形でありながら片開きドアの車体(クロスシートのピッチ確保でドア間口を狭くした)。車体更新時にVVVFインバータ制御化されており、両先頭車はVVVF化によって赤電唯一のクハとなった。
外観の特徴は、更新時に片開きドア車ながら側窓をユニット窓化(3050・3100・3150形の更新はユニット窓化はなし)・正面のライトケースが他車にない角形ユニット化されている点。
初代3050形(大森台・1992.4)
開業当時の大森台駅での写真。3050形も千葉急行へのリース車があったが、この編成はリースはなくファイアーオレンジのまま廃車になった。
千葉急行3050形(大森台・1995.4)
大森台開業から3年後の1995(平成7)年、千葉急行線はちはら台まで延伸。
千葉急車は1000形から3050形に移り変わっていた。写真の3070Fは2本目の千葉急3050形で、変身は3月だったようだ。千葉中央方3070は正面がルビ形英字入り幕なのに対し、ちはら台方3067は英字なしの幕なのがおもしろい。
3050形の千葉急色は帯が1000形より太くなった。京成グレーベース車両の側面赤帯と同じ太さで、そのまま途切れずに正面に回る。
千葉急行はさらに小湊鐵道の海士有木まで伸ばす計画だったが、バブル崩壊により沿線の宅地開発が進まず1998(平成10)年に会社は破綻した。千葉急行線は京成千原線として引き継がれたが、運賃は未だ千葉中央を境に切り分けられたまま。千葉線の延長とならず千原線と名前を分けたのはその理由からかもしれない。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。