E233系が増殖している地元の京葉線。
思えば先月ラシ区の留置車やケヨ区の公開は観に行ったが、本線上で撮ったのは8月が最後。天気もいいので、いままでどおり、地元の路線の普段着の姿を記録することにした。
顔見せ
昼過ぎ、順光の二俣新町蘇我方カーブに立つ。
205系(二俣新町)
まず現れたのはケヨ9。京葉顔の205系はどんどん数を減らしているが、一部は4連にまとめられて廃車待ちから逃れた。以前からの噂では日光線・宇都宮線黒磯口へ転用と言われている。
E233系(二俣新町)
次は京葉顔を駆逐している新潟組の鉄砲玉・ケヨ501。スカートぎりぎり…。
201系(二俣新町)
こんどは201系用の83運用で登場したケヨ52+K2。前日、ラシ区にいた件のケヨ51+K1が久々にケヨ区に返却回送されたということで期待したが、そう易々とは会えないか。
209系500番台(二俣新町)
4本目の列車は209系500番台ケヨ34。4編成あったこの形式も現在は2本。もう1本のケヨ32は真っ赤な口紅を塗って出場してきたが、あの日以来撮れてない。
E257系500番台特急「わかしお」(二俣新町)
5本目はわかしお。ここまですべて違う形式の車両が来ている。まるで顔見せ。現在車両交代期の京葉線だが、そもそもE233系以外はこの数年間ずっと混じって走っている車両たちだ。
12月の改正では房総特急の見直しで、「さざなみ」が平日1往復・土休日4往復、「わかしお」が土休日2往復、「しおさい」が土休日下り1本、それぞれ削減されることになった。とくにさざなみに関しては土休日が6往復から2往復へと激減となる。E257系500番台は改正後の両国発着の臨時列車での使用も決まっている。
205系(二俣新町)
6本目はケヨ4。ここで連続異形態記録終了。
205系(二俣新町)
7本目はJRマークが完全退化して国鉄スタイルのケヨ22。1本先に来てくれれば連続記録継続だったが。
それにしても、京葉顔が去っていく一方で、量産先行車4本とこのノーマル顔1本が未だ離脱していないのが不思議だ。もちろん検査期限の関係などがあるんだろうが。
顔見せず
海浜幕張行きで201系用の85運用でケヨ54+K4が登場。これに乗って南船橋へ移動した。
201系(南船橋)
ここに来たのはもちろん普段着列車の記録もあるが、武蔵野線205系のある姿を撮りたいからだ。
現在武蔵野線吉川—新三郷間に新駅「吉川美南(よしかわみなみ)」駅が設置工事中。この駅は2面3線で折り返し可能駅となる。定期列車の設定予定はないが、緊急時などに吉川美南折り返し列車が登場することがあるというわけだ。
駅は来年春の開業予定なのでしばらく日があるが、12月改正で武蔵野・京葉線—大宮間の直通列車「むさしの」「しもうさ」が登場するため、205系の方向幕交換が進んでいる。ネットで知ったのは「南船橋行が府中本町行に変わるとき、間のコマに吉川美南が入っている」ということ。それを狙おうという魂胆。
武蔵野線205系(南船橋)
二俣新町で撮影をしているとわかるのだが、二俣支線を西船橋から進んできた武蔵野線はすでに「府中本町」に幕を変えていることが多い。
最初に来た列車は運良く「南船橋」を出してきた。幕が交換されている編成なら「吉川美南」を撮るチャンス。
…迂闊だった。吉川美南のコマは南船橋の次にすぐ現れた。つまり幕交換済み編成だった。上の写真の状態から一旦解いたフォーカスを再び合わせるのが遅れ、英字が隠れて漢字のみ見える位置で撮れたが、中途半端なのでここに載せるのはやめた。
上りホーム蘇我方に移動。先客1名。声をかけて雑談して列車を待つ。
その後お子様数名のグループ登場。きちんと我々にあいさつしてきたのは好感。会話が幼いので中学生くらいか? ネタ列車が来るかのごとく人数が増えてしまった。
EF65 1093+貨車(南船橋)
最初に来たのはライトグレーの正面プレートのEF65 1093牽引のタンカー。カーブ上の2枚は粗くなるデジタルズームだが、なんだかわりとマトモに撮れてびっくり。
201系(南船橋)
二俣新町から乗った編成が戻ってきた。こちらもデジタルズーム。このあとの光学ズームで撮れる近いアングルは失敗してしまった。
E331系の海浜幕張行が来たので、それが折り返して来るまでここにいることにした。タイミング的に、二俣新町にちょっと早く着いていればあっちのカーブで撮れたんじゃないかと思う。
E233系(南船橋)
雲一つない空をバックにケヨ504が滑り込む。北の空にはモコモコした雲もあったが、東はすっきり。
E331系(南船橋)
E331系ケヨAK1。AKって何なんだろうか? スカートの陰影がいい感じ。
予定通りこの位置での撮影は終わり。
武蔵野線205系(南船橋)
カーブで撮っている間も含め、やってくる武蔵野線列車はすべてチェックした。しかし、府中本町表示で来るものと、南船橋表示で来たものの幕未交換というパターンのどちらかだけだった。最初に会ったケヨM17がいちばんチャンスだったのに。
ま、今後幕交換編成も増えるし、吉川美南幕の記録は次の機会に回すことにして、西船橋へ移動した。(つづく)
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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