2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2019/07/13

19.7.13 さぬき鉄2019・4/仏生山

仏生山駅の外に出る。


仏生山の展示場

今回この駅に来たのは前記事のとおり留置車両観察なのだが、外に出ないと見えないものもあるのだ。



(仏生山)

改札口は下り線側に常時開いているものがある。
駅前は小さなロータリーになっていて、その中心には2枚目写真の立て札が立っている。
2枚目の左上隅に見えているが、ロータリーの脇へ出ると…


120号(仏生山)

レトロ電車〜。
車庫の1線だけロータリーの脇まで延びていて、ここにはレトロ電車が展示されるがごとく停められている。
これは旅の前にストリートビューで見つけたもので、そのときどきによって車両は入れ替わっているようだ。




120号(仏生山)

本日の車両は1000形120号。昨年23号と組んで団臨で本線に出た姿に遭遇した。
1926(大正15)年製の、ことでん開業時に準備された車両。




120号(仏生山)

この留置線の脇は公道で、こうして両方の顔を入れて撮ることができる。
昨年遭遇時はこの留置位置でいうロータリー側からしか撮っていないので、今回は逆側から撮れたことになる。



1100形・1200形(仏生山)

120号の脇の道を進み、駐車場越しに3本の編成の並びを前後から撮る。
折り畳み傘を持ってきたので傘を差しながらの撮影だが、どうしてもレンズが濡れてしまう。
都度拭き取るも、1枚目のように気づかぬまま撮ったコマも。



デカ1(仏生山)

デカの顔も真正面からズームで撮れた。台枠より狭い「キャブ」が強烈な個性を発揮している。




長尾線1300形(仏生山)

博物館の展示車両のごとくピカピカの1300形1307F。


1200形(仏生山)

1307Fの先の建屋内にはこんぴらさん塗装の1205F。
方向幕に英字が入った。昨年乗車した際は英字はなく、貫通扉には「金」の文字も入っていた。改装中なのかも?
さらにこの建屋の脇を進み太田方面へ抜けようとしたが、工場の敷地となるため進めなかった。


1200形(仏生山)

駅前に戻ると、高松築港行電車が来たところだった。道路の踏切から撮る。
この1211Fも英字入り方向幕になっている。昨年は英字入りの車両は一切見かけなかったな。


仏生山の大奥

駅西側に出ると、路線バスが停まる近年整備されたふうのロータリーがある。
上りホームに直接出入りできる改札口もあるが、閉まっている。



みんなの病院とみらいの薬局

ロータリーの先の交差点南西方向に「高松市立みんなの病院」というこれも新しい建物が見える。
調べると、私が昨年訪問したあとの9月1日に病院開業に合わせ西口改札が開設され、平日7時〜17時に開けているとのこと。
高松には高徳線昭和町—栗林公園北口間の線路際に高松市民病院があったが、みんなの病院に機能を移し閉鎖された。建物はまだ残っている。

仏生山駅到着前に車窓に見えた北側の留置線のレトロ電車を観察するため、西口から住宅街を北上。
アンダーパス道路でことでんをくぐって東側に移った。


1070形(太田—仏生山)

アンダーパス上部のガードレール越しに撮影。
これは駅で600形の奥に続くように見えていた編成。

アンダーパスから1つめの踏切に出た。いるいる…



23号+300号(太田—仏生山)

単線の本線に複線のように並ぶ留置線はこの踏切の先まで進んで途切れているようだ。
赤胴が鮮やかな23号と真っ茶色の300号がつながって停まっている。
ズームで撮っており、留置位置は踏切からまだまだ奥に進んだ先だ。

線路東側の民家の合間の道を進むと、車両の真脇に出られた。


23号(太田—仏生山)

23号も昨年120号と組んで動いている姿に遭遇した車両。
写真左側が琴電琴平・右側が高松築港方面となるが、琴平方の顔は民家があって撮れない。



300号(太田—仏生山)

こちらは今回初撮影の3000形300号。
2010(平成22)年3月からこの茶色一色塗装になっているそうだ。
上田電鉄の車両を思い出す丸窓が特徴だ。


1310号(太田—仏生山)

そして、2両の後ろには無蓋貨車の13000形1310号が台車を積んで置かれている。
この貨車も仏生山名物のようで、長年この場所に置かれているとか。イベントの際デカに牽かれて仏生山駅まで動いたことはあるようだ。
車籍はあり、ことでん唯一の無蓋貨車だ。


23号+300号(太田—仏生山)

雨は降り続く。
120号がいたあの位置にいつもレトロ電車がいることを知る前の私の勝手な感覚では、レトロ電車全4両はみんな建屋内で雨風を避けて大事に置かれているものだと思っていたが、けっきょく4両すべてが屋根のない場所にいて、この2両なんか両サイドもガラ空きで風にも吹かれ放題の位置にいる。これは意外だった。


1310号(太田—仏生山)

積んでいる台車は1070・1080・1100形で使っている京急形のように見える。
元・京王の1100形も京王時代との軌間の違い(京王:1372mm、京急・ことでん:1435mm)から京急形に履き替えている。



23号+300号・1310号(太田—仏生山)

このレトロ電車2両と無蓋貨車で終わると思ったら、まだ続きがいた。



(太田—仏生山)

カバーをかけられた台車、そして雨ざらしの台車。
奇しくも高松市が設置したゴミ不法投棄への注意看板の目の前であるが、ことでんの設置した白い看板もあるので、高松市のものはこの台車に対する話ではない模様(冗談)。



(太田—仏生山)

2枚目の台車の銘板は「大阪 汽車會社 昭和23年」とある。23号が履いているもの(信貴生駒電鉄の発生品)と同じようだ。
台車に草がからみ、ラピュタ化が進んでいる。


1080形(太田—仏生山)

移動の合間にセブンイレブン広告車が来た。広角で迎えたためかっちり撮れなかった。


23号+300号・1310号(太田—仏生山)

先ほどの踏切から一つ高松築港寄りの踏切を西側へ渡り、田んぼ越しに撮影。
背後の山はおそらく実相寺山。




23号+300号・1310号(太田—仏生山)

西側の真横から。こんな感じで障害物が少ない状態。
ここに車両を置くと、職員は仏生山駅まで線路上を延々歩いて帰るのかな?



23号+300号・1310号(太田—仏生山)

西側から回り込むと「どうぞ留置車両のところに来て下さい」というような農道があり、線路の手前で途切れている。
農道に沿った用水路のみ、ことでんをくぐって先ほど私がいた東側に抜けている。
…駅に戻ろう。


1070形(太田—仏生山)

西側から仏生山駅へ向かっていく途中、1070形がまた見えた。
さきほどアンダーパスのところから撮った編成とは建屋の反対側にいる別の編成。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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