2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/03/12

事業用車 なつかし写真

最近二度(2.132.20)ほど追っかけた房総向け新聞電車が、きょう使命を終えた。
HMだったり湘南色起用だったりという計らいはなく普段着のままでの終焉だったようだ。それでいいと思う。

きょうは新聞電車と、それに因んで事業用車のなつかし写真。



クモユニ143(船橋・1988)(d)(再掲)

列車の写真を撮り始めて間もないこのころ、私はこの荷電がなんで走っているのか知らなかった。
幕張のクモユニ143は転入車でスカ色と湘南色が1両ずつだったが、のち湘南色はスカ色に塗り替えられている。



クモユニ143(両国・1988)

両国の列車ホーム4番線で待機するクモユニ。ユニの名前のとおり「郵便荷物車」で、身延線用として作られたが列車の廃止により他線に移り、郵便のほうはあまり力を発揮しなかったようだ。
現在は3番線のみになっているが、この頃は5番線までホームが残っていた。


クモユニ143(西船橋・1989)

スカ色2連で西船橋を通過。方向幕の表示はまちまち。
この後クモユニは荷電から退いて信州に移ったが、きょうまで113系の一部を仕切って夕刊輸送は続けられた。







クモヤ143+クモユニ143(品川・1989.8)

ジョイトレ全盛の当時、団臨そのものの運転も多く、品川の臨時ホーム(7〜10番線)を覗くと何かしらイレギュラーな列車が停まってたような印象がある。
このときも何かいるか? と訪れたらこのコンビに遭遇。やはりクモヤとクモユニ。入場だろうか?
ロングシートはクモヤの車内。網棚や吸い殻入れなどの装備も見える。



クハ103+クモヤ143(東十条・1989)

クハ103を先頭にやって来た珍編成。クモヤ143の顔は301系を高運にしたようなスタイル。


クモル145(新橋・1989)

山手線外回り線を進むクモル。
クモル145は「配給車」で、無蓋部分を有する電車。牽引車や配給車は機関車や貨車じゃダメなんだろうか?と未だに思う。


クモル145(品川・1989.8)

独特な「91甲」を表示して東海道上り線と京浜東北南行の間で待機。103系高運車に似た顔だが、窓の下辺はこちらのほうが低い。


クモル145・クモヤ143+クモユニ143(品川・1989.8)

そして、91甲が先ほどのヤ+ユニと並んだ風景。イベントでもないのにこういう場面に出会えたのは幸運。



クモル145(品川・1989.8)

クモルを見たことがあっても、荷台の荷物を見るチャンスってあんまりないと思う。載っていたのはAU75系のクーラーキセ。



クモル145・211系(品川・1989.8)

実は、クモルとクモヤの間の9番線には赤丸を付けた211系が…。なかなか贅沢な日。




211系(品川・1989.8)

EF65PFに牽かれて甲種輸送されてきた211系の新車5連。半自動ドアのボタンがあるので高崎・東北線向け3000番台車だと思う。ライト部分にはフタがされていて、その上に赤丸が付いている。




211系(品川・1989.8)

PFの姿はガラスに映った顔しか撮れていない。開放しちゃった後なのかもしれない。




クモル145(浮間舟渡・1990)

埼京線に現れたクモル。荷台には車輪のようなものが見える。
運行番号は2ケタを1つの幕に出す不思議な表示。前後で偶奇の差が出ている。



クモヤ143+マヤ34+クモヤ143(品川・1989.8)

クモヤがマヤ34 2004を挟んだマヤ検。マヤ34は「軌道検測車」で、電化・非電化問わず全線区に入る。機関車や牽引車と組んで走る。
クモヤ143とのペアは塗り分けこそ違うが同じ配色でわりとキレイな編成になる。




EF65 1113+オハ14+マヤ34(尾久・1989)

マヤ34 2003。PFと14系とバラバラな3両編成だが、帯の上辺だけは揃っていた。
挟まれているとわからないが、こうして顔を見ていると、組む相手を選ばないために双頭連結器が付いているのがわかる。



クモヤ143+マヤ34+クモヤ143(品川・1992.12)

こちらのマヤ34 2002は更新改造を受けカラーも派手に塗り替えられた。調べると、このスタイルになったのはこの車両だけだったようだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

1 件のコメント:

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
事業用車両の写真、楽しく拝見させて頂きました。
どの写真も、今からとても貴重な数々ですね。
今では様々な荷物(JR関係の荷物も)がトラックで郵送されているようですが、当時はまだ配給者や荷物用の電車を使って自社で運搬していたものと思います。
これらの作業もなかなか見られなくなってしまいましたが、まだ車庫の片隅にはいるのかもしれません。
どこかで出会えたら良いなと感じさせる、縁の下の力持ちと言う言葉が最も似合う車両達です。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

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