2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/05/07

11.5.4 初めての都営新宿線・1

わが地元の東京メトロ東西線と同じく都心を東西に貫く地下鉄が、都営新宿線。
両線は九段下駅で交差しつつ、全線に渡って距離をおいて並行している。荒川・中川を渡るときは、お互いの鉄橋が遠くに見える。

東西線民の私にとって並行の都営新宿線とは縁が薄く、市内の本八幡駅に入場したのも10回前後がいいところだと思う。

この日は都内へ出かけた帰りに敢えて都営新宿線に乗り、線内で2つだけの高架駅、東大島と船堀で列車を撮ってみることにした。線内での撮影は初めてだ。


10-000が来ない

1978(昭和53)年12月、都営新宿線(以下、「新宿線」と書く)が開業した。区間は岩本町—東大島(ひがしおおじま)間。岩本町駅は秋葉原駅に近いものの、のりかえ駅扱いではなく、今のように半蔵門線や大江戸線もない時代。他線に接続しない孤立した路線としてのスタートだった。

その中で話題になったのが、東大島駅。東西線と同じく荒川・中川を渡るためにこの駅は地下から一気に上がった高架上にある。
そして、駅の下はもう1本の川・旧中川が流れている…つまり橋りょう上にホームがある駅なのだ。これはテレビのクイズ番組の問題にもなったりした(何を隠そう、当時幼児の私はそれで知った)。ちなみに旧中川は東京都江東区と江戸川区の区境にもなっている。
都営新宿線はのち西へ新宿、東へ船堀、篠崎とこまごまと延伸したのち、1989(平成元)年3月に都県境を越えた千葉県内の本八幡駅へ達して全通した。

これまで列車に乗って通っただけだった東大島駅のホームに初めて降りた。
新宿方は地下から続くカーブで、ホームも途中までカーブしている。本八幡方は奥に荒川・中川を渡るトラス橋が見える直線だ。

もうすぐ16時になるところ。列車を降りた2番線の本八幡方へ立ち、直線を来る順光の上りとホーム内のカーブを来る下り列車を撮る。




京王9000系(東大島)

最初に現れたのは乗り入れ先の京王車・9000系。運行番号表示は「13TK」となっている。
新宿(京王でいう新線新宿)から先は、京王新線・京王線・相模原線経由で橋本まで行く列車を中心に相互乗り入れが行われている。




10-300R形編成(東大島)

次に現れたのは上りの10-300R形+10-000形中間車の「キセル編成」。…長いので、編成の表現はキャプションの通りとする。

新宿線開業用に用意された車両は10-000形(いちまんがた)。「10」は新宿線が東京の地下鉄10号線であることに由来する。これは大江戸線の12-000形も同様だ。
試作車と1・2次車はセミステンレス・側面二段窓で登場したが、3次車からはオールステンレス・側面一段窓の洗練されたスタイルに進化し、2次車までの6連を8連化するための中間車も同じ形になった。
その後D-ATC導入にあわせてセミステンレス車は老朽化のため廃車され、残された8連化用中間車(3次車の一部と5次車)を集めてD-ATC対応の新製先頭車で挟んだ8連が6本組成された。
新製先頭車は編成ごと新製された10-300形に準じた10-300R形。挟み込む10-000形とはコルゲートの有無や車体断面の違いがあり、まったくアンバランスだ。




10-300形(東大島)

都営新宿線の新しい顔・10-300形。10-000形セミステンレス車の置き換え用として2004(平成16)年11月に登場したが、かつてのATCシステムの間は、VVVFインバータ制御だと誘導障害が起きるということで、D-ATC化後の2005(平成17)年5月から営業運転が始まった。
JR東日本のE231系がベースになっており、内外で共通点が多く見られる。正面は同じくE231系ベースの東急5000系をスッキリ整えた感じだ。



10-300形(東大島)

お次は10-300形の10連口。昨年6月から都営車の10連運転が始まり、この10-300形のうちの4編成が新造中間車を挟んで10連化された。
都営車は開業時6連、その後8連のみで推移。一方で京王車は1981(昭和56)年から6000系により10連での乗り入れを開始した。
利用機会が少ない私は「都営は8両・京王は10両」という印象だったが、実際は2006(平成18)年まで10連はラッシュ時のみだったそうだ。この思いこみは、私が15年ほど前に初めて働いた職場へ3カ月ほど新宿線で通勤していたことによる。


京王6000系(代田橋—明大前・1991.4.3)(再掲)

新宿線乗り入れの6000系は30番台車。この写真も夕方前で、8連。10連の際は橋本方に2連が増結された。
写真の年の9月に本八幡駅が仮駅から本駅に移行したが、それまでは京王車は大島(おおじま)止まり。また乗り入れ開始時は岩本町までだった。


10-300形(東大島)

この列車はさっきの京王車と逆に「61KT」の表示。それぞれ、本来K(Keio)車・T(Toei)車が入る運用に代わりに入っている、ということなんだろう。
震災後新宿線内は日中の急行運転が休止となっていて、ダイヤが変わっている。東京時刻表4月号を見ると、この列車の時刻と運行番号は変わらないが、行先が新宿から橋本に変わっている。
日中は本八幡基準で「新宿・笹塚・笹塚・急行橋本」のパターンが20分サイクルで回るダイヤだった。急行は瑞江と岩本町で2本の笹塚行を抜いて、新宿で新宿行から流れた客を拾うのだ。
現在のダイヤだと、本来の新宿行が新宿から急行橋本行に化ける、という流れなのかもしれない。新宿では4分停車で急行のスジに移行できる。




京王9000系(東大島)

9000系は6000系と同じく30番台車が新宿線乗り入れ対応になっている。9000系そのものは2001(平成13)年から京王線内で運行を開始したが、この30番台は新宿線D-ATC化後の2006(平成18)年に初登場し、6000系30番台を順次置き換えた。





京王9000系(東大島)

9000系ばっかり来るようになった。ここまで見た4本はすべて「TK」表示だ。
10-000形オンリーの編成が来ないなぁと思っていたが、都営車すら来なくなったぞ…。



10-300R形編成(東大島)

ようやく来た都営車はキセル編成。
10-300R形の側帯フィルムは10-000形にあわせてあるものの、高さがちょうどステンレス外板の境目に重なっていて、これも落ち着かない要素の一つになっている。この手の車体の車両はもっと太い帯のものばかりなので、見慣れないせいもあるんだろう。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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