宇都宮・高崎線電車特急の最終回は、東北を目指す列車。
つばさ
特急「つばさ」は1961(昭和36)年に上野—秋田間の気動車特急として登場した。上野—福島間は東北線、福島—秋田間は奥羽本線を走行し、当時は貫通形キハ82先頭のキハ80系を使用(一時期はボンネット形キハ81先頭の編成も使われた)。
1970(昭和45)年のキハ181系化を経て、1975(昭和50)年、奥羽本線全線電化を受けて485系化された。
1978(昭和53)年には3往復体制となったが、1982(昭和57)年6月に東北新幹線が定期列車10往復で暫定開業(大宮—盛岡)。11月に上越新幹線も全線開業しダイヤが本格化すると、つばさは福島連絡の特急へと性格を変え、上野へ顔を出すのは上り2本・下り1本となった。
東北新幹線上野延伸の1985(昭和60)年に上野発着は1往復となり、福島以北の列車が増発された。本来は完全に福島からにしていいはずなのだが、車両を共通運用していた特急「あいづ」の存在がからんでいる。
485系特急「つばさ」(上野・1987.11.8)(d)
前記事の「そよかぜ」に続き、私の鉄道初撮影日の1枚。白い鉄骨が上野の地上ホームらしい風景。
485系特急「つばさ」(上野・1988.12.4)(d)
上野のつばさ。ヘッドマークはズレた位置でほったらかしの状態でガッカリ。次のコマも同じ色なので「つばさ」が入っているんだろう。このころの上野は「あさま」「ひたち」など国鉄色の特急車はひねもす見られた。
クハはおでこが2灯の1500番台。そのおでこライトが注目されるが、テールライトも外ばめ式で出っ張っているのも特徴。ガラスがないので銀ブチもない。これは北海道での使用中に雪が付いても視認できるよう改造されたもの。
485系特急「つばさ」(上野・1989.8.7)
この1989(平成元)年には12往復体制となり、つばさが一番充実した時期になった。もちろん上野発着は1往復のまま。
485系特急「つばさ」(大宮・1989)
ヘッドマーク周りが白Hゴムの先頭車。国鉄色にはやはりこの色が合う。
つばさに使用の485系は就任当初は200番台(貫通形先頭車)、のち耐寒耐雪装備強化形の1000番台(非貫通形先頭車)に移行した。1000番台は485系の最終完成型。
485系特急「つばさ」(上野・1989)
つばさは1991(平成2)年に奥羽本線の山形新幹線化工事のため仙山線経由に変更され、5往復の設定と激減した。翌年山形新幹線開業により「つばさ」は銀色の新在直通ミニ新幹線に移行した。
あいづ
特急「あいづ」は1968(昭和43)年に上野—会津若松間の特急として登場した。それ以前は上野—山形間の特急「やまばと」の郡山から分かれる運用だったものが、独立した形だ。上野—郡山間が東北線、郡山—会津若松間が磐越西線となる。
当初は仙台運転所の483・485系が使われたが、1982(昭和57)年に南秋田運転所の485系に移行。上野発着の「つばさ」の間合いであいづに運用する形になった。
485系特急「あいづ」(上野・1987.11.8)(d)
またもや登場、初撮影の日の1枚。189系特急「あさま」と並ぶ。
485系特急「あいづ」(東十条・1989)(再掲)
つばさと同じ車両を用いるあいづは、当然1500番台も使われた。つばさで上京し、あいづで往復し、つばさで帰るという形。
485系特急「あいづ」(尾久・1989)
あいづは登場から一貫して1往復体制。そのためL特急にはならず、ヘッドマークの左上が寂しかった。多客時には喜多方までの延長運転もあった。
485系特急「あいづ」(大宮・1991)
連結器カバーに『まんが日本昔ばなし』のごはんのごとく雪を盛った上りあいづが、「白樺」と顔を合わせた。
485系特急「あいづ」(上野・1992)
在来線つばさが廃止になったこの年の7月、あいづの485系は特急「ひたち」と共用の勝田電車区の485系7連に変更になり、2両減車となった(写真は日付不明のため移行前か後かも不明)。
しかしそれも長続きせず、翌1993(平成4)年12月の改正で上野—郡山間が廃止され、磐越西線のみの特急「ビバあいづ」に移行した。
2003(平成15)年10月のダイヤ改正まで定期列車として運行した(最後の1年弱は「あいづ」に戻った)が、以降は快速「あいづライナー」に格下げ。現在は再び臨時特急として夏場に上野まで顔を出すようになっている。
はくつる
寝台特急「はくつる」は1964(昭和39)年に上野—青森間の夜行特急として登場した。使用車両は20系客車で、この列車から「ブルートレイン」という呼称が使われ始めたそうだ。
1968(昭和43)年に東北線が全線電化となり、この時に583系電車に置き換えられた。1982(昭和57)年11月〜1988(昭和63)年3月の間は定期で2往復の設定だった。
583系寝台特急「はくつる」(上野・1988)
これはちょうど1往復に減便されたころの写真だと思う。
はくつるは東北本線をほぼ全線走破する列車だが、線路がつながっていた時代も東京駅に顔を出すことはなかった。
583系は昼間は座席車・夜は寝台車として運用できる車両として開発されたが、両者の転換は客車列車のように営業運転中に行うことが難しく、寝台を使用する場合は一部の例を除いて全区間寝台状態のままで運行された。
583系寝台特急「はくつる」(尾久—赤羽・1989)
この頃の583系は3段B寝台と座席のグリーン車のみのシンプルな構成。B寝台は幅の広い下段は人気があったようだが、中段などは天地が狭く居住性はよくなかったようだ。なおパンタの位置のみ低屋根のため中段と下段の2段のみなので、この部分の中段は上が開いていていい場所だったという。
583系寝台特急「はくつる」(上野・1989.8.7)
すきま風対策で正面の貫通扉は溶接・固定され、中央の縦スジが消えている。現在の現役の車両と比べると連結器カバーが異なり、リバイバル列車であってもそこは再現されない。
583系寝台特急「はくつる」(上野・1990.3.31)
はくつるは1993(平成5)年に奇跡の再2往復化を遂げるが、翌年には583系9連の2往復から24系客車12両の1往復に変更された。以後8年間そのまま推移し、2002(平成14)年12月のダイヤ改正で東北新幹線が八戸へ延伸すると同時に廃止となった。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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