2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2009/09/10

京成 3500形と3600形

赤電をやったので勢いに任せて3500形以降もやっちゃおう。


3500形

3500形は京成初のステンレスカー・新製冷房車として登場し、それまでのイメージを塗り替えた車両。
足回りは3300形とさほど変わらないが、3300形2次車で用いられた金属バネ台車は使われずに空気バネ台車に戻った。車体はセミステンレスであるものの軽量化・経済性アップに貢献。でも見た目は武骨な感じで軽快感はあまり感じられない。


3500形(東中山・1992.5.3)

3500形は3300形2次車と同じ表示幕を備えた。窓内に種別・行先をセパレートで配した表示幕、もっと幅を広くすればよかったのにと思う。
3500形は96両が製造された。写真の3508Fを含む初期の16両は車号とKeiseiロゴのプレートが青地で、側面の幕帯が太い。
登場時の帯色は赤電と同じファイアーオレンジ。正面はの種別板挿しも同じ色。かつては運転台下に表示幕のない車両と同じ行先表示板がついていたが通常は使用されず、やはり何も書かれていないファイアーオレンジ地の面が出ていた(フックがそのまま残っている)。このため、せっかくヘッドライトの高さに太い帯を配したものの、普通列車は2枚のパーツがそれに同化して帯の下辺がデコボコに見えるみっともない状態だった。


3500形(国府台・1989)

3517以降は幕帯が細くなり、車号とKeiseiプレートが帯と同じ色になった。
写真のとおり、私が京成の列車を撮るようになった1989年頃はすでに行先表示板は外されている。種別板が入ると顔が締まるが、普通列車は先の写真のように種別板でこすれてキズだらけの赤い地が出る。


3500形オールステンレス車(東中山・1992.4.2)

3583〜3588・3593〜3596は一歩進んだオールステンレスカーとなった。前者6両は試作車として3600形の誕生へつないだ存在。3500形の大トリとなった後者はその2年後、何と3600形の最初の編成と同日(1982.5.8)に竣工した不思議な存在だ。


3600形

3600形はいろんな面で3500形を垢抜けさせた車両で、6両編成9本が造られた。
足回りは初代AE形を基本とした界磁チョッパ、車体はオールステンレスに。正面は独立した種別窓を初装備、側窓は一段下降・扉間2枚の大型なものとなった。赤電〜3500形は全電動車だったが、両端をクハとした4M2Tの構成になった。
運転台をワンハンドルマスコンとしたため協定に合致しなかったらしく、新製時は都営浅草線への乗り入れはせずに自社内のみで走っていた。


3600形(東中山・1989)

写真の3638と3648では運行番号表示器のフレームの色が違うのがわかる。手持ちの写真から、3648F・3678F・3688Fが黒フレームのようだが、詳しいことはわからない。


運行番号表示器が黒フレームの3688(京成西船—海神・1989)

3500形までは基本的に連番だった車号は、この3600形から編成ごとに十の位が揃うようになった。将来の8両編成化を考慮して、成田方先頭車を3601、上野方を3608とし、一の位4・5・9・0は欠番。2本目は3611〜3618という形で付番していった。
1997(平成9)年から進められた8連化は4・5号車の増備ではなく組み替えにより実施された。改番はしていないため車号十位はきれいに揃わず。また余ったクハは1編成に集められ、VVVFで電装されて6連を組んでいる。


3600形VVVF車(海神・2009.9.13)(追加写真)

3600形は8連化後も両端がクハのままのため、京急への乗り入れはできない。VVVFの6連は先頭車が電動車となったが、6連で京急に達する運用がない。



3500形・3600形・都営5200形(京成高砂・1992.2.10)

都営地下鉄5000形も最終2本はセミステンレス・赤帯で登場し、車号から5200形とも呼ばれた。写真は夕方の京成高砂で赤帯ステンレスカー3形式が並んだ貴重な瞬間。3500形と5200形はトップナンバーで、3600形もトップだったらさらに貴重だった。


ちょっと青帯

3500形・3600形は現在他形式同様の赤青帯となっているが、その前に1ステップを挟んでいる。


3500形(京成高砂・1992.3)


3600形(東中山・1993.4.2)

3700形登場後、幕帯のみ青帯化された3500・3600形。幕帯の太い3500形初期車も太いまま青帯化された。腰の帯はファイアーオレンジのまま。このパターンがすべての車両に施される前に、現行塗色に移行した。


現行色へ


3500形(京成西船・1994.3.26)

かすれた種別板挿しはそのままに現行色になった3500形。腰に青帯を加えただけでなく、ファイアーオレンジの帯も赤に変わった。写真の3532Fは現在はリニューアル車となっている。




「ありがとう寅さん」3500形(柴又・1996.8)

『男はつらいよ』で寅さんを演じた渥美清が亡くなった際は、3536Fが記念列車となった。千葉急行ちはら台開通をきっかけに方向幕が英字入りのものに交換されている。


3600形(京成西船・1994.3.26)

先に出した89年の写真では運行番号表示器が黒フレームだった3688は、この頃はクリームのフレームに変わっている。
現在の3600形の見た目の変化は運行番号表示がLEDに変わった程度だが、1編成が芝山鉄道にリースされて青帯が緑帯に変更されている。


整形電鉄



3500形更新車(宗吾参道・2009.8.28)

3500形は大胆なリニューアル工事を受け、車体も側窓が扉間2つになったほか顔の整形やコルゲートの減少などあちこちが変身した。
原形車の側窓は「閉めるか開けるか」だけで微調整の利かないものだったが、新しい窓は下段固定・上段は融通の利く下降式となった。また、6M車のため先頭車の運転台側の台車は付随台車だったが、京急乗り入れのために連結面側の動力台車と入れ替えを行った。
わかりやすく言うと、京急は大型自動車などとの衝突事故の際に当たり負けしないように(軽いと脱線が大きくなる)重さのある電動車を先頭に、としているようだ。そんなこだわりのルールの中、0.5Mの先頭車の台車を前後入れ替えるだけでOKになるのはこれまた腑に落ちない。

更新車が京急にも入れるようになった一方で更新されずに残った4連×4本は現在は4連運転限定となり、活躍範囲の差が大きくなってしまったようだ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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