今回は都営浅草線のなつかし写真を。
…と言っても、地下線内での写真はほとんどなく、乗り入れ先を走る車両の姿ばかりだが。
5000形(海神—京成船橋・1989)
都営地下鉄浅草線は1960(昭和35)年に押上—浅草橋間が開通したのが始まりで、同時に京成線と相互乗り入れを開始した。これが地下鉄と民鉄との相互乗り入れの最初の例となった。
京成との乗り入れが先になったが、軌間はのちにつながる京急の1435mmに合わせて造られた。京成・新京成はこれに合わせて1372mmから1435mmへ全線改軌を行った。
1968年(昭和43)年6月に泉岳寺へ達し、京急とも相互乗り入れを開始。同年11月には西馬込へ達して現在の形となった。
5000形(泉岳寺・1989)
東京都が用意した5000形電車は営団丸ノ内線500形をパンタ集電化したようなデザイン。塗色は軌間を京急に合わせたお詫びなのか、京成3050形の赤電塗装にソックリなものになった。
しかしクリーム色は赤電より淡く顔色が悪い感じで、赤電のほうが暖かみを感じたもんだ。
京成や京急が自社標準の片開きドアで車両を用意したのに対し、5000形は両開きと一歩先を行っていた。京成は1964(昭和39)年に初の両開きドア・3200形を投入したが、京急は1985(昭和60年)の1500形登場まで片開きの初代1000形を増備し続けた(京急内での両開きドア初採用は1500形より3年早い登場の地下鉄非直通車・2000形)。
5000形(青砥・1991)
私は小さい頃、母の買い物に連れられ浅草線の江戸橋—西馬込間をちょいちょい利用していた。西馬込に洋品を扱う会員制の店舗があるのだ。
西馬込駅から送迎マイクロバスに乗って進むと、神奈川へ向かって延びようとしているような行き止まり式の浅草線の高架が現れる。店舗は高架の終端の近くだった。
高架の手前には馬込車両検修場があり、地下の西馬込駅からそのまま線路を進んだ列車は高架に現れ、ここでスイッチバックして検修場に入るそうだ。たしかに、行き止まりの高架に停まってから折り返していく列車も観たことがある。
江戸橋とは現在の日本橋駅。1989(平成元)年に営団に合わせて改称された。東西線5000系のドア上の路線図では、日本橋のマス(駅は青い線上の□の中に駅名を横書きで書く形)からマンガの吹き出しのように江戸橋駅のマスが飛び出して描かれていたのを鮮明に憶えている。
また、1978(昭和53)年に浅草線の愛称が決まるまでは「都営1号線」と呼ばれていて、東西線と大手町で接続する三田線は「6号線」だった。両線の愛称適用後も東西線の日本橋駅は1号線、大手町駅には6号線の表記が残っている所が多かった。
5000形(江戸川・1991.12.23)
5000形は保守面を考えてか肌色に朱帯というやっつけのような塗色に徐々に変更された。
営団・都営で制定したラインカラーでは、都営浅草線はピンク色(厳密には「ローズ」らしい)が用いられたが、未だそれに沿ったカラーが都営車に出現していない。
浅草線内には京成・北総・芝山・京急の車両が乗り入れ、北総は9000・9100形が同社の標準カラーから外れている。とにかく線内を走る車両のバリエーションが多く、初めての人は間違いなく戸惑うだろう。それが空港連絡路線だというのだから、また困ったもんだ。我々物好きにとってはこんなに楽しい路線はそうないわけだが。
5000形(谷津・1993.6.27)
押上—東中山間で始まった5000形の直通区間は、京成成田、千葉ニュータウン中央、新逗子、羽田空港へと拡がった。
京成・京急両本線への直通列車はそれぞれの区間を急行で運転。正面に種別窓があるが、京成では京成車に合わせて円形の急行マークを貫通扉窓内側に貼り付けていた。文字面に3点の吸盤が付いている。
現在京成本線高砂以東には急行の設定がないが、写真当時の急行は船橋競馬場以東が各駅停車だったので、この谷津ではすでに普通と同じだ。
5000形(六郷土手・1992.4)
京急線内を急行で駆け抜ける。こちらでは円板は使わない。連続立体化でこの坂道は消える。
5000形(四ツ木・1991)
私は詳しいことはよくわかってないのだが、5000形にも少々のバリエーションがあったのは気づいていた。
写真の車両は方向幕の横幅が広い。
赤電ソックリ塗装時代は、真ん中の帯が赤電同様のステンレス縁+グレー帯のものと、グレー部分も埋めたような単純な銀帯1本のものがあった。
六郷土手、四ツ木で気づいたが、都営車が通る区間はほかにも三田、五反田、八広、八幡、八千代台など数字が頭に付く駅が多い。
ちなみに新京成近辺では開墾地につけた数字に倣った地名が集まっていて、初富、二和、三咲、豊四季(東武野田線)、五香、六実(東武野田線)、八柱などが駅名で登場する。ただし、開墾地の八は八街で、八柱は関係ないようだ。
5000形(松飛台・1991)
以前にもちょっと書いたが、写真の先頭2両はドア窓の角Rが大きいタイプで、都営地下鉄らしくないスタイル。
5000形(京成臼井・1993.6.27)
こちらは標準的なドア窓の車両。同じ都営地下鉄の6000形・10-000形も同じように角張った窓をしている。
5000形は最後まで非冷房を貫いた。側窓は6月末ということで全開。横から見ると、急行灯の出っ張りが個性的だ。
5000形(京成臼井・1993.6.27)
5000形(荒川—四ツ木・1992.2.11)
低い押上線荒川橋梁を進む。手前は少年野球のグラウンド。ファウルボールが当たることもあったかも。
5000形(1993.6.27)
5000形の車内。内田有紀が若いのに目が行くが、貫通路のドアが塗装ドアなのにも注目。東西線を走るJR301系もそうだったが、側ドアが新しいものに交換されても、貫通路のドアは旧態のまま残ったケース。
私が西馬込に連れて行かれてた頃、5000形の多くは側ドアもあのねずみ色をしていた。グレーというには青味が強く、ねずみ色という呼び方がしっくりくるのだ。
戸袋窓には目が怖い黄色い横顔が鼻水を垂らしている、ちくのう(ひらがななのは広告の通り)のクスリだか医院だかの広告が出ていた。生活臭の強い実用的な広告が多く、都営車は独特の雰囲気だった。
5000形(青砥・1992.2.11)
青砥の上層ホームで西日を浴びる。5000形の「千葉ニュータウン中央」の表記は、英字こそないが各車両の中でもいちばん読みやすいものだった。
5000形は1995(平成7)年に引退。線路のつながる京成・千葉急・北総・公団・新京成・京急および都営浅草線で唯一の非冷房形式だったため、「全線」営業車冷房化率100%となった。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
5 件のコメント:
はじめまして。こちらでは初めてコメントをします。
都営5000系は、当時は先進的な車両だったかもしれないが、時代が経つにつれ、冷房の未設置やファンデリアの音が目立つなど末期は時代に合わなくなってしまったような感じがしますね。
京成線で、急行として走っていた時代は、前面には急行の丸のヘッドマークを付けて走っていましたね。これは1990年代の半ばまで行われていましたね。
その昔はこの車両は東中山までしか乗り入れませんでしたが、時代が経過するにつれて佐倉や成田などどんどん遠くに乗り入れることになりましたね。この車両の功績は、今でも十分輝くものだと思います。
特急あらかわ様、ようこそいらっしゃいました。
まったく宣伝をしていないブログなので、コメントが全然ないのに驚かれたかもしれませんね。
5000形が走っていた当時、私はあんまりカメラを向けなかったのが惜しまれるところです。形態バリエーションの少なさでの「見飽きた感」があったんでしょうね。
ブログのとおり、今年コンデジを手にしてひさびさに撮影をやりはじめたところですが、似たような存在の京成3000形や都営5300形なども今はスルーせずなるべく撮るようにしています。
デジなのでフィルムカメラとは違って枚数を気にせず撮れることもありますが。
とても懐かしい写真有難う御座います。この電車にまつわる思い出がいくつかありますが、昔この電車に乗って京成押上線の四ツ木にあるいとこの家に遊びに行ったり、10代末期のころには、これでバイト先の会社まで通ったことがあります。今となってはとても思い出深くて懐かしい気がします。
都営5000系といえば京急線内の爆走ぶりが良く印象に残っています。急行運用がメインでしたが、激しい横揺れと縦揺れ、そして時速100キロ近くになると出ました!どこから出るのかあの独特のブルドックのような唸りの音!さらには、夏になればバホバホ唸る天井のファンデリアの音!極めつけは運転中いつもフルノッチ!こうなればもはや高速運転は必須、過密ダイヤの京急線で健気に爆走する都営5000系に尊敬を感じていたのは自分だけでしょうか。今となれば懐かしいです。
こんばんは。
幼い頃には浅草線には縁がなく、恐らくこの車両には乗ったことも見たこともなかったかと思います。それでも懐かしい感覚になるのは、きっと、この時代、世代の車両に他の路線で触れていたからなのだと思います。こちらに書かれていらっしゃる、丸ノ内線の赤い電車とは、デザインに通ずるものを感じますね。
機能優先でもあったのでしょうが、端正にも見える車両、好ましく感じます。
ATOで走るような今の新しい技術の盛り込まれた地下鉄と違い、浅草線には今でもどこか地上の在来線のような素朴さを感じます。こちらの車両の他、京急、京成からも昭和の高度成長期の感覚たっぷりの車両が入り乱れて走っていた様子は、今にも増して魅力的だったのではないでしょうか。鋼製車両ばかりだったことも、まさに時代の感覚なのかと思います。
大変興味深く拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
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