つづき。
103系(二俣新町・1988.12.4)(d)
我が地元・二俣新町駅の開業4日目。1枚目は現在もお気に入りの場所(いい画になる、ではなく地元としてのお気に入り)で撮った写真だ。
「京葉線」を出しているのはラシ410編成なので新木場で開業日に白幕だった車両。やっぱり幕が動かないので「京葉線」に固定したんだろう。なお、3枚目が上の2枚と同じ「17Y」を出したラシ403編成だが、全く同じ時に撮っているもの。何かの手違いか幕の故障により同じ運用番号表示の別編成同士が走っていたと思われる。
103系(二俣新町・1989)
年が明けてからの写真。京葉線の103系は通常「蘇我-新木場」固定で面白くないので、新習志野行というだけでフォトジェニックだった。
二俣新町はデルタ線の中にある不遇の駅で、目の前を東京や南船橋へ向かう武蔵野線が通過していく。正直、こんなところに作って乗り降りしてくれる人がいるんだろうか? と不安になったものだが、案の定、通勤時間帯以外は閑古鳥状態だった。
今もそんなに雰囲気は変わっていないが、車寄せと電話ボックスくらいしかなかった駅前にはコンビニが現れ、湾岸道路を挟んだ先の旧・TCAT跡地には待望の商業施設・コーナン湾岸市川モールができ、駅売店以外でも買い物ができるようになった。
103系(二俣新町・1989)
ラシ410編成のバックに見える「津覇車輌工業」、東武の車両がらみでよく聞く名前だけど、私はここにあるこの建物の印象が強かった。調べると鉄道車両も やっているが土木建設機械のパーツを扱うのがメインで、この地域にはあちこちに事業所があるようだ。この二俣新町(厳密には二俣川の向こうで二俣新町の市川市ではなく船橋市)にある建物内で何を扱っているのかはわからない。
103系(二俣新町・1989)
新木場開業後もラシ302編成の活躍は続く。10両貫通なので日中は走らない。
103系(市川塩浜・1989)
この10連のクモハの方向幕は珍幕で、関西でよく見られた小さい文字の幕になっている。
103系(市川塩浜・1989)(d)
市川塩浜での6連列車いろいろ。
103系(市川塩浜・1989)
転入車により徐々に通常の高い位置のJRマークの車両が増えていった。
103系(市川塩浜・1989)
103系(新浦安・1989)
新たに転入した編成にはクモハがない4連も登場。高運車で簡易冷房改造のモハユニットを挟んだ4連が蘇我方についている。方向幕が間に合っておらず、仮の英字なしのものが挿入されている。
この記事の最後はオレンジの京葉線の写真。…と言っても、臨時列車だが。
武蔵野線用103系の京葉線臨電(西船橋・1989)
西船橋に現れた「西船橋⇔千葉港」のサボをつけたオレンジ103系。最初の開業当時のような区間設定の列車だが、これは海浜幕張駅最寄りの幕張メッセで「東京モーターショー」が行われている日の臨時便。
なぜ海浜幕張行でなく千葉みなと行なのか? 謎解きをすると、当時の海浜幕張はまだ内側線にレールはなく、2面2線だったのだ。その先の最初の折り返し可能駅が千葉みなとだったわけだ。海浜幕張を過ぎても客扱いをするのが面白いが、今考えれば、検見川浜・稲毛海岸・千葉みなとに武蔵野線車両が現れる姿を撮りに行ってないのが惜しい。
武蔵野線用103系の京葉線臨電(西船橋・1989)
サボは当時の正式名称どおりの「千葉港」表記だが、利用者は「みなと」のほうが馴染みがあるはず。こういうところのセンスのなさはまだまだ国鉄くさかった。
なお、京葉線の臨時列車と武蔵野線のなつかし写真はすでに記事を立てたのでそちらを参照。その他の写真もアルバムに掲載。
それにしても、ダイヤのいたずらのせいかスカイブルーとオレンジの103系が顔を並べている写真が1枚も見当たらない。そんなシーンに出くわせば間違いなく撮ってるはずなのだ。
東京延伸後の写真はまた後の記事で。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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