2010/09/26

私鉄なつかし写真こまごま

今回のなつかし写真も旅先(一部近所)で撮った車両のなつかし写真。
それぞれ少数ずつしか撮ってない会社のものをこの記事にまとめる。


中学の修学旅行


近鉄18400系(京都・1989)

新幹線を下りた京都から奈良への団体移動と翌日の自由行動で近鉄を利用。18400系は「ミニスナックカー」と名付けられた狭幅の特急車で、現在はあおぞらIIとなって団体用で残るのみ。このカラーリングでは存在しない。
奈良への移動はこの特急車の貸切を想像していたが、残念ながら後から来たロングシートの一般車貸切だった。


近鉄8810系(高の原・1989)

貸切のロングシート車内から座席にヒザ立ちして窓越しに撮ったもの。たしか高の原だったと思うが…。


近鉄3200系(九条・1989)

こちらは上2枚の翌日の自由行動時のもの。京都市営地下鉄烏丸線に乗り入れてきた3200系。当時は北大路が北の終点だった。若気の至りフラッシュごめんなさい。


京阪80形・600形(三条・1989)

バスを使うための通りがかりに撮った京阪京津線の車両。基本は本線系と同じカラーリングだが、左の80形は他車両とは違う装いを貫いていた。自動ステップ付低床車の80形は三条—四宮間の普通列車用。600形は全線を走り抜く浜大津への列車に用いられていた。


京福モボ111形(北野白梅町・1989)

京福電鉄嵐山本線と北野線を走っていた古い車両。写真の北野白梅町(きたのはくばいちょう)を起点とする北野線は一部を除き単線。帷子ノ辻(かたびらのつじ)で接続する嵐山本線は全線複線となっている。
現在2線は「嵐電(らんでん)」が案内上の愛称となったが、古くから利用者が使ってきた呼び名だ。


東海道線ホームより


伊豆箱根鉄道3000系(三島・1991)

伊豆箱根鉄道駿豆線にはJRから特急「踊り子」が5連で乗り入れる。乗り入れは国鉄時代の古くから行われているが、この東海道線と駿豆線の渡り線が東海道線の三島駅ホーム途中にあり、転線時に車端がぶつからないようにホームが少々えぐれている。

写真は駿豆線の3000系。夕方の逆光で写真が暗くなってしまった。3000系の後期車はJR211系に似たステンレスカーになった。
西武系で車両も西武からの転入車が活躍する同社、西武では6000系列・20000系に使われた青系帯をずっと先から用いていて、西武がマネをしたような感じだ。





岳南鉄道5000系(吉原・1991)

東海道線吉原からUターンするように路線をのばすのが岳南鉄道。創業から他社の中古車を使い続けている。
写真は見てのとおりの「赤ガエル」・元東急5000系電車。現在熊本電鉄の車両が東急時代の緑色に戻っているが、この岳南の車両も引退前に1編成が緑になったそうだ。
現在は同じ2枚窓でやはり渋谷に顔を出していた京王井の頭線3000系が5000系に代わって活躍中。



近江鉄道クハ1213形+モハ1形(米原・1991.9.15)

米原でののりかえの際に見つけた近江鉄道の車両。早朝、始発前の時刻だ(何で米原を通ったかは、また別の記事で後日紹介)。
今でもそうだが、近江の車両のことはよく把握しておらず、「ずいぶん細くて小さい車両だな」と感じた記憶が鮮明に残っている。


その他JRホームより


総武流山電鉄1200系(馬橋・1988.1.17)

写真を撮り始めたばかりの頃の馬橋でのカット。編成全体を入れるなんていう概念がアタマにない頃だ。この後、高校通学の3年間この馬橋を通り過ぎていたが、結局今に至っても流鉄(写真当時は総武流山電鉄)を撮りには行っていない。
黄色地に緑帯の「なの花」は西武の551系を譲り受けたもので、両開きドアの2連。日中の運用でエンジ+白帯の1300系「あかぎ」とともに使われていた。


総武流山電鉄1200系(馬橋・1988.1.17)

流鉄の馬橋駅ホームは常磐緩行ホームから快速線(ホームなし)を挟んだ先にある。奥の線路は日中に動かない3連の編成が留置されていて、この日は銀色地にオレンジ帯の「銀河」が停まっていた。こちらは純湘南フェイスの元・西武501系で、ドアも片開きとなっている。見るたび「帯は真っ赤か紺が締まるのに」と思った塗装だ。
当時はこのほかオレンジ+白帯の「流星」、水色+白帯の「流馬」、若草色+白帯の「若葉」が存在した。


わたらせ渓谷鐵道わ89-100形(桐生・1990)

2面4線のJR両毛線桐生駅にひっそりと停まる「こうしん」。JR足尾線から第三セクターへ転換した「わてつ」創業時の車両。流鉄のように各車両に愛称がついている。こうしんは現在もあかね色1色となって活躍中。


おまけ



阪急710系(嵐山・1980.1)

これは私の撮った写真ではない。なぜなら、写っているガキが幼稚園児の私だからだ。
嵯峨にある、父の会社の健保の保養所に正月に行ったときのもの。阪急嵐山線と京都線急行を乗り継いで大阪へ出たのだ。別のときには国鉄で153系新快速に乗ったこともあった。
写真の車両は1950(昭和25)年に登場した特急用710系で、ほとんどがクロスシート車だったが2800系の登場でロングシート化された。716ははじめからロングシートで造られた2連×2本のうちの一つで、2ドアから3ドア化されて余生を送っていた。ヘッドライトが新性能車と同じような2灯式のものに取り替えられているのがアンバランスで面白い。
運転台は見ての通り完全開放型で、私にとっては路面電車のようで不思議で仕方なかった記憶がある。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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