2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2009/09/30

91.7.21 佐久間レールパーク

佐久間レールパークはJR東海が設けた車両展示施設。
場所は飯田線中部天竜駅構内の中部天竜機関区跡地で、1991(平成3)年4月21日にオープンした。

この佐久間レールパークが、来る11月1日をもって閉園となる。
これは、名古屋港にJR東海博物館(仮称・2011年春開館予定)を新設することになったためで、大半の車両がそちらへ移転するとのこと。つまりは佐久間が最後になる車両もあるということだ。

私は開園3カ月後となる1991年7月21日に一度だけ訪れた。当時の写真があるので今回はそれを公開。
展示車両の構成は現在と異なっていて、新幹線や気動車や貨車はなし。



入口の看板。車輪は新幹線のもののようだ。


◆クヤ165-1




サハシ153改造の教習車で、名古屋鉄道管理局の165系の運転実習用だそう。撮影当時はパーク唯一の「新性能電車」だった。
よく見ると非パンタ側妻面は中央窓下にフタがついていて、それを避けるようにタイフォンとヘッドライトが外側に寄っている。テールライトとの位置関係を比べるとよくわかる。
現在は妻窓が黒Hゴムになっている。傷みが進んだのかもしれない。今は白Hゴムは作っていないとも聞くので、黒になったのは致し方ないところなんだろう。


◆クモエ21800


モハ31(→クモハ11)改造の救援車。妻面には片寄せの扉がつき、側面は中央に大きな引き戸が設けられている。
当初はクモエ21 008だったが、中央西線用に低屋根改造され800号に変わった。
この車両は展示を終了しすでに解体されている。


◆クモハ12054



モハ31(→モハ11)改造の車両。片運転台の種車に運転台を増設して両運転台化した。増設側の妻面は作り替えをしていないので、貫通扉が残った半室運転台となっている。054号は鶴見線用に改造されたもの。


◆クモハ52004



関西急電用として1937(昭和12)年に作られた車両。流線型の先頭部と当時としては珍しいノーシル・ノーヘッダー&張り上げ屋根の美しい車両で「流電」として親しまれた。デビュー当時は足回りにカバーがつけられたスマートなスタイルだった。
この004号は2本目の4両編成の1両で、1本目とは違ってクリーム地に窓周りと足回りカバーが茶色というカラーリングで登場。のち、水色の濃淡+赤帯という「アイスキャンデー」塗装にもなった。
阪和線に転用され「阪和特急色」で活躍した後飯田線にやってきて、快速色(湘南色の緑を紺にした感じのもの)、湘南色と塗り替えられ、最終的にはスカ色で引退した。
現在は登場時の塗装・カバー付に復元されている。


◆オハ35 2329


全国で活躍した一般型客車。製造年次や改造などによりさまざまなバリエーションがある。


◆ED18 2


ED17電気機関車を飯田線で使用するために改造した車両。飯田線の線路規格が低いことから、台車に1軸ずつ加えて各車輪への荷重を減らした。
写真の翌年奇跡の現役復帰を果たし「トロッコファミリー号」牽引機として飯田線で活躍。現在は佐久間へ移動する前にいた浜松工場に戻り、新たな居場所となるJR東海博物館の完成を待っている。


◆ED11 2



国鉄より前、鉄道省時代の1923(大正12)年にアメリカのGEから2両輸入した機関車。浜松工場に保存されていた。
短い車体に2基のパンタがくっつくように載っているのが特徴。1号機は西武に移籍後廃車となり、横瀬で保存されているそう。


◆オハ35 206




残念ながらこの車両のみ全身を写した写真が残っていないのだが、車内の写真は撮ってある。
窓から顔を出しているのは高2の私だ。


◆スハフ34834


最終はオハフ33 115となった車両。赤帯の入った三等車時代の姿になっている。


◆マイネ407





マロネ40 7を経て最終はオヤ41 1となった寝台車。一等車時代の白帯姿で、進駐軍専用車を示す「J.G.R.」の表記も再現されている。
展示中の劣化で再塗装されてから、このJ.G.R.の表記は書体が変わったようだ。
なおオヤ41は工事車で、鉄道工事現場作業員の移動兼宿泊用として寝台を活用したもの。


◆オロネ10 27


最終はオヤ10 2となった車両。10系客車の一員だが、20系のナロネ21がベースとなっているため他の10系客車とは屋根の高さが合わない。ナロネ21の改造ではなくオロネ10として新造した車両だ。
現役引退後は上のオヤ41とペアで使う工事車となり、固定窓はユニットサッシに改造された。写真当時はその姿のままだが、のちに固定窓への復活改造を施したようだ。


◆スニ30 95


最終はスエ30 8となった車両。ダブルルーフが特徴のオハ31系の17m荷物車。


以上が開園当時の展示車両たちだ。
各車両、露天ということで一時はみすぼらしいほど日に焼けてしまった時代もあるようだが、再塗装や原形改造などを施しながらクモエ21以外は生き残っている。
ここに載せた車両でJR東海博物館に移る予定がないのは、クヤ165-1、クモハ12054、スハフ34134(オハフ33 115)。
クモハ12に関しては惜しい気もするが、代わりに伊那松島にいるクモハ12041が入る予定。



これが佐久間レールパーク内から撮った本線上のクモハ12041。現在の117系のように、当時佐久間レールパークへのアクセス列車として使われていた。
ただ、Hゴムの妻窓など牽引車として変身した後の姿。改修中の写真が鉄道ファンのサイトで7月に公開されているが、JR東海博物館に入る際はどういう姿になっているのか?

次回の記事は佐久間レールパークへの移動の際の写真を。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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