宿のチェックアウトを済ませ再出発。荷物が重くなった。
前記事の最後から1時間弱経った長野駅に戻る。
北へ
こんどはしな鉄のきっぷを買っての入場。
しなの鉄道の路線として長野駅に来ているのは北陸新幹線開業時に転換された北しなの線のほう。長野—妙高高原間の路線だ。
もともとしなの鉄道として1路線のみだった軽井沢—篠ノ井間は今もそのまま「しなの鉄道線」という路線名であるが、北しなの線も絡む所では当ブログでも表現が長くなり困っている。
「中しなの線」「軽井沢線」「上田線」「ちくま川線」などいろいろ考えたが…。何とかならんもんだろうか。
「北しなの線」を「いいづな線」、「しなの鉄道線」を「あさま線」にするとかね。
しなの鉄道115系(長野)
データイムの信越線〜しなの鉄道しなの鉄道線の列車は3番線発が多いようだ。
S23編成単独2連の上田行1636M。
しなの鉄道115系(長野)
引上線には三者三様の115系。スカ色はヘッドライト点灯でヤル気マンマンだ。
211系(長野)
職員輸送代走のN320編成は待機中。この10時台に動き出すそうだが、もはや興味なし…。
383系特急「しなの」(長野)
この2日間「しなの」は6番線のイメージがあったが、この列車は2番線。
「しなの1号」で到着し、回送列車となるようだ。6連のA2編成単独の列車。
そして、この「しなの」の右奥には…
飯山線キハ110系(長野)
出ました、飯山色のキハ110系! 実はこれから乗る予定の列車に充当された。
前記事に書いたとおり、8時台に当駅終着→長総への回送列車として動いていたのに撮り逃していた。
昨年3月末に登場したこの復刻塗装車は2両しかなく、その2両で組んだキレイな編成を撮れた。
結果として私はラッキーだったわけか。
小海線キハ58系(甲斐小泉・1989.9.16)(再掲)
こちらが元ネタのキハ58系に施されたもの。小海線でもよく走っていた。
私が中3のときに撮ったものでいまやこの写真でしか色味が思い出せないため、キハ110系の復刻塗装の青は明るすぎるように感じてしまった。
これは、復刻塗装を観た鉄道ファンが陥りやすい勘違い。実際に違う色になってる場合もあるとは思うが。
他にも写真があるので、こちらとこちらの記事でどうぞ。
飯山線キハ110系(長野)
豊野—越後川口間の飯山線を完走する越後川口行。完走便は下り3本のみで、上りの完走便は皆無という面白い設定。
この131Dは長野10:29→豊野10:43-44→越後川口14:05というダイヤ。
運行番号こそ変わらないが、戸狩野沢温泉で11分、森宮野原で19分、十日町で28分のバカ停があり、実質4本の列車に分かれてるような感覚。
なお戸狩野沢温泉で1両切り離され、その先は単行となるそうだ。
飯山線キハ110系(長野)
「VOITURE AMITIE´」は「友情の列車」というフランス語だそう。
“う゛ぉいちゅぁ あみてぃえ”と頭の中で読んでいたが、“ヴワテュール アミニティエ”(@JR東日本長野支社のPDF)だそうだ。他はともかく、ニが入んのね。
飯山線キハ110系(長野)
ボタンでドアを開け、中に入る。
飯山線キハ110系(長野)
長野方キハ110-233車内。青系のモケット。
セミクロスシートで、クロス部分は1+2列。
飯山線キハ110系(長野)
越後川口方キハ110-231車内。こちらは赤系のモケット。
同社の一般形兄弟系列電車みたいな車番同士の2両編成だ。
この赤いほうの1人がけクロスシートに座り、出発。
長総流し
しなの鉄道初乗車。ただし車両はJR。1人がけクロスシートは進行方向右側だ。
(長野—北長野)
廃車置き場に釘付け。
廃車ではなかろうE257系の屋根の向こうにはボロボロの253系。
クロ253-1が機関車群とともにずっと置かれている。前日線路際から覗いた際は角度が悪かったか見えなかった。
(長野—北長野)
長野駅で撮ったN102編成は定位置でおねんね。
(長野—北長野)
むむっ。旧新潟色と首都圏色のキハ40系といえば、前日新津で寝ているのを「しらゆき」の車内から見たぞ。
旧新潟色がキハ47 1517、首都圏色がキハ47 514だ。
新津の原画を拡大してみたら、旧新潟色の車番は同じだった。私を追いかける形で長野に移ってきたのだ。
件の長総のリポートをしているブログさんによれば、この翌日に新潟へ戻った様子。
(長野—北長野)
キハ110系の奥に快速「リゾートビューふるさと」などに使われるHB-E300系がチラリと見えた。
土休日ならば走っている姿を撮れるのだが、平日だもんで。
ウエルカム三才児
貨物列車も来る側線の多い北長野駅を経て、2つめの三才(さんさい)駅に到着。列車を下りる。
飯山線キハ110系(三才)
見事にノーマルキハ110系と並んだ。まだここはしなの鉄道北しなの線であり、飯山線ではない。
(三才)
勝手に「みさい」だと思ってた三才駅。地名は難しいな。
(三才)
ホーム通路には各復刻塗装編成の今月の充当運用表が出ている。
私は同じベースの表をネットで見たのだが、この体で駅に掲示されているのはすごいな。
私がこの駅で下りたのは、まさに運用表がきっかけ。これから妙高高原行のスカ色編成が来る。
私はしなの鉄道しなの鉄道線に進む予定だったが、ひとまず北しなの線で長野駅から近い対向式ホームの駅があって、いいタイミングで長野駅に戻れるのであれば、一旦スカ色を迎えようというコンセプトに見事にハマった駅だった。
115系(三才)
131Dから12分後、スカ色S16編成が登場。
長野駅で撮っているが、こういう普通の駅での姿も撮りたかった。
後追いだが、日を浴びて緑をバックにしたスカ色は美しい。
(三才)
駅舎の待合室には保育園児に「トトロ」をテーマに描かせた絵が並んでいる。
色調以外、同じ物を描いているとは思えないバラエティの多さ。
(三才)
立派な駅舎が鎮座している。青空に溶け込む空色の屋根がステキだ。
駅前はロータリー状になっている。
(三才)
駅名から、三歳になった子どもを連れてくる客もいるそうで、こんなのぼりや記念撮影セットがある。
きちんと日付を替えてるんだな。
(三才)
ロータリーのヘソにいる像。なぜか駅前にこういう芸術作品があるもんで。裸の女性の作品もまた多く…。
「明るい眸(ひとみ)」というこの作品、モデルは三歳ではないが、脱がしてはいけない年頃の子にも見えたり。
何よりポーズが面白くてつい撮ってしまった。「第18回長野市屋外彫刻賞受賞作品 1990年11月」と書いてある。
(三才)
不思議な感じの駅前会館と、おやきとジェラートの店が並ぶお菓子屋。
暑いのでジェラートを食べて列車を待とうかと考えたが、店はお休みだった。
115系(三才)
スカ色から25分ちょっと過ぎたところで長野行326MがS4編成で到着。
到着直前には10〜20人程度の客が待っていた。当駅付近は学校が多く、通学時間帯はもっと人が多いようだ。
こんどはしな鉄車両の初乗車だ。
115系(北長野)
走行中は揺れてうまく撮れず、次の北長野停車中に撮影。
115系にドア上ディスプレイが付く時代になった。
115系(北長野)
新潟で見たのと同タイプの更新されたクロスシート。
EH200-9(北長野)
ブルさんがポツンと停まっていた。
(長野—北長野)
長総流しふたたび。『おいこっと』の姿が見えた。
こちらも基本的に土休日じゃないと撮れないが、たまに平日の普通列車に起用されることもあるそうだ。
(長野—北長野)
サハE230が鉄屑(ステ屑?)になっていく。使い回しが利かないタイプだから、致し方ないが。
東武では日比谷線直通運用から撤退する20000系列の北関東ローカル用転用改造が進んでいるが、その中には20050系の5ドア車を3ドア車に改造するものも含まれるそうだ。これもビックリな話。
20050系は3ドア車とドア位置が合っているからそんな芸当もできるんだろうが、サハE230のドア配置は我が道を行っているからなぁ。
(長野—北長野)
前日に新幹線車窓からどこだか遠くに見えた湘南色115系の訓練車は往復とも捜していたが、結局確認することができなかった。
こちらでもクロ253-1の姿が見える。
115系(長野)
長野駅2番線に到着。ボックスシートや車番を記録しつつ降りる。
飯山線キハ110系(長野)
向かいの4番線には飯山線キハ110系。
キハ112・111-210のユニットは、朝当駅で引き上げる姿を撮ったり三才駅ですれちがった編成。
115系(長野)
しなの鉄道しなの鉄道線に向かうため3番線へ移動。乗ってきたS4編成を反対側から撮る。
383系特急「しなの」(長野)
6番線が定番の特急「しなの」。12:01発の12号と思われる。名古屋にはちょうど3時間後の到着ダイヤ。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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