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2024/07/22

カラフルトレインズ・11/京急

さて、記事は再びカラフルトレインズ。
前回京成をやったので、続いてはつながりのある京急を。

春先の画像リンク切れ事故前に9割方できていたのをすっかりほったからしにしており、いまさらアップ。


赤と白

京急といえば赤地に白帯。
ノーシル・ノーヘッダー車体・吊り掛け駆動の初代600形が1953(昭和28)年の登場時に纏ったのが最初。600形の第11編成までは前面の窓の天地が大きく、白帯は側面だけに配されていた。第12編成からは前面窓の下辺が上がり、その窓下にも白帯が回った。


230形(ホビーセンターカトー・2016.3.13)

600形第12編成以降の塗色は在来車にも普及。230形はウィンドシルを白く塗る形に。
230形は京急引退後多くの車両が琴電に譲渡された。
写真の268はホビーセンターカトーで現在も静態保存されている。


初代1000形


初代1000形(京急川崎・1992.4)

初代1000形は1959(昭和36)年登場の新性能車で、都営地下鉄浅草線への直通用車両として登場。大量生産され京急の代表形式となった。前年登場の試作車・初代800形4両ものち1000形に吸収された。
当初は在来車と同じ前面2枚窓で新製されたが、1961(昭和39)年新製車から貫通顔(ただし前面表示幕は窓内に設置)となり、1964(昭和39)年製車から前面表示幕が独立した写真の顔に落ち着いた。従前の車両も改造でこの顔に統一されている。浅草線への乗り入れは1968(昭和43)年6月に始まった。
分散形冷房の車両はすべて非冷房車の冷改。写真は「マリンパーク号」充当時のもの。


初代1000形(青砥・1993.4.6)

初代1000形は1971(昭和46)年製車から冷房付での新製で、集中形冷房となっている。
1974(昭和49)年製車からはモーター出力が75kwから90kwに増強されている。
新製冷房車グループは1988(昭和63)年から更新工事を実施。方向幕のシステム変更が行われ、幕が黒地に変わった。写真は1291F。


京成1000形(青砥・1991)

1988(昭和63)年、青電210系の代替と冷房車率引き上げで投入されたのが京急1000形のリース車4連2本だった。大手から大手への車両リースは当時話題になった。
外観は行先・種別表示が京成仕様の青地幕に、側面の「KHK」が「Keisei」に、そして、前面貫通扉にサボ差しが設置された。
サボ差しは当初は赤電や3500形と同じ外付けの枠だったが、ほどなく写真の3150形タイプの内接形に改造された。
塗色は炎電にはならず京急色を保ち、形式・車番もそのままで京成1000形となった。
当初は2本をつなげて8両編成での運用もあったが、のち編成ごとの4連運用充当に落ち着いた。


千葉急1000形(東中山・1993.3.3)

3700形の新製により、京成1000形2本のうち前の写真の1037Fが1991(平成3)年に廃車。
一方の1029Fは1992(平成4)年の千葉急行開業に際し、同社へのリース車両(形式・車号は引き続き変わらず)となった。のちに京急に登場するブルスカの先を行く青京急だ。
1000形は京成・千葉急両時代ともほかの京成4連と共通運用で用いられ、後者であれば写真のように千葉急に入らない列車にもしょっちゅう入っていた。千葉急1000形は1994(平成6)年1月に引退した。


北総7150形(荒川—四ツ木・1992.2.11)

1991(平成3)年3月、北総開発鉄道(現・北総鉄道)の京成高砂—新鎌ヶ谷間が開業し、京成と北総が直結。京急〜都営浅草線〜京成〜北総〜住宅・都市整備公団(現・千葉ニュータウン鉄道)の5者直通運転が開始された。
その際に京急から1000形16両(4連2本・8連1本)が北総へ譲渡された。塗装は同時に新製投入された7300形に似せたものだが、側面帯は紺1本となった。
なにより銀色塗装が7150形の一番の魅力といっていいだろう。写真は8連の7168F。


北総7150形(西白井・1992.8)

4連は7154Fと7158Fとなり、当初は8両編成で直通運用に就いていたが、その後4連単独で新鎌ヶ谷—千葉ニュータウン中央間の区間列車に充当された。
北総線はもともと北初富で新京成線に合流して松戸方面と相互乗り入れをしていた。高砂延伸時点では新京成に新鎌ヶ谷駅がなく、北総は利便性確保のため新京成との相互乗り入れも継続していた。
高砂延伸翌年に新京成の新鎌ヶ谷駅が開業し、新京成との乗り入れは廃止。高架から新京成へ下りる連絡線と、北総としての北初富駅は廃止となった。区間列車はこの新京成直通列車の廃止分を補うものだ。
区間列車は一昨年2月の改正で復活し、朝夕に矢切・新鎌ヶ谷—印西牧の原・印旛日本医大間で設定されている。


北総7150形(西白井・1995.3.7)

1994(平成6)年に、7158Fがドアを1枚1枚違う色に変えた形にされた。山側が寒色系、海側は暖色系となっている。
8連の7168Fが1995(平成7)年に廃車され、1996年に4連2本が8両編成を組んで5者直通に復帰、1998(平成10)年1月まで活躍した。


ことでん1080形(仏生山・2023.10.14)

京急1000形のうち、京急乗り入れ先以外に譲渡されたのはことでん(高松琴平電鉄)のみである。
1988(昭和63)年以降、20両が譲渡された。
1080形は琴平線用に整備したもので、2連6本が登場。雑多な在来車との併結も発生するため、主幹制御器やブレーキを在来車に合わせてグレードダウンしている。
写真の1087Fは1080形登場当時の琴電標準色に昨年リバイバルされたもの。ファンタンゴレッドとオパールホワイトで、3路線共通のカラーだった。


ことでん1080形(高松築港—片原町・2019.7.14)

琴電で1080形となった車両の種車は白幕車4連。
京急1000形はM1-M2の機器分散2両ユニットだが、種車編成はユニット背中合わせ4連(cM2-M1+M1-M2c)であり、先頭車はともにM2で本来は2連が組めない。そこで、品川方ユニットのM1に、浦賀方cM2の運転台cを移植して先頭車化し、M2cはそのままとなった。
写真は1枚前と同じ編成で、リバイバルカラー化前の姿。1087は品川方M1 1027に浦賀方cM2 1025の顔を付けたものだ。
コーンイエローとフレッシュホワイトのツートンは現在の琴平線車両の標準塗色。


ことでん1080形(片原町・2019.7.13)

「還暦の赤い電車」として京急時代の塗装が復刻された1081F。クラウドファンディングで資金が集められた。
ことでんでの前面車号は白帯にすっぽり収まり、京急時代の位置に改めて表示されている。


ことでん1080形(高松築港—片原町・2019.7.13)

京急の羽田空港アクセスの広告車。琴電移籍後に最初に京急色を纏ったのはこの1083Fであるが、まさかの2代目1000形風で、ご丁寧におでこの標識灯まで表現されている。
これが正しい初代1000形塗装復刻のきっかけになったのかもしれない。


ことでん1080形(仏生山・2019.7.13)

2本が並んだ姿。新1000形に準じた赤の方が明るいことがわかる。
1080形は2連5本が整備されたが、1089Fは2004(平成16)年に高松築港駅で台風による高潮浸水に遭った。その後状態不良が続き、2011(平成23)年に廃車となっている。


ことでん1300形(片原町—瓦町・2020.7.23)

ことでんには京急初代1000形ベースでもう1形式・1300形が2連4編成存在する。
こちらはエメラルドグリーンの長尾線所属車であり、写真の場所を含む高松築港—瓦町間の「築港線」区間では1080形と共演している。
長尾線での運用は2連のみで在来車との併結での営業運転がないため、主幹制御器やブレーキは京急時代のままであり、1080形とも併結営業運転は不可である。
また種車は黒幕車グループで京急時代から両側先頭車がM1とM2である。1300形は京急時代の中間車を抜いただけの組成となっており、1080形に比べると譲渡整備は安価に済んでいる。
この1303Fは前出の青砥の写真の1291Fの両先頭車が種車である。


ことでん1300形(片原町—瓦町・2022.8.20)

1300形は2007(平成19)年と2011(平成23)年に2本ずつ登場した。
1301Fは入線当初から『お〜いお茶』ラッピングとなっており、デザイン変遷があるが黄緑ベースは変わっていない。


ことでん1300形(片原町—瓦町・2022.8.22)

1305Fは一昨年に「追憶の赤い電車」として京急色にリバイバル。こちらもクラウドファンディングによるものである。
1300形の前面車号は1080形と逆の助士側窓下にあり、ことでんロゴは運転台窓下に入っている。これは標準塗装でも同じだ。
1080形は白幕、1300形は黒幕と、京急時代を踏襲しているのも面白い。
写真の1305号は京急時代も1305号で、ことでんの京急初代1000形譲渡車20両のうち唯一車号が変わっていない車両だ。


700形


700形(六郷土手・1992.4)

2代目700形は初代1000形が大量製造される中、1967(昭和42)年から4年間で4連21本が製造された。
普通列車用で乗降時間短縮を図って4ドアとなり、窓は全体的に初代1000形より小さめ。
付随車を挟んだ2M1Tの3連を基本とした経済設計だったが、車両運用の諸々の事情から新製は2M2Tの4連となり、性能発揮は二の次で輸送力確保が優先された。
その後本来の3連を組んだ(余ったTは1000形編成に挿入)時期もあったが、おおかたの場面に於いて真の性能は発揮できなかったようだ。写真は739F。


ことでん1200形(一宮—円座・2019.7.14)

初代1000形に続き、700形も2003(平成15)年以降ことでんへ2連11本の22両が譲渡された。1080形と同じく在来車との併結対応のための機器変更が行われている。
システム的には1M1T編成で、2両編成の2両とも連結面側に電動台車・運転台側に制御台車を振り分けた形とした。去勢されたわけだ。
1211Fは「情熱の赤い電車」として京急カラーに復刻されたが、実施中に私は渡讃していないので撮れていない。


ことでん1200形(仏生山・2023.10.14)

1205Fは「しあわせさんこんぴらさん号」となっており、黄色一色のベースが特徴。ほかにも標準色車体に広告を貼った編成が複数存在する。
琴平線用の1200形は方向幕の英字入りへの交換が済んでいる。


ことでん1200形(水田—西前田・2022.8.21)

1200形は長尾線用もあり、エメラルドグリーンの標準色を纏う。
長尾線の1200形は4本あり、当初から長尾線に入ったものは1250台の付番。これは、琴平線向けが放送回路の電圧を在来車に合わせたのに対し、長尾線は併結営業運用がないことから電圧調整が省略されているため。
この1255Fは前出の六郷土手の写真の739Fの両先頭車が種車である。
なお、当初琴平線に入った1215Fは長尾線に転属しており、唯一50番台ではないエメグリ編成となっている。


ことでん1200形(高松築港—片原町・2018.7.15)

前の写真と同じ1255F。
一時期セブン&アイの『nanaco』と『セブン銀行』の広告編成となり車体をエメグリ1色にしたが、契約終了で広告を剥がしたあとそのままの姿で走っていた。さながら常磐快速線103系のようであった。
現在のところ、ことでん1200形は登場全編成が現役である。


800形


京成3300形・800形(京急川崎・1992.4)

2代目800形は1978(昭和53)年に登場した。非貫通顔で地下鉄乗り入れしない普通列車用で、700形と同じ4ドア。基本編成は3連だが、2本つないだ6両編成の場面が多かった。
京急初の界磁チョッパ制御や回生ブレーキなどを採用し、翌年登場の国鉄201系同様省エネを意識した。
前面は額縁顔で、中を白く塗る形となった。額縁顔は201系のほか新京成8000形、西武新101系、伊豆箱根鉄道3000系など同時期登場の車両でよく用いられている。

写真は京急川崎折返しの下り急行神奈川新町行の姿。800形の花形運用は、京急川崎—新逗子(現、逗子・葉山)間の急行。その途中で入庫する短距離列車なんだろう。
京急川崎駅は折返し線が1本あるが、この列車は写真端の上り副本線に到着し、本線に出て奥の多摩川の橋梁上にあるポイントで折り返して写真の位置に下ってきた。高架化の際に引上げ線が2本敷ければよかったのにと思う。
方向幕は新製時は黒地。当時の他形式も含めサボ時代の表記を受け継いでいて、駅名の「京急」の省略のほか、神奈川新町は「新町」、金沢文庫は「文庫」などと表記されていた。


800形(京急新子安・2014.5.4)

800形は登場時は側面窓回りを白としたが、のちに登場の快特用2000形にそのスタイルを譲り、在来車と同じ窓下白帯に変更された。
800形自体当初は2000形が使った顔にする予定だったが、非対称顔というステータスは、同じ東急車輌で試作車が製造されていた国鉄201系に譲ったと言われている。
800形は2019(平成31)年までに全廃。晩年は823Fの側面を登場時の塗り分けに戻したが、私は記録できていない。
方向幕は2002(平成14)年に省略書きをやめたものに交換、さらに2005(平成17)年には写真の英字入り白地幕となり、印象が変わった。


2000形


2000形(六郷土手・1992.4)

2000形は1982(昭和57)年に登場した快特向け2ドア・クロスシート車。それまでの2代目600形を置き替えるための車両。
車内はオール固定クロスシート。ドア間は集団見合い形で、中央の窓の位置が4人ボックスになる。狭かった600形のボックスシートからグレードアップしている。
前述の通り、800形から顔と塗装を受け取ったほか、京急初の両開きドアが導入された。足回りも800形をベースとした界磁チョッパ制御で、高速走行向けの設定となった。


2000形(品川・2012.1.3)

後継の2100形の登場により2000形は格下げで3ドア化。車内は車端部はボックスシートを残し、ほかはロングシートとなり、側面は窓下白細帯に変更された。
格下げは快特での長距離高速走行で足回りが酷使されたことが理由であり、ラッシュ時の車両運用数が多い時間帯や、神奈川方面のエアポート急行が主戦場となった。
2011Fは2013(平成25)年に登場時の側面塗り分けにリバイバルされた。
2000形は2018(平成20)年までに全廃されている。


1500形


1500形(四ツ木・1992.4)

1500形は1985(昭和60)年に登場した、初代1000形を置き替えるための地下鉄乗り入れ対応車両。
2000形に続き界磁チョッパと両開きドアを採用し、前面は貫通扉付で京急初のブラックフェイスとなった。当初から側面は窓下白帯で、今に至るまで地味な存在であり続けている。
最初の20両は鋼製・戸袋窓付、続く車両はアルミ製・戸袋窓なしで印象が変わった。4連は1500台、6連は1600台、6連に挿入して8連とする付随車は1900台となった。

写真はアルミ・界磁チョッパの8連で、旧幕・スカートなしの時代。
界磁チョッパ車はのちにVVVFインバータへ換装され、1600台の車両は一部付随車化され1900台になった。また残った1600台も、新1000形に番号を譲るため1561以降に改番されて消滅している。
残念ながら戸袋窓ありの車両の写真は撮れていない。


1500形(青砥・2013.2.11)

1700台はVVVFインバータ制御で新製された車両。当初からスカート付となっている(写真は新製時のものではなく交換後)。
1500形も方向幕交換で白幕となり、せっかくのブラックフェイスの中で浮いた感じになっている。弱視の方に配慮した地色変更だったようだが、現在は前面のみフルカラーLED化されて、ふたたび「黒地」に戻っている。


1500形(川崎大師—東門前・2014.5.4)

「大師線赤札号」として、真っ赤になったトップナンバー1501F。白帯部分に赤フィルムを貼っただけのかんたんラッピングだ。
600形以降の車両こそ丸くてダルマっぽいと思うが、大師線は1500台がメインで走る路線である。
鋼製車体の1501〜1520は屋根カーブが深く、前面で言えば屋根へのカーブの始点が低く、丸っこさが強い。側面は雨樋の出っ張りが目立つ。
1500形は2001(平成13)年からの更新工事でスカートが付き、写真の鋼製車は戸袋窓が埋められた。

現在は写真の1501Fを含む鋼製車が廃車で消滅。続く1500台アルミ車の最初の2本も昨年末に廃車となっており、昨年登場した2代目1000形22次車が食い気味で1500台車号に浸食を始めている。


600形


600形(八広・1994.10.16)

3代目600形は地下鉄乗り入れ対応の3ドア・クロスシート車として1994(平成6)年に登場した。
東京の地下鉄で恒常的にフルクロスシートの普通列車として走ったことは画期的であった。アルミ車体・VVVFインバータ制御は1500形の最終形を引き継いでいる。
ラッシュ対応のため、両端ドア近くの通路側の座席を収納できる「ツイングルシート」を装備したものの、結局のところ運用初期のみの使用で終わってしまった。
車体は正面が丸みを持った非対称顔となり、続く2100形・2代目1000形に継承されたが、当初は写真の通り前面窓下ワイパーカバーがダークグレーであった。


600形(京成立石—青砥・2010.1.3)

1995(平成7)年、視認性向上のためワイパーカバーが白と上縁部黒の塗装に変更された。
車内は2004(平成16)年から扉間ロングシートに改装され、2000形に似た形になった。

写真は方向幕が白地英字入りになったあとの姿。


600形(京成曳舟・2016.7.24)

2009(平成21)年から更新工事が始まり、その際にワイパーカバーが2100形・2代目1000形同様の形式スリットスタイルに変更された。カバー上縁の黒塗装はなくなっている。
また2014(平成26)年から乗務員室内の新しい無線機器の設置スペース捻出のため、前面表示幕がフルカラーLEDに換装され(幕式より表示器本体の奥行が薄くなる)、現在の顔に至っている。


600形(北品川・2012.1.3)

606Fは2005(平成17)年のロングシート化時に青塗装に変身し、貸切広告編成「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」となった。
側面は広告貼り付けのため窓回りの白はなく、青ベタとなっている。
前面にも柄が追加されたり、逆にスッピン状態で走ったりと、時期によって姿が変わる目が離せない編成だ。


2100形


2100形(梅屋敷・2012.1.3)

2100形は2000形に代わる快特用2ドア車両として1998(平成10)年に登場した。
600形をベースに各部に海外製品を用いており、シーメンス社のドレミファインバータは有名だ。車内はオール転換クロスシートで、関東では唯一の存在。
前面に非常扉があるため、都営浅草線規格の泉岳寺駅(京急本線の起点は品川ではなく泉岳寺)に入線できるのも2000形から進化したところだ。
前面ワイパーカバーの運転台下の位置には「2100」の文字がスリット入りで入っているが、このスリットは増解結時に運転台から連結器を確認しやすくするため。
1次車はその車両の車号でスリットを抜いていたが、2次車からは「2100」に統一され、1次車も合わされた。
写真は京急蒲田—六郷土手間の高架化工事中の梅屋敷駅直前の踏切で撮ったもので、期間限定の風景。


2100形(大森海岸・2015.5.3)

2100形は600形とともにブルスカ編成がある。
台湾の鉄道管理局の広告となった際は、台鐵の紺地+白帯の「普快車」に似せて側面窓下に白帯が入り、千葉急っぽくなったことがある。
写真の2133Fは他編成が制御装置更新と車体更新を別々に受けた中、ただ1本だけ両方の更新をまとめて行った編成とのこと。車体更新後の2100形は前面に「けいきゅん」が居る。


2代目1000形


1000形(京急新子安・2014.5.4)

2代目1000形は2002(平成14)年に登場した、初代1000形・2代目700形置き替えのための車両。5次車までは、600形・2100形に続いてアルミ車体を採用している。
増備が続いており、仕様は多岐に渡る。最新は昨年の製造の22次車。22次車の車号は1500形初期車の廃車を踏まえて1500番台に侵出した。


1000形(京成西船—海神・2016.10.24)

沿線に東急車輌(現・総合車両製作所)があるにも関わらずなかなかステンレス車体を用いなかった京急だが、2007(平成19)年の1000形6次車・1073Fでついにステンレス車体が登場した。
関東の大手私鉄ではどん尻の採用(21世紀になってからの採用は他に相鉄のみ。同様にアルミ車体が先行していた)である。東急車輌での京急車の製造自体はそれ以前から行われている。
写真の1121Fは10次車で、側面は6次車以来のステンレス無地面が多いカラーフィルムでの部分装飾となっている。
この写真が私の1000形の最新撮影(すげー前だな)。この後の2017(平成29)年登場の17次車以降はアルミの5次車以来の全面塗装となった。


1000形(大森海岸・2015.5.3)

1057Fは2014(平成26)年に「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」となり、ブルスカに続いて京急車では3色目の編成となった。
Wikiによれば、デト(電動貨車)の塗装がをイメージしているそうだ。そのきっかけは載っておらずわからない。
3年間の運行予定だったが、稀に現れる黄色い電車は好評で、未だ継続している。その当初3年間はドアをアルミ無塗装としており、期せずして西武の黄色い電車そっくりになった。そこで西武からコラボ提案があり、同9000形9103Fが京急色になり「RED LUCKY TRAIN」となった
1057Fは3年が経ち延長が決まったあと、ドアも黄色に変更された。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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