2009/10/10

09.10.10 帰りついでの東急

草野球の試合のため、横浜線の中山まで出かけた。
東西線→日比谷線→東横線→菊名から横浜線というルートで中山には予定通り10時16分着。途中、私はまだ撮っていない車両たちをたくさんみかけたが、寄り道しているヒマはない。

試合に勝利後ファミレスでランチを喰いながらダラダラし、夕方になった帰路は横浜線→長津田から田園都市線〜半蔵門線→九段下から東西線というルートに決定。

そんなわけで、場面は夕方の長津田駅。
中山から一緒だったチームメイト二人と別れ、JR側から東急側に移り上りホームに降りる。端のほうにこどもの国線のY000形が留置されているのが見えたが、あんまりいいアングルで撮れない。ナマで見た記憶がないこの車両、せっかくなので、運用についている編成を待って撮ることにした。


東武50050系(長津田)

Y000系と並んでやって来た50050系。
考えてみると、私が通勤で半蔵門線を使っていたころにデビューしたんだよな。以降30000系が次々直通から手を引いて行くとは想像していなかった。
表参道では銀座線01系とホームを挟んで並ぶこともあり、01系よりオレンジの目立つ車体を銀座線と勘違いする客もいるんじゃないか?


横浜高速鉄道Y000系(長津田)

50050系がどいたところで隣の線のY000を撮る。時刻は16時42分。どうしてもブレてしまうが、フラッシュは厳禁だ。
東急こどもの国線は東急が第二種、横浜高速鉄道が第三種の上下分離路線。
第三種はかつてはこどもの国協会だったが、横浜—元町・中華街間の開業より前の1997(平成9)年8月から横浜高速鉄道の所属となっている。
Y000系は東急3000系をベースに2連・3ドア化したもの。カラーリングのせいか、3000系を事業用車化したようにも見えたり。実際長津田工場への入場車両の牽引も行っているようだが。
2枚ペア×2連の側窓は東武20000系っぽいが、このY000系は20m車だ。



初代7000系・こどもの国線用ワンマン車(長津田・1990)

こどもの国線は基本的に東急車の専用編成が運用にあたっていた。
初代3000系列、7200系アルミ車(現・事業用車)、写真の初代7000系など、各車専用のカラーリングをまとっていた。
中間駅の恩田が設けられるまでは全線単線で交換ができなかったため、それぞれの車両が1運用で走っていた。
写真の編成は東急線内では最後に生き残った初代7000系だった。


8500系(長津田)

田園都市線といえばこの8500系。…ホームの端っこギリギリで撮ってるのでアンテナが切れてたり…。
厳密には8090・8590系ともども8000系に含まれ、8500系は通称。半蔵門線は開業当初営団車が存在せず、この8500系=半蔵門線というイメージだった。
8500系は東急のステンレスカーで初めて赤帯装飾をした系列だが、正面のみという至ってシンプルなもの。のち同じく正面に赤帯が入れられた8000系や7700系の一部がさらに「歌舞伎塗装」に発展したが、8500系は広告編成以外はシンプルな正面赤帯のみの状態を保っている。
地下駅で観る8500系は車体がピカピカで全く古さを感じさせず、5000系が登場しても未だ田園都市線〜半蔵門線の主力として活躍している。


8500系(長津田・1990)

7000系と同じ19年前に長津田で撮った8500系。英字のないシンプルな「三越前」の方向幕が懐かしい。当時半蔵門線は三越前までの路線だった。
表示器が幕であるほか、運転士側のワイパーのサイズも今とは違うようだ。


営団8000系(長津田・1990)

こちらも同日の半蔵門線8000系。営団のSマークや英字なしの方向幕が現在と異なる。


東武30000系(長津田)

8500系を撮ってるあいだ、中央林間行各停で東武30000系がやってきた。
1本を残して地上線に転用となるという話を聞いていたので、もしかしたらその1本かも?と思って撮ったわけだが、これ以上前面側に回り込むことができず。折り返してくる上り列車を別の駅で撮ることに決めた。
調べたら、現在までに半蔵門線直通用は車号下2ケタが06と09の2編成となっているようだ。

田園都市線内では過去長津田以外で撮った記憶はなく(そもそも田園都市線を撮る目的で出かけたことがなかった)、なんとなく降りたのが藤が丘。カーブ上にありつつ優等列車が通過できる中線を持つ面白い駅だった。
正直な話、私の中では東急の駅で唯一「聞き覚えのない駅」で、藤が丘と言ったら名古屋市営地下鉄東山線の終点しか思い浮かばなかった。
振り返ってみると、30000系が急行でやってくるかもしれないのに、急行通過駅を選んでしまっていた。日はどんどん傾き、通過列車を捕らえるのはまず無理。


メトロ08系(藤が丘)

半蔵門線08系のトップナンバー。我が地元を走る東西線05系新タイプをアレンジしたような車体だ。現在6本が在籍しているが、これ以上増えることはなさそうな感じもする。
田園都市線では30000・08のほか東急2000系が3本、同8590系が2本と少数派も多い(変な表現)。30000・08は100kmを超える運用範囲でバッタリ遇える確率は低い。2000系と8590系は東武には入れないので中央林間—押上限定になるが、それが故に出番は少なく、休日の日中はまったく出番がないようだ。


東武50050系(藤が丘)

長体(文字の横幅を狭くすること)をかけての右寄せが気になる50050系各停の行先表示。せっかくの大型LED表示器なのに…と思ったら、種別と行先でセパレートになっているのか…。車体はオサレな車両だが、広幅を優雅に使った表示をしている08系と比べると非常に勿体ない。
私が通勤で使っていたころの表示の記憶はあまりなく、中央林間であんなキツいのに東武動物公園だとどうなるのか?と思いネットで画像を探したら、小文字の「東武」と「動物公園」の2段重ね表示だった。現行ダイヤでは50050系の東武動物公園行はないようだ。


メトロ8000系(藤が丘)

メトロ8000系は1978(昭和53)年の半蔵門線開業(渋谷—青山一丁目)より後、1981(昭和56)年から走り始めた「後れてきたルーキー」。6000・7000系を洗練したような、仰々しくしたような、微妙な顔をしている。
8連や6連で新製された編成もあるが、現在はすべて10連。最後の8連→10連化用増備中間車は05系初期車に似た異端車となっている。


営団8000系・JR103系1200番台(西船橋・1988)

8000系で特筆すべきは、8012〜8014Fの3本が半蔵門線デビュー前に東西線を走っていたこと。
10連と7連が存在していた1987(昭和62)年当時の東西線の増強用に、05系落成までの間三越前開業用の8000系3本を暫定投入した。
東西線・JR線走行用の機器を搭載し、連結器は密連。運転台も両者の実情に合わせて2ハンドルで落成した。帯は半蔵門線仕様なので、各ドア上に青地の「東西線」ステッカーが貼られた。
1989(平成元)年の三越前開業までに半蔵門線仕様に変更のうえ本来の働き場に移ったが、ドア上のステッカーを剥がした跡は長い間残っていた。


東武30000系(藤が丘)

30000系が無事各停でやってきた。
LED表示器以外洗練された50050系とは違い、幌枠と金具、渡り板、貫通扉の取っ手の凹み、手すり、ステップ、電連、デザインを無視したような付け方のワイパー、その下に怯えるように入っている車号など、かなりな実用本位の顔。
左右の窓の下辺が傾いているところに遊び心の意識を垣間見るが、周りのパーツと見事にぶつかりあっていて、水平のほうがよかったのでは?と考えてしまう。

30000系が半蔵門線で干された理由は6+4連という構造にある。自社工場の有効長の都合で10両貫通編成を嫌ったことに起因しているようだ。この+の部分が当然運転台が向き合う場所だが、混雑時はそのスペースがネックになる。私も実体験したのでよくわかる。
時が移ってから登場した50050系は伊勢崎線系初の10両貫通で登場している。


メトロ8000系(藤が丘)

30000系は撮影のため見送り、次の各停を待つあいだに高感度モードで撮影。やっぱり汚いな…。
この8000系は更新によりドア窓が縦長に変化している。05系風の中間車が入る編成でこの更新を受けたものはドア窓が縦長で揃ってアンバランスさが緩和された。


5000系(あざみ野)

各停であざみ野に移動し、2本後に来る急行を待った。その急行の前の「1本後」の列車がこの5000系各停。
JR東日本のE231系がベースになっている5000系はその名のとおり初代5000系を意識した前面形状をしているが、デザイン的にはイマイチ。
東横線用5050系、目黒線用5080系、横浜高速鉄道Y500系など兄弟は多い。


初代5000系カットボディ(渋谷駅前・2007.1.18・mb)

アマガエルこと初代5000系は渋谷のハチ公口で見ることができる。ただしカットボディ。
場所が場所だけに荒らされるのが心配だったが、いまのところは大丈夫なのかな?

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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