2010/01/30

10.1.30 往きついでの東急

ガス橋(がすばし)近くの多摩川河川敷にあるグラウンドへ草野球の試合をしに出かけた。目指すは東急多摩川線の武蔵新田(むさしにった)駅。
今のカメラでは東横・東急多摩川線内で撮ったことがないので、ついでに列車を撮っていくことにした。
若干不自然なタイトルだが、昨年10月10日も同じく東急を草野球ついでに撮った。その時は「帰りついで」だった。

東西線〜日比谷線〜東横線と乗り継いで多摩川駅に到着。



埼玉高速2000系(多摩川)

ファーストショットは東急9000系だったが、思いっきり失敗。目黒線を走る埼玉高速鉄道2000系が最初の写真になった。埼玉高速がメトロ南北線と一体化しているのを象徴する、南北線9000系に似たカラーリングだ。会社略称の「SR」は芝山鉄道と同じ2文字。



横浜高速Y500系(多摩川)

東横下り線をやってきた横浜高速Y500系。東急5000系をベースにした車両で、派手なカラーリングが最たる特徴か。これらの写真の角度では側面が見えづらくその派手さがわかりづらいか。
HMはみなとみらい線開業6周年記念のもの。運が良かったかな? 居合わせた年配の撮影者さんに訊いたところ、もう1本角張ったHMの編成も走っていて、もうすぐ上り列車で来るとのこと。残念ながらそれを待っていると試合に間に合わない…。

現在の多摩川駅は高架に2面4線(外側:東横線、内側:目黒線)、地下に東急多摩川線の1面2線が配置されている。目蒲線時代はJR代々木駅と同じ構造の3面4線で、東横・目蒲の両複線が単純に並んでいるものだった。蒲田方面から桜木町方面へ出る場合は同一ホーム上でのりかえができた。


メトロ03系(多摩川)

お次は東京メトロ日比谷線の03系。歴史の古い日比谷線は既存の道路の交差点をきっちり曲がりながらのコースどりのため急カーブが多く、東横線と同じ8連でも車長が18mに抑えられている。乗り入れ先の東武・東急ともに、この小さい車両規格が輸送上・案内上のネックになっている。



都営6300形(多摩川)

都営三田線6300形。この界隈を走る各社の車両の中で唯一「形」を名乗る車両。なんだか東急じゃない車両ばかりだな。
目黒線はメトロ南北線・都営三田線とともに全駅ホームドア化されており、ワンマン運転が行われている。

この複々線区間を通るのは東急・メトロ日比谷線・メトロ南北線・都営三田線・埼玉高速・横浜高速の車両。東急以外は各線1系列の車両だが、それでも豊富なバリエーションだ。

東横線は2012(平成24)年にはメトロ副都心線との相互乗り入れが開始予定で、メトロ車のほか東武・西武の車両も東横線・みなとみらい線に入る。
さらには2019(平成31)年の予定で相鉄との相互乗り入れも計画されているが、相鉄はまず西谷駅〜JR東海道貨物線横浜羽沢駅間の接続線を建設しており、2015(平成27)年4月からJRへの乗り入れ開始予定。その横浜羽沢駅から日吉駅までさらなる線路を新設し、東急にも直通するというものだ。
ただ相鉄と東急を直通する系統が東横線・目黒線のどちらに入るのかは未決。10連が入れる東横線〜副都心線が有力だが、相鉄が2本の路線で都心に入るメリットがあるのか私には疑問だ。渋谷・新宿(三丁目)・池袋へ直結するなら湘南新宿ライン経由でも行けるわけで。


5080系(多摩川)

ようやく登場の東急車。目黒線の5080系は6連で幕帯が紺色。5000系列はJRのE231系がベースになっている。209系に始まるJR東日本の各ステンレス車もそもそもは東急車輌が開発に関わっている。



9000系(多摩川)

最初の新製VVVF車・9000系は東横線の主力として活躍してきたが、現在は数が上回った5050系にその座を譲った。
1枚目の編成は広告電車「TOQ-BOX」に用いられた車両で、登場時は側面にもステッカーで装飾がしてあったが、現在は前面にのみ残っている。




5080系・メトロ9000系(多摩川)

東西線05系をアレンジしたスタイルのメトロ南北線9000系。南北線は全線ガラス張りのホームドアが設置されていて、この東急直通開始までは千代田線・有楽町線に顔を出さない限りマトモに車両を撮ることはできなかった。9000系に乗ったことはいくらでもあるが、今さら初撮影だ。
最近登場した増備車は正面帯が笑顔のようなラインになり印象が変わった。こちらもすでに乗ってはいるが、今回は会えなかった。

そろそろ武蔵新田に向かうことにして、東急多摩川線ホームに移る。


1000系(多摩川)

18m車4連で運行されていた目蒲線の分割(目黒〜田園調布は目黒線、田園調布〜多摩川は東横線、多摩川〜蒲田は東急多摩川線に変更)の際、東急多摩川線は池上線と共通の18m車3連に逆戻りした。
この1000系は日比谷線直通用として登場した形式。顔は9000系と同じかと思いきや、おでこの表示器周りを黒塗りして差がついている。
日比谷線向けのため8連貫通で登場したが、最後に増備された編成は中間に運転台付車両を入れた4+4のスタイルで登場。目蒲線では分割されて使われた。中間に入る先頭車は貫通扉が中央にある。また池上線用に3連で製造された編成も多い。
平成世代の3連口は7700系や7600系も残る中早くも廃車が出て、上田電鉄や伊賀鉄道へ譲渡されている。ともに2連となり中間車は廃車されてしまったのが惜しい。


写真の1000系で武蔵新田へ移動。ひとまず時間が許す限り撮ることにする。

武蔵新田のホームの時刻表を見ると、6分ヘッドと想像したより高頻度で運転されている。蒲田へ出るとスイッチバックして池上線の列車に変わる便も数本あり、扱い上は蒲田行であるが時刻表には池上線での行先も含めた目印がついていた。



7700系(武蔵新田)

多摩川行でやって来たのはオールディーズの7700系。1000系と同じく日比谷線直通用規格で用意された初代7000系をVVVF制御化した車両。初代7000系は日本初のオールステンレスカー。アメリカのバッド社との技術提携のもと製作された車両はまるでニューヨークの地下鉄のような武骨かつ質素なスタイルのものになった。屋根のカーブが深く、幕板の天地が少ないのが安っぽく見える要素のひとつ。
写真先頭の7902号は貫通扉に凹みが見えるが… なんかの事故の跡だろうか?


7700系(武蔵新田)

東急多摩川線の途中駅はすべて対向式ホームで、連絡通路を有する駅も皆無。直線の駅だと順光の列車を迎えるには反対側ホームに移りたいところだったが、武蔵新田駅は運良くカーブを進んでくる列車を狙える構造だった。せっかくのカーブだが、18m車のたった3連なのが惜しい。
この車両は「歌舞伎」と呼ばれる塗り分けが施された車両で、7600系や引退した8000系にも存在した。そのデザインの目的がわからず、ファンの評判はよくない。初代6000系、7600系(7200系)、8090系や現在の5000系列の顔もそうだが、東急のセンスを疑う要素はちょくちょくある。


7700系(武蔵新田)

正面のみに細い赤帯1本というのが7700系の基本形。初代7000系時代は無塗装→正面のみに太い赤帯1本(帯の下辺がヘッドライトの中心の高さ)という変遷。初代7000系と7700系が目蒲線で同居した時代もあったが、この帯の太さと冷房の有無(7000系は非冷房)で遠目にも区別がついた。
ステンレス車の正面赤帯は8500系新製時に始まり、のち初代7000・7200・7600・7700・8000系にも施された。8090系から側面にも赤帯が入り、同スタイルは9000、1000、2000系まで続いた。



7700系(武蔵新田)

そろそろ時間なのでこの列車で終了。2枚目は出場して駅前の踏切上から撮ったものだ。
多摩川線ホームはドアこそないが、防護柵が設置されている。

今回は2代目7000系などを拝むことはできなかったが、次はついでではなく撮影のために来たい。東横線も同じだ。
ちなみに、試合は負けたものの今年初打席でセンター前へライナーのヒットを打てた。幸先よし。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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