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2011/05/16

11.5.15 さよなら若葉・1

この15日、流鉄流山線の3000系「若葉」がさよなら運転(駅の掲示では「さようなら運転」)を迎えた。
8日ときのう14日と流鉄を訪れて撮影ポイントは把握しているので、当然この日も撮影に出かけた。


鰭ヶ崎—平和台1

武蔵野線で南流山へ向かい、正午前に到着。そこから徒歩…のつもりだったが、ちょうどロータリーに東武バスの「流山おおたかの森駅西口」行が入ってきた。
2つめのバス停までは100円で行けるようだ。路線図の大雑把な地図でも、その2つめのバス停からまっすぐ延びる道を進めば流鉄の踏切に出そうな感じ。歩いても10分くらいで行けるだろうが、試しに乗ってみた。

「東谷(とうや)自治会館前」で下り、目の前で交差しているまっすぐの道へ入ると、遠くに踏切が見えた。
けっきょく5分くらい歩いたか? 鰭ヶ崎—平和台間の複線用地区間にある22号踏切に出た。

前後離れたところに撮影者がちらほらいる程度。この踏切にくっついている人はおらず、意外だった。
到着からほどなくして踏切が鳴いた。いいタイミングだ。直後、路駐の車から小走りで降りてきた奴が横に並んだ…空しいことしてんなぁ、オイ。



3000系「若葉」(鰭ヶ崎—平和台)

さっそく「若葉」登場。細かい通過時刻は把握していないので、もう1本の編成とどちらが来るかはわからなかったが。
HMは流山方が「さようなら」、馬橋方が「ありがとう」で、上下の葉っぱの色は双方でてれこになっている。西武時代に種別札がかけられた位置には「惜別」の文字。西武では快速のカラーだ。このギミックは流鉄のさよなら運転では定番。

陸橋の鰭ヶ崎駅側の森の脇に行こうと歩き始めたが、陸橋手前にいた撮影者数人が22号踏切に移動してきた。…そうか、流山からの戻りはそんなに時間がかからないんだった。
22号踏切に戻る。さっきの馬橋方を向いたアングルはすぐ隣の21号踏切の枕木方向の柵が入るから敬遠していたようだ。
この22号は遮断機で締め切る部分が単線分しかなく、撮影者にとってはお立ち台的空間。私も加わった。


3000系「若葉」(鰭ヶ崎—平和台)

ここは撮影はしやすいが、側面が暗くなってしまう。それが撮影者がそんなに多くない理由だろう。

21号踏切を渡り、丘の裏から回って陸橋の先に到着。8日に来て、陸橋を渡るルートは非効率なのを知っている。


5000系「流星」(鰭ヶ崎—平和台)

「若葉」と小金城趾で交換してきた「流星」を迎えることができた。冷房車なのに窓が開いているのは、今のご時世ならではだ。

さすが、こちらは側面に日が当たることから撮影者が多い。前回訪れて気づいていたが、「脚立があるととても撮りやすいだろう」という位置があり、その通り脚立に乗っている撮影者がいた。


5000系「流星」(鰭ヶ崎—平和台)

戻り。ほとんど同じ場所でシャッター切ってるな…。カメラの高さが変わっているが。
若干奥へ右カーブになっているこの場所、脚立に乗っている撮影者はそのカーブの位置を狙っている様子。その周りにも数人固まっている。
そんな集まりより後(あと)に来たキャップを被った撮影者が「あ、そこ入っちゃう云々…」とその集まりの人間に言っている。後から来たくせに何言ってんだ? ホントに、わけのわからん人が多い。
ちなみにそのキャップの男は私の前に会釈もせず入ってきて柵の上に足をかけた。何だかそのヒザが画面に入りそうでイヤだったが、そこはどうにかなったので黙っていた。


3000系「若葉」(鰭ヶ崎—平和台)

お目当ての「若葉」は顔を暗くしながら登場。ううむ、「流星」では気づきにくかったが。
ここはもう少し時間が進むと顔に日が当たることは前回確認しているので、できればまた後で来よう。


小金城趾—鰭ヶ崎1

鰭ヶ崎駅を通りすぎ、8日に通らなかった線路に沿った道を歩く。ここも撮影者が集まっている。17号踏切で止まり、ここで「若葉」を迎える。


3000系「若葉」(小金城趾—鰭ヶ崎

この踏切もお立ち台状態。いちばん遮断機寄りはぽっかり空いていたので、それまでの遮断機寄りだった方に声をかけて並んだ。アングルが正面気味になるから空いていたんだろう。
列車が鰭ヶ崎駅に停車している間はまだ遮断機が下りないため、こうして真正面で撮れる。


3000系「若葉」(小金城趾—鰭ヶ崎)

この位置での撮影は次に行きたい場所の様子見。先頭は日が当たらないのがわかっていた。
その場所とは、写真手前すぐ近くの坂川を渡る橋りょう。8日に撮った位置にはこの写真の時点で1人だけ撮影者がいたが、「若葉」通過後撤収したのを見て場所をキープ。線路の反対側はこちら側も対岸も撮影者がいる。


5000系「流星」(小金城趾—鰭ヶ崎)

この橋りょうかぶりつきアングルは柵の上に立たないと撮れない。脚立があればいいんだろうが。構造上一名様限定のポイント。
「流星」は流山からの戻り。これの前の流山行をもうちょっと先頭が手前に来るように撮ったが、やっぱり失敗。私にはこの位置が限度。使っているカメラの連写も遅いのだ。


3000系「若葉」(小金城趾—鰭ヶ崎)

対岸の撮影者が入ってしまったが、ここは撮りたかった場所なのでキープできてよかった。


3000系「若葉」(小金城趾—鰭ヶ崎)

3連はワンマン非対応。流鉄で車掌が乗務するのも原則的にはこの日が最後。


幸谷—小金城趾

一名様限定ポイントを後にして、13号踏切を目指す。橋りょうと小金城趾駅の間の新坂川に沿った区間でも撮影者が多くいた。
列車交換で一定の停車時間がある小金城趾駅のホーム端はカラーコーンが立っていた。これは8日には見られなかったので、撮影者対策で置いたんだろう。

13号踏切に着くと、想像ほどは撮影者は多くない、という感じ。むしろ馬橋方の第四種踏切連続地帯にまとまった数が集まっていた。
13号は流山方がカーブになっていて、3連の「若葉」なら多少画(え)になるはず。先客さんに声をかけて、その背後にくっついた。



5000系「流星」(幸谷—小金城趾)

2連だとこの寂しさ。




3000系「若葉」(幸谷—小金城趾)

3連だと多少風格が。でもまた正面真っ暗か。列車はかなり減速でやって来た。
あとで気づいたが、馬橋方正面窓上部のアイシャドウ(日よけ、シェードなどいろいろ呼び方はあるだろうが、ここに書くにあたって私が勝手に使っているだけ)が外されているようだ。「惜別」札に干渉するからだろう。アイシャドウ付は一週間前の姿のこちらの記事で。



3000系「若葉」(幸谷—小金城趾)

反対側も暗い。真上にお日様があるので仕方ない。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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