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2010/11/29

日比谷線 なつかし写真

きのう、東京メトロの綾瀬検車区の一般公開が行われた。以前どこかで見て開催日も目にしていたのだが、すっかり忘れていた。

千代田線以外にもいろいろな路線の車両が集まる所だが、目玉は日比谷線3000系の保存車3001・3002号。長野電鉄での第二の人生も終え、奇跡的にメトロに帰ってきた。
個人的には小さい頃からちょくちょく日比谷線で乗った車両で、車内に入れば「なつかしい〜」と唸るかも知れない。

そんな3000系や営団時代の03系の写真は過去に東武東急のなつかし写真の記事でも出したが、まだ出ていないものがあるのでこの記事で公開。


マッコウクジラ・3000系

営団地下鉄3000系は1961(昭和36)年に日比谷線用として登場した車両。営団初という項目としてわかりやすいものでは、架線集電・2両ユニット電動車・セミステンレス車体・狭軌台車・他社線乗り入れ対応などがある。
正面は丸いおでこと桟のない優雅なパノラミックウィンドウ、丸ノ内線300〜500形の流れを汲んだ縦列のライトケースなどが特徴。2連で登場した1次車は登場時に連結器カバーも兼ねたスカートを装着していて、アゴが長いような印象だった。車体裾にも丸みのある車体は、同じステンレスの東急初代7000系のアメリカ的武骨さとは一線を画した「和」を感じさせた。


3000系(学芸大学・1990)

ベンチレーターとドアが原形の編成。ベンチレーターは八角形で薄く、直列配置。東西線5000系も当初は同じベンチレーターが使用されていた。写真の当時このスタイルで残っている車両は珍しかった。
原形縦長ドアはHゴム不使用で窓の角Rが小さいもの。銀座線1800形〜2000形、丸ノ内線の鋼製車両(900形後期車を除く)にも同スタイルのものが使われていた。
1966(昭和41)年製の7次車まではこのベンチレーターとドアの組み合わせで新製された。写真の3073Fはその7次車。逆に言うと、はじめから千鳥配置の箱形ベンチレーターと小窓ドアで登場したのは8次車の6連1本と9次車のモハ3500形(8連化用中間車)のみ。
なおこの3073Fは新製時からATOを搭載しており、3035Fとともに長期試験として日比谷線内で実際に自動運転を行っていた。


営団3000系(小菅・1992.1)(再掲)

再掲になるが、こちらが7次車3000形が入るもう1本。薄く大きいベンチレーターが見える。ドアは小窓のものに交換されているようだ。


3000系(南千住・1991)

南千住は高架駅。他社線への乗り入れ接続駅と東西線以外でメトロの明かり区間にある駅は、渋谷(銀座線)、茗荷谷、後楽園(丸ノ内線)、四ツ谷、南千住、北綾瀬、新木場のみだ。
3000系登場時は営団内に「○○系」の系列呼称やラインカラーの概念がなく、3000系という呼称や日比谷線のカラーがシルバーであることやは後付け。もちろん色の由来は3000系の無塗装ステンレスボディだ。


3000系(南千住・1991)

7次車までの多くは更新により箱形ベンチレーター・小窓ドアに変身した。ドアは5000系や銀座線・丸ノ内線車両に更新で用いられたものに似ているが、それらよりも窓の下辺が高い位置にある…つまり窓が小さく、閉鎖的な感じになってしまっている。先の写真の7次車はどん尻ということで手つかずのうちに引退を迎えたと思われる。
生まれてこの方東西線を利用している私の場合、小さい頃の東西線では「きいろ」…国鉄車を歓迎していた。それは立ち席の際にドアからも外を見ることができたから。成長すると5000系のドアの窓からも外が見えるようになったが、同じときに3000系に乗ると、その窓の下辺の高さが実感できたのだ。


3000系(南千住・1991)

南千住を出て独特な雰囲気の高架線をちょっと進むと地下へ潜る。カーブが終わったところからはガーダー橋で、下を隅田川駅への貨物線がぐぐっている。
3000系の運行番号表示器は後付け。元々は「64s」などと書かれた白い札を同じく助士側窓上辺の中央寄り角に差していた。これは綾瀬にいる保存車に再現されている。5000系は運行番号窓付で登場したが、今度は快速表示器が同じ位置に後付けされた。


3000系(東武動物公園・1992.1)

運行区間の北限・東武動物公園駅に到着した3000系。
日比谷線の冷房化は03系の新造を以て進められた。東西線では05系投入と平行して5000系の冷改が進められたが、3000系は一切冷改されることなく順次廃車されていった。日比谷線に投入された3000系・東武2000系・東急初代7000系はどれも構造上冷房化が困難なものだったそう。7000系に関してはVVVF化され7700系となって冷房化が実現したが、日比谷線には入らず支線用となった。


3000系(東武動物公園・1992.1)

転線し上り列車となった73F。新たに付けられたこの編成番号は先頭車の車号と一致しておらず、どういう付け方だったのかわからないが、廃車が進んでいることも絡んでいるだろう。
また、3000系は「下2ケタが若ければ車齢が高い」という法則が途中から崩れている。写真の3059は3060とともに3次車の最後の先頭車、4次車の最初は3029・3030とおかしなことになっている。
3次車までは銀座線や丸ノ内線の車両と同じく、形式をまたいで下2ケタを続番で付けていた(3001〜3028、4029〜4056、3057〜3060、4061〜4064。3000形:制御電動車、4000形:中間電動車)。4次車からは形式をまたいだ続番をやめ、空いていた3029・4001からの付番になったわけだ。
ということで、3000形は3056の次が3061号になった。4000形は4028の後が4057〜4060、4つ飛んで4065〜と複雑になった。


3000系(東武動物公園・1992.1)

3000系は1994(平成6)年に引退。廃車を逃れた車両が長野電鉄に移ったほか、他社の標準軌や偏軌の車両が狭軌の会社に譲渡される際に台車や走行機器のみが利用されている。


一匹狼・03系

営団地下鉄03系は1988(昭和63)年に登場した。老朽化した3000系の置き換えと冷房車配備を兼ねたものだ。なお最初の2本は急遽増備が必要になり用意されたもので、計画より前倒しでの新形式デビューだった。
車体は6000系から続くアルミボディで、正面窓は3000系のイメージを引き継いでパノラミックウィンドウが採用された。ラインカラーはそのままシルバーが採用され、アルミボディにねずみ色の帯が巻かれるというオシャレスタイルになった。茶色の座席モケットなども含め、同時期に登場の東西線用05系と比べると全体的に高級感漂うルックスになっている。
完成予想イラスト(02・03・05系の3形式同時)発表前、小6か中1あたりの私の中では他線と被らないわかりやすい色として茶色のラインカラーになるんじゃないか? なんて勝手に想像していたが、茶色はねずみ色のラインを挟むアクセントカラーで用いられた。


03系(学芸大学・1990)

先頭部は2枚窓線対称の状態に非常扉を入れ込んだような形。運行番号の文字が営団の他線の車両よりも大きいのも特徴。営団時代のSマークは正面のいいアクセントになっていた。
この03系の顔は01系〜08系の中では独立した形態。01系と02系、05系と9000系、06系と07系、05N系と08系という感じに、各系列は姉妹的なデザインのものがあるが、03系だけは被っていないのだ。


03系(東武動物公園・1991)

東武動物公園駅で貨物列車が脇を抜けていく。
03系の制御器は25Fまでが01系と同じ高周波分巻チョッパ制御、以降はVVVFインバータ制御が採用されている。ドアは1,400mmと05系よりも100mm広く、ドア窓の幅は変わらないのか、多少のっぺりして見える。



03系・東武6050系・2000系(東武動物公園・1991)

折り返しの間にいろんな列車が現れる。東武2000系も非冷房でしぶとく頑張っていたが、日比谷線3000系よりひと足先に姿を消した。


03系(春日部・1992.1)

横幅のある方向幕は「東武動物公園」も余裕で表示できる。東武50050系にも見習ってほしかった。
写真は5ドア車を組み込んだ13F。営団はラッシュ対策としてドアの構造に新たな解決策を求めた。東西線にはドアの間口を拡げたワイドドア車、そして日比谷線には数を増やした5ドア車を導入した。
5ドアになったのは8連の両端2両ずつ4両。日比谷線の駅はホーム両端に出入口がある形が多く、その位置の車両が混みやすいからだ。09F〜28Fがこの5ドア編成で登場し、東武も20000系を同構成にした20050系を8本導入した。
当初東武線内では3ドアのみ使用しており、2・4番目のドアは閉切扱いされた。このドアは内張を緑系として、ドア上には「このドアは開きません」表示のランプが設置された。現在は東武線内も5ドアで客扱いを行っている。

03系は1994(平成6)年が最後の新製で全42本。05系はほぼ同じ43本だが、03系より10年も長く増備が続いた上、今年ついに初期車に廃車が出てしまった。03系は中目黒で「アルミってこんなに柔らかいのか!」と驚かされる大きな脱線死傷事故を経験し1両が事故廃車された(この代替車の新造が正味の最終新造。2001年)が、その他は現在も全車健在となっている。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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