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2009/10/01

91.7.21 豊橋駅

この記事では前回記事のゲタ電乗車前後に豊橋で撮った各列車の写真を載せよう。

豊橋はJR東海の東海道新幹線、東海道線、飯田線のほか、名鉄本線、豊橋鉄道渥美線、豊橋鉄道東田本線が集まる。
このうち東海道、飯田、名鉄本線は同ラッチ内での接続。渥美線の駅は「新豊橋」、路面電車の東田本線は「駅前」。


東海道線117系(豊橋)

117系は京阪神の新快速用に作られた形式で、のち中京地区にも投入された。
二段窓の0番台を6連で投入したがのち4連化することになり、6連を半分に切り、新製した一段下降窓の100番台のクハをつけて4連とした。すべて4連のため、窓が揃った編成は1つもない。
当初は京阪神と同じクリームに茶色の帯だったが、311系などに合わせたJR東海色に変更になった。


東海道線117系(名古屋付近?・1989)

原色時代の東海の117系。中学の修学旅行で新幹線車内から撮ったもの。一段下降窓のクハ117-100番台。


117系快速「ナイスホリデー天竜・奥三河」(豊橋)

こちらはホリデー快速。大垣や名古屋から東海道線経由で飯田線へ入るロングラン列車。
117系のJR東海色は試験塗色車が白地にオレンジ太帯1本ののっぺりした姿で登場したものの、普及したパターンは写真の状態の「太帯内の白ストライプ追加&雨樋もオレンジ化」という状態だった。ところが、省力化のためか1999(平成11)年ごろから試験塗色の状態に変更になり、現在に至っている。


東海道線211系(豊橋)

東海地区の211系はこの薄型分散クーラーが特徴の5000番台が中心。JR化後に大量投入された。
近年の313系のように、その増殖っぷりはものすごかった。


東海道線311系(豊橋)

311系はJR東海独自の車両で、117系に代わる新快速用に3扉・転換クロスシートで登場した。1989(平成元)年に西日本の221系、九州の811系とともに3扉転換クロスの新系列三羽烏として話題となった。
現在新快速は313系に取って代わられ、東海地区の普通列車や中央西線の快速として活躍している。


飯田線115系(豊橋)

飯田線の快速列車。飯田線は当時も119系がメインだが、この列車は115系。
東海地区の115系は1981(昭和56)年に身延線に投入された2000番台。車体はワインレッドに白帯の新色で、側面方向幕と冷房は準備工事にとどめた状態だった。御殿場線でも使われ、1988(昭和63)年ごろか、東海道線グリーン車で伊豆へ行く際に国府津でワインレッドの115系に出会ったときはびっくりした。
湘南色に変更されたあと、準備工事のままの側面方向幕Hゴム内側が緑1色に塗られていたのが特徴(たぶん写真の車両もその状態)。高さ的にはオレンジと2色に塗り分けるべき箇所なのだ。冷房化は集中冷房の準備を活かさず、東海独特の薄型分散インバータクーラーが用いられた。


名鉄7000系(豊橋)

今年8月いっぱいを持って引退した名鉄のパノラマカー・7000系。似た顔の小田急ロマンスカーやJRのジョイフルトレインがあるが、この7000系が原点である。
行き先の「新岐阜」は現在の名鉄岐阜。この幕化された車両はその通り表記していたが、めくり板式の車両は当時も「岐阜」だった。

歴史的背景から飯田線豊橋—平井信号場間は名鉄本線との共用になっていて、途中の船町・下地は飯田線のみの停車。
豊橋駅では1・2番線が飯田線、3番線が名鉄専用ホームになっている。名鉄は早朝・深夜を除き完全パターン化された1時間6本の列車が発車するのに対し、飯田線は1時間4本ペースと、線路の数と列車本数が逆転している。
旧二俣線用ホームが残るなど構内に余裕がありそうな豊橋駅だが、未だ名鉄に対する冷遇は変わらない。

名鉄は1時間に2本ある普通列車を1つ前の伊奈駅発着にしてどうにかダイヤを組んでいるが、豊橋から伊奈の次の小田渕に出るには急行で伊奈へ出て、16分後の始発の普通列車に乗るという酷い接続になっている。伊奈—小田渕はたった2〜3分だ。
小田渕の次の国府は特急が停まって先行の普通に接続。豊橋行もまったく同じパターンになっている。つまり、小田渕—豊橋相互間のみが非常に不便になっているのだ。
小田渕駅は一日の平均乗降客数が200人ちょっとで、名鉄本線の駅の愛知県内最少だとか。

なお、名鉄本線は名鉄岐阜駅手前が単線になっている。これはJRの高架をくぐる部分で、同じくダイヤ上のネックになっている。本線の両端がJRによって締め付けられているという感じだ。



名鉄1000系(豊橋)

1000系「パノラマSuper」は1988年にデビューした特急用車両で、全車指定席車の4連で登場した。
しかし、のちに名鉄の方針転換で一般席車との混結化が進み、昨年ついに全車特別車編成が全廃。2代目5000系への機器供出のため、廃車も進んでいる。
1999(平成11)年製の支線指定席特急用1600系も方針転換のあおりでク1600がたった9年で廃車。1961(昭和36)年デビューの7000系パノラマカーが今年まで走ったのを考えると、これらは非常に勿体ない話である。


名鉄7000系(豊橋)

帰りに遇ったのはめくり板式表示のパノラマカー。窓はすべて平面ガラスで、じーっと見ると武骨な顔をしている。足元もジャンパ類や連結器が露出しているほか、あろうことか手歯止め挿しがついていたりと、若干残念な部分も。竣工当時は連結器だけだったが、併結運転などのために実用的な姿になってしまった。
後出の小田急3100形NSEは展望室に曲面ガラスを用いて、足元もカバーで覆われ滑らかな印象がある。


名鉄5500系(豊橋)

日本初の「大衆冷房車」として登場したのがこの5500系。この系列の表現に使われる「大衆」とは特別料金を必要としない列車という意味だ。新幹線ホームに移った途端に入ってきて、もうちょっといればよかったと後悔。
性能的にはパノラマカー7000系のベースにもなっている。すでに全廃。



EF65 1000+20系&20系・14系ホリデーパル(豊橋)

さらになんとEF65 1000が20系を牽いて現れたと思ったら、その後ろには「ホリデーパル」が。
在来線ホームにいたらもっとちゃんと撮れたかもな…。

往復で乗った0系こだまの写真はまったく撮らずにいたのが今となっては後悔。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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