2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2014/08/24

14.8.16 湿る中京・3

あおなみ線で荒子川公園から名古屋に向かって進み、ささしまライブで下車。
ささしまライブ—小本間の車窓から、国鉄一般色風のキハ40系3両が連なって停まっているのが見えていたのだ。
往路で見たときと同じ位置にいたため、眺めに行くことにした。


国鉄ふう

キハ40系が停まっている位置は、ささしまライブ駅と黄色い跨線橋の間。その黄色い橋から撮れないかと思ったのだ。


キハ40系(名古屋車両区)

人気(ひとけ)がないささしまライブ駅周辺を進み、高速道路の下でキハ40の真横から金網越しで撮影。313系電車と並んでいる。
近くへ来てみると、黄色い橋からは結構離れていて、撮るのは難しそう。

ひとまず橋へ上がる。
調べると、黄色い橋は「向野橋(こうやはし)」というそうだ。トラス部分はなんと19世紀となる1899(明治32)年に京都鉄道(現在の山陰線にあたる)が保津川に架けたもので、架橋当時のスパンは日本最長。
1930(昭和5)年の名古屋機関区設置時、2年前に用済みになったこのトラスを持ってきたという。長いスパンはたくさんの線路を跨ぐにはちょうどよかった。そして名古屋に来てから84年も経っていることになる。
そんな古い橋のため、12年前からは自動車を通れなくしているとのこと。たしかに、橋の入口はバリケードがあって人と自転車しか通れないようになっていた。

…そんな歴史は無論帰京後調べて知ったことだが、上がった途端、キハ40系が橋に向かって動き出した。
そして、構内の踏切通路の手前で停止した。


キハ40系・関西線313系(名古屋車両区)

関西線を313系四日市行が駆け抜ける。いくらでもスペースがあるのに、関西線はこの先の笹島信号所で単線に収束される。
キハ40系の左背後に見えるのが、先ほど金網越しで撮ったときに並んでいた313系の留置車両。キハ40系がこれだけ橋へ寄って来たことがわかる。まるで私を迎えに来たようなタイミングだった。


キハ40系(名古屋車両区)

ここはかつては客車と気動車が寝ている場所だったが、最近電化エリアができた。武豊線の電化に備えたもののようだ。キハ40はその電化エリアにいる。
私の古いイメージでは、新幹線海側席で名古屋駅に近づいたときはナゴヤ球場を見て、ここに寝ている波動用12・14系客車の中にユーロライナー・ユーロピアなどを探し、最後に米野の紺とオレンジの近鉄特急を見て西日本の香りも感じたのだ。


キハ75系(名古屋車両区)

「区間快速 武豊」を表示したキハ75系。武豊線が大府から東海道線に入り名古屋まで来るのが区間快速。電車群の中で足をひっぱらないために東海道線区間は快速運転をしている。武豊線の電化後も速達サービスは継続するのかな?


キハ85系・キハ25系(名古屋車両区)

「ひだ」「南紀」で使用されるキハ85系と、武豊線のキハ25系。313系電車にそっくりな顔のキハ25系だが、正面貫通路上にライトがないので、顔だけ見えていても区別はつく。武豊線が電化されると、他の非電化線区のキハ40系を追い出す役に回ることになる。


キハ40系(名古屋車両区)

西側に少しずつ進みながら角度を変えて撮る。キハ40系は各地で首都圏色が復活しているが、東日本の烏山線とこの東海地区で、自身がまとったことのない国鉄一般色に姿を変えた車両が登場している。


キハ75系(名古屋車両区)

キハ75系もサイド気味に撮っておこうと思い、少し東側へ戻る。



キヤ97系(名古屋車両区)

19世紀のトラスの下にはレール運搬車のキヤ97系。定尺用のこのタイプは4編成あるそうだ。貨車に旅客車の運転台を乗っけたような不思議な外観が特徴。その切り接ぎ改造元のような検測車・キヤ95系はこの日は見られなかった。





キハ75系(名古屋車両区)

キハ40系から降りてきた係員が今度はキハ75系に乗り込み、早速動かし始めた。


キハ75系(名古屋車両区)

キハ40系がいる電化エリアには、313系のほか211系もいる。架線柱が真新しいのがわかる。
電化前だったらキハ40系ももっとすっきり撮れたのにな。


キヤ97系(名古屋車両区)

南側奥にキヤ97系をもう1本発見。後ろを近鉄アーバンライナーが駆け抜ける。ちょうど黄金駅を通過したあたりだ。


キハ40系(名古屋車両区)

3つ連なったキハ40系の車号を確認していこう。3両とも美濃太田車両区の所属のようだ。


キハ40系(名古屋車両区)

キハ40 6309。キハ40系の基本形式となる両運転台のキハ40。新製時は2000番台だったが、エンジン換装とワンマン対応化で6300番台になっている。


キハ40系(名古屋車両区)

キハ48 6812。片運転台・トイレなしで、車体も屋根もスッキリしている。新製時は1500番台だったが、上のキハ40と同様の経緯で6800番台になっている。
なおJR東海のキハ40系は機器床下設置の冷房が付いている。


キハ40系(名古屋車両区)

キハ48 3812。片運転台・トイレ付で、車端に水タンクが載っている。新製時は500番台。武豊線向けにエンジン換装とワンマン対応改造を受け3500番台になったあと、車号整理のため3800番台に再改番されたそうだ。
このキハ48のユニットはとてもキレイな状態。




キハ75系(名古屋車両区)

キハ75系が転線のため再び端の南側へ向かって動いた。キハ40系は再び動く様子はないので、これにて向野橋からの観察終了。

なお、キハ40系の3連は翌日の熊野大花火大会の臨時列車に充当、伊勢車両区のキハ40 3005・キハ48 6502とともに国鉄一般色風でそろえた5両編成で運行された。それに向けた整備だったわけだ。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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