今回はこまごまあったため前記事から漏れた1989年と1990年の5000系の写真をまとめて紹介。
地味なものばかりだが…。
行徳1989
行徳駅は相対式2面2線の駅。しかし「かぶりつき」で列車に乗っていると2面4線の駅が迫ってくるように見える。
ホーム上屋はY字の鉄骨で支えられており、外側は両方向とも先細りになっていて、2面4線に対応した構造なのだ。駅は開業時からその外側部分に壁を建てて塞いだようなスタイルとなっている。コンコースへの階段はホーム枕木方向中央にあり、ホーム上では階段の線路と逆側も通り抜けができるようになっている。
5000系(行徳・1989)
この5839Fは千代田線開業用に製造された5000系のトップナンバー。3連で新造→中間車2両を新造し5連化→5連2本連結で10連化→東西線移籍で再び5連ずつに分けられ、戸袋窓なし中間車を新造し7連化という変遷。4・5両目は戸袋窓がなくツルツルな部分が多いので明るく光っている。
5000系(行徳・1989)
残雪の軌道を走る。これまた元千代田線の7連。
5000系(行徳・1989.8)
相変わらずの若気の至りフラッシュ御免。
5000系(行徳・1989.8)
ほんと、この頃は何も考えずに撮っていた。
5000系(行徳・1989.8)
戸袋窓が埋められた5813F。日陰で真っ暗。
茅場町1989
地下駅ではあまり撮らなかったが、茅場町のものが4枚あった。
茅場町は日比谷線との接続駅。東西線では他ののりかえ駅はすべて、コンコースに出るとまた違うレベルにあるホームに移動をさせられるが、この駅のみは東西線ホームからコンコースへ上がると日比谷線ホームのレベルに出る構造になっている。
5000系(茅場町・1989)
7連の快速も当たり前のように設定されていた。
もともと白タイルのみの装飾だった茅場町の壁はこの頃に改装されてラインカラーが付いた。証券会社の広告は兜町の最寄り駅である茅場町ならでは。
5000系(茅場町・1989)
こちらもSが白文字なので7連とわかる。5038は東西線に直で投入された先頭車では5838とともにいちばん最後の番号。新製順では竜巻事故の代替車・5818(2代目)が一番新しかった。
5000系(茅場町・1989)
冷改・帯改修・ATS-Pが揃った5829F。まだ乗務員室助士側に大きな箱があり、完全版とはなっていない。
5000系(茅場町・1989)
こちらは非冷房のままATS-Pが付けられた5817F。
となりの日本橋との短い駅間にはシーサスクロッシングがあったため、ルートとしては永代通り直下でまっすぐだがホームがすぼまっている。
西船橋1990
東西線はもっとたくさん撮っていたような気がするが、この年以降は探してみると思ったより枚数が少なかった。地元すぎてじっくり撮ることもしなかったのが今となると惜しい。
5000系(西船橋・1990)
この頃には先頭車正面窓に編成番号が表記されている。津田沼行。…ということは学校の休みの時期に朝の西船橋で撮ったものだろう。JRの番線表示は国鉄型からJR型に変わっている。
5000系(西船橋・1990.9.9)(再掲)
すでにアップした写真。何らかの理由で西船橋口が葛西折り返しでの運行になったのだが、詳細を憶えていない。85FはまだATS-P化されていない。
【2021年追記】葛西行発生の理由が判明した。初出記事参照。
5000系(西船橋・1990.9.9)(再掲)
こちら59Fは東西線で一番最後まで残った5000系の編成。ATS-Pは載ったが非冷房と、編成毎に仕様がバラバラ。
原木中山1990
現在と同じく、どこかへ撮りに出かけるときについでに撮っているだけと思われる3枚。
5000系(原木中山・1990)
この編成は編成番号がまだない。西船橋の写真より前の時期なのかな?
5000系(原木中山・1990)
トップナンバー・5801号。数少ない昭和30年代製造の車両だ。
5000系(原木中山・1990)
カメラもフィルムも同じものでも、DPEをどこに頼むかで仕上がりが左右される。この1枚は西船橋での津田沼行の写真と同じ店にプリントを頼んだものとわかる。車両は夜の葛西行の写真と一緒。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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