2009/11/01

09.11.1 東西下暗し

きのうの草野球の疲れが残り、午前中をダラっと過ごしてしまった。
家で昼を喰ってから、東西線でも撮るか、と出かけた。

私が生来一番多く利用しているのが東京メトロ(旧・営団地下鉄)東西線。
デジカメを手にしてから、東西線を撮りに行かないままだった。タイトルはそんな意味を強引に込めた。

撮るのはひさびさでどこで撮ればいいか迷ったが、浦安へ。西船橋方は東西線地上区間で唯一の、ホームに接したカーブだ。昔使ってたカメラのズームは足りず、ここで撮った記憶はほぼない。
B線西船橋方端っこの柵にかぶりつくと、東葉車がやって来た。


東葉2000系(浦安)

これが限界。東西線は線路際に2段の細いケーブルが架空線で通っていて、ちょうど車両の窓の高さにある。
画面左にもあるヒの字のような支柱が画面右外にあり、これ以上カメラを右に振ると「ヒ」が列車の顔に被ってしまう。
線路ギリギリまで寄ればクリアできそうだが、それをやるとン万人に影響が出る出来事を引き起こすことになろう。



東葉2000系(浦安)

A線も最初に来たのは東葉車。カーブはA線の後追いなら顔が撮れるが、左側にビルがあって編成は見えない。



05系(浦安)

正味の東西線車両・05系。開業以来走ってきたセミステンレス車・5000系の後継として登場したのが1988(昭和63)年。
製造前には丸ノ内線用02系・日比谷線用03系とともに完成予想図が公開され、新しい営団地下鉄への動きをひしひしと感じた。
03系は先代の3000系の流れを汲んでパノラミックウィンドウになったが、05系にはパノラミックは採用されなかった。


05系(浦安)

前面デザインが一新された新05系。全43編成のうちこの25F以降がこの顔で、19本の存在。
斬新な顔は口角(ライトケース)が上がったために「ほっぺ」ができた。改造車のような途切れた帯は、未だしっくりこない。スカートも設置され、こうして正面気味に見ると太ったような印象。ライトケースの片方を赤く塗ると、ペコちゃん。

B線中野方端に移動。


05系(浦安)

ペコちゃんからラインカラー帯の上段の青が濃くなり、メリハリがついた。
05系はチョッパ車で始まったが、のちワイドドア車、VVVF車、車体形状や座席割りの差異、制御器メーカーの違い…もし近鉄だったら何系列に分かれちゃうんだ?というバリエーションの多さ。


05系(浦安)

ペコちゃんに比べるとおだやかな表情に見える05系原形顔。南北線9000系はこの顔をパノラミックにアレンジしたデザイン。9000系は形式こそ旧来のものだが、05系より後の登場だ。



東葉2000系(浦安)

2000系はペコちゃんをベースに造られている。開業時の1000形(「1000系」ではない)は営団5000系の改造だが、2000系は純粋な新車。どちらにしろ、東西線内でも扱いやすい車両だ。
ライト周りの処理が違うため05系と若干印象が変わった。この辺は京成3000形と新京成N800形の関係に似ている。


05系(浦安)

Vマークのついた原形顔。この19F以降はすべてVVVF車で登場。VVVF車そのものは最初のワイドドア車・14Fで試作採用、同じくワイドドアで登場した15F〜18Fはチョッパに戻っていた。
ワイドドア車は5編成で終わり、19Fから通常ドアに戻ったが、側面の窓割りが13Fまでとは変わった。
これは06・07系と同じもので、車内の座席割りは中間車で3-7-7-7-3だったものが4-6-7-6-4とややこしくなった。この変更は先頭車運転台の奥行が従来より拡がり、直後のドアが後退したことに起因している。製造コスト抑制のために中間車を含めた全車両のドア位置を線対称で統一した結果がこれだ。シロウト考えで言うと、金型(かながた)の都合?

利用者にとっては、シートが奇数割りになっているほうが先客がいるときの席選びを自然にできていい。
窓はすべて1枚となり、縦桟はない。中央7人掛け部分の窓からの眺望は広々していて地上区間では気持ちがいい。窓は6人掛けの位置の4枚しか開閉しない。機密性が上がったためか、走行中でも車内は静か。しかし、停電時の換気や事故発生時の脱出のため、最近の車両は再び開閉窓が増えている。


07系(浦安)

07系は6本製造されたが、その特異なドア配置が仇となって有楽町線を追われた。有楽町線と車両を共用する新線・副都心線はホームドアを有し、そのホームドアとドア位置が合致しないからだ。
07系は東西線5000系の置き換え用として第3〜6編成が転属した。この4本は2005〜6年にシートモケットが05系調に変更されて、当時から転属の噂は出ていた。第1・2編成も増発用で移り、すべて東西線所属となった。
第1編成は昨年車両不足の千代田線に青帯姿でアルバイト運用に入り、営団・メトロ史上初の管内3路線で定期営業運転をした車両となった。2路線の例は銀座線車両の丸ノ内支線転属、5000系の東西線—千代田線相互の転属、8000系の東西線アルバイト、国鉄・JR103系1000番台(千代田線直通用から常磐線快速を経て東西線直通用へ)などがある。


07系(九段下・2006.11.10・mb)

東西線で最初に走った第3編成の運用開始3日目の写真。東西線では73Fとなっている。
表示装置が故障中で、途中駅で作業服の係員が乗り込んで様子を見ていた。07系自身の東西線拒否のアピールだろうか?


JR E231系800番台(浦安)

JR車がやってきた。広幅車体のE231系を東西線乗り入れ用にアレンジしたもので、系列唯一の前面貫通・狭幅のグループだ。顔は先に登場している千代田線乗り入れ用209系1000番台と変わらない。
209系以来の座席は東西線を走る車両ではいちばん硬いと思う。


JR301系(浦安・1988)

国鉄・JRの東西線直通車といえば301系・103系1200番台・1000番台。千代田線直通車は早くにチョッパの203系に移行したものの、こちらは永らく抵抗制御の国鉄形が頑張っていた。まさに抵抗勢力。
301系は1966(昭和41)年に登場した国鉄初のアルミカー。中央・総武緩行線に205系が入った頃までは黄帯、その後は誤乗防止のため東西線に合わせた青帯になった


05系(浦安)

シングルアームパンタのペコちゃん。これに乗って葛西へ移動。


05系(浦安・1993.10.31)

探したら1枚出てきた浦安カーブの写真。今回行かなかったA線端から撮っている。過去の写真で予習しておけばよかったな。
05系の見た目の変化は営団のSマーク→メトロのハートMマーク、運転台の遮光フィルム、連結面の転落防止幌程度。
Sマークはいいアクセントになっていたが、Mマークは窓への貼付となり、帯の部分がのっぺりしてしまった。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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