【ご案内】2016年夏までの記事の画像リンク切れは解消致しました

2024/07/22

カラフルトレインズ・11/京急

さて、記事は再びカラフルトレインズ。
前回京成をやったので、続いてはつながりのある京急を。

春先の画像リンク切れ事故前に9割方できていたのをすっかりほったからしにしており、いまさらアップ。


赤と白

京急といえば赤地に白帯。
ノーシル・ノーヘッダー車体・吊り掛け駆動の初代600形が1953(昭和28)年の登場時に纏ったのが最初。600形の第11編成までは前面の窓の天地が大きく、白帯は側面だけに配されていた。第12編成からは前面窓の下辺が上がり、その窓下にも白帯が回った。


230形(ホビーセンターカトー・2016.3.13)

600形第12編成以降の塗色は在来車にも普及。230形はウィンドシルを白く塗る形に。
230形は京急引退後多くの車両が琴電に譲渡された。
写真の268はホビーセンターカトーで現在も静態保存されている。


初代1000形


初代1000形(京急川崎・1992.4)

初代1000形は1959(昭和36)年登場の新性能車で、都営地下鉄浅草線への直通用車両として登場。大量生産され京急の代表形式となった。前年登場の試作車・初代800形4両ものち1000形に吸収された。
当初は在来車と同じ前面2枚窓で新製されたが、1961(昭和39)年新製車から貫通顔(ただし前面表示幕は窓内に設置)となり、1964(昭和39)年製車から前面表示幕が独立した写真の顔に落ち着いた。従前の車両も改造でこの顔に統一されている。浅草線への乗り入れは1968(昭和43)年6月に始まった。
分散形冷房の車両はすべて非冷房車の冷改。写真は「マリンパーク号」充当時のもの。


初代1000形(青砥・1993.4.6)

初代1000形は1971(昭和46)年製車から冷房付での新製で、集中形冷房となっている。
1974(昭和49)年製車からはモーター出力が75kwから90kwに増強されている。
新製冷房車グループは1988(昭和63)年から更新工事を実施。方向幕のシステム変更が行われ、幕が黒地に変わった。写真は1291F。


京成1000形(青砥・1991)

1988(昭和63)年、青電210系の代替と冷房車率引き上げで投入されたのが京急1000形のリース車4連2本だった。大手から大手への車両リースは当時話題になった。
外観は行先・種別表示が京成仕様の青地幕に、側面の「KHK」が「Keisei」に、そして、前面貫通扉にサボ差しが設置された。
サボ差しは当初は赤電や3500形と同じ外付けの枠だったが、ほどなく写真の3150形タイプの内接形に改造された。
塗色は炎電にはならず京急色を保ち、形式・車番もそのままで京成1000形となった。
当初は2本をつなげて8両編成での運用もあったが、のち編成ごとの4連運用充当に落ち着いた。


千葉急1000形(東中山・1993.3.3)

3700形の新製により、京成1000形2本のうち前の写真の1037Fが1991(平成3)年に廃車。
一方の1029Fは1992(平成4)年の千葉急行開業に際し、同社へのリース車両(形式・車号は引き続き変わらず)となった。のちに京急に登場するブルスカの先を行く青京急だ。
1000形は京成・千葉急両時代ともほかの京成4連と共通運用で用いられ、後者であれば写真のように千葉急に入らない列車にもしょっちゅう入っていた。千葉急1000形は1994(平成6)年1月に引退した。


北総7150形(荒川—四ツ木・1992.2.11)

1991(平成3)年3月、北総開発鉄道(現・北総鉄道)の京成高砂—新鎌ヶ谷間が開業し、京成と北総が直結。京急〜都営浅草線〜京成〜北総〜住宅・都市整備公団(現・千葉ニュータウン鉄道)の5者直通運転が開始された。
その際に京急から1000形16両(4連2本・8連1本)が北総へ譲渡された。塗装は同時に新製投入された7300形に似せたものだが、側面帯は紺1本となった。
なにより銀色塗装が7150形の一番の魅力といっていいだろう。写真は8連の7168F。


北総7150形(西白井・1992.8)

4連は7154Fと7158Fとなり、当初は8両編成で直通運用に就いていたが、その後4連単独で新鎌ヶ谷—千葉ニュータウン中央間の区間列車に充当された。
北総線はもともと北初富で新京成線に合流して松戸方面と相互乗り入れをしていた。高砂延伸時点では新京成に新鎌ヶ谷駅がなく、北総は利便性確保のため新京成との相互乗り入れも継続していた。
高砂延伸翌年に新京成の新鎌ヶ谷駅が開業し、新京成との乗り入れは廃止。高架から新京成へ下りる連絡線と、北総としての北初富駅は廃止となった。区間列車はこの新京成直通列車の廃止分を補うものだ。
区間列車は一昨年2月の改正で復活し、朝夕に矢切・新鎌ヶ谷—印西牧の原・印旛日本医大間で設定されている。


北総7150形(西白井・1995.3.7)

1994(平成6)年に、7158Fがドアを1枚1枚違う色に変えた形にされた。山側が寒色系、海側は暖色系となっている。
8連の7168Fが1995(平成7)年に廃車され、1996年に4連2本が8両編成を組んで5者直通に復帰、1998(平成10)年1月まで活躍した。


ことでん1080形(仏生山・2023.10.14)

京急1000形のうち、京急乗り入れ先以外に譲渡されたのはことでん(高松琴平電鉄)のみである。
1988(昭和63)年以降、20両が譲渡された。
1080形は琴平線用に整備したもので、2連6本が登場。雑多な在来車との併結も発生するため、主幹制御器やブレーキを在来車に合わせてグレードダウンしている。
写真の1087Fは1080形登場当時の琴電標準色に昨年リバイバルされたもの。ファンタンゴレッドとオパールホワイトで、3路線共通のカラーだった。


ことでん1080形(高松築港—片原町・2019.7.14)

琴電で1080形となった車両の種車は白幕車4連。
京急1000形はM1-M2の機器分散2両ユニットだが、種車編成はユニット背中合わせ4連(cM2-M1+M1-M2c)であり、先頭車はともにM2で本来は2連が組めない。そこで、品川方ユニットのM1に、浦賀方cM2の運転台cを移植して先頭車化し、M2cはそのままとなった。
写真は1枚前と同じ編成で、リバイバルカラー化前の姿。1087は品川方M1 1027に浦賀方cM2 1025の顔を付けたものだ。
コーンイエローとフレッシュホワイトのツートンは現在の琴平線車両の標準塗色。


ことでん1080形(片原町・2019.7.13)

「還暦の赤い電車」として京急時代の塗装が復刻された1081F。クラウドファンディングで資金が集められた。
ことでんでの前面車号は白帯にすっぽり収まり、京急時代の位置に改めて表示されている。


ことでん1080形(高松築港—片原町・2019.7.13)

京急の羽田空港アクセスの広告車。琴電移籍後に最初に京急色を纏ったのはこの1083Fであるが、まさかの2代目1000形風で、ご丁寧におでこの標識灯まで表現されている。
これが正しい初代1000形塗装復刻のきっかけになったのかもしれない。


ことでん1080形(仏生山・2019.7.13)

2本が並んだ姿。新1000形に準じた赤の方が明るいことがわかる。
1080形は2連5本が整備されたが、1089Fは2004(平成16)年に高松築港駅で台風による高潮浸水に遭った。その後状態不良が続き、2011(平成23)年に廃車となっている。


ことでん1300形(片原町—瓦町・2020.7.23)

ことでんには京急初代1000形ベースでもう1形式・1300形が2連4編成存在する。
こちらはエメラルドグリーンの長尾線所属車であり、写真の場所を含む高松築港—瓦町間の「築港線」区間では1080形と共演している。
長尾線での運用は2連のみで在来車との併結での営業運転がないため、主幹制御器やブレーキは京急時代のままであり、1080形とも併結営業運転は不可である。
また種車は黒幕車グループで京急時代から両側先頭車がM1とM2である。1300形は京急時代の中間車を抜いただけの組成となっており、1080形に比べると譲渡整備は安価に済んでいる。
この1303Fは前出の青砥の写真の1291Fの両先頭車が種車である。


ことでん1300形(片原町—瓦町・2022.8.20)

1300形は2007(平成19)年と2011(平成23)年に2本ずつ登場した。
1301Fは入線当初から『お〜いお茶』ラッピングとなっており、デザイン変遷があるが黄緑ベースは変わっていない。


ことでん1300形(片原町—瓦町・2022.8.22)

1305Fは一昨年に「追憶の赤い電車」として京急色にリバイバル。こちらもクラウドファンディングによるものである。
1300形の前面車号は1080形と逆の助士側窓下にあり、ことでんロゴは運転台窓下に入っている。これは標準塗装でも同じだ。
1080形は白幕、1300形は黒幕と、京急時代を踏襲しているのも面白い。
写真の1305号は京急時代も1305号で、ことでんの京急初代1000形譲渡車20両のうち唯一車号が変わっていない車両だ。


700形


700形(六郷土手・1992.4)

2代目700形は初代1000形が大量製造される中、1967(昭和42)年から4年間で4連21本が製造された。
普通列車用で乗降時間短縮を図って4ドアとなり、窓は全体的に初代1000形より小さめ。
付随車を挟んだ2M1Tの3連を基本とした経済設計だったが、車両運用の諸々の事情から新製は2M2Tの4連となり、性能発揮は二の次で輸送力確保が優先された。
その後本来の3連を組んだ(余ったTは1000形編成に挿入)時期もあったが、おおかたの場面に於いて真の性能は発揮できなかったようだ。写真は739F。


ことでん1200形(一宮—円座・2019.7.14)

初代1000形に続き、700形も2003(平成15)年以降ことでんへ2連11本の22両が譲渡された。1080形と同じく在来車との併結対応のための機器変更が行われている。
システム的には1M1T編成で、2両編成の2両とも連結面側に電動台車・運転台側に制御台車を振り分けた形とした。去勢されたわけだ。
1211Fは「情熱の赤い電車」として京急カラーに復刻されたが、実施中に私は渡讃していないので撮れていない。


ことでん1200形(仏生山・2023.10.14)

1205Fは「しあわせさんこんぴらさん号」となっており、黄色一色のベースが特徴。ほかにも標準色車体に広告を貼った編成が複数存在する。
琴平線用の1200形は方向幕の英字入りへの交換が済んでいる。


ことでん1200形(水田—西前田・2022.8.21)

1200形は長尾線用もあり、エメラルドグリーンの標準色を纏う。
長尾線の1200形は4本あり、当初から長尾線に入ったものは1250台の付番。これは、琴平線向けが放送回路の電圧を在来車に合わせたのに対し、長尾線は併結営業運用がないことから電圧調整が省略されているため。
この1255Fは前出の六郷土手の写真の739Fの両先頭車が種車である。
なお、当初琴平線に入った1215Fは長尾線に転属しており、唯一50番台ではないエメグリ編成となっている。


ことでん1200形(高松築港—片原町・2018.7.15)

前の写真と同じ1255F。
一時期セブン&アイの『nanaco』と『セブン銀行』の広告編成となり車体をエメグリ1色にしたが、契約終了で広告を剥がしたあとそのままの姿で走っていた。さながら常磐快速線103系のようであった。
現在のところ、ことでん1200形は登場全編成が現役である。


800形


京成3300形・800形(京急川崎・1992.4)

2代目800形は1978(昭和53)年に登場した。非貫通顔で地下鉄乗り入れしない普通列車用で、700形と同じ4ドア。基本編成は3連だが、2本つないだ6両編成の場面が多かった。
京急初の界磁チョッパ制御や回生ブレーキなどを採用し、翌年登場の国鉄201系同様省エネを意識した。
前面は額縁顔で、中を白く塗る形となった。額縁顔は201系のほか新京成8000形、西武新101系、伊豆箱根鉄道3000系など同時期登場の車両でよく用いられている。

写真は京急川崎折返しの下り急行神奈川新町行の姿。800形の花形運用は、京急川崎—新逗子(現、逗子・葉山)間の急行。その途中で入庫する短距離列車なんだろう。
京急川崎駅は折返し線が1本あるが、この列車は写真端の上り副本線に到着し、本線に出て奥の多摩川の橋梁上にあるポイントで折り返して写真の位置に下ってきた。高架化の際に引上げ線が2本敷ければよかったのにと思う。
方向幕は新製時は黒地。当時の他形式も含めサボ時代の表記を受け継いでいて、駅名の「京急」の省略のほか、神奈川新町は「新町」、金沢文庫は「文庫」などと表記されていた。


800形(京急新子安・2014.5.4)

800形は登場時は側面窓回りを白としたが、のちに登場の快特用2000形にそのスタイルを譲り、在来車と同じ窓下白帯に変更された。
800形自体当初は2000形が使った顔にする予定だったが、非対称顔というステータスは、同じ東急車輌で試作車が製造されていた国鉄201系に譲ったと言われている。
800形は2019(平成31)年までに全廃。晩年は823Fの側面を登場時の塗り分けに戻したが、私は記録できていない。
方向幕は2002(平成14)年に省略書きをやめたものに交換、さらに2005(平成17)年には写真の英字入り白地幕となり、印象が変わった。


2000形


2000形(六郷土手・1992.4)

2000形は1982(昭和57)年に登場した快特向け2ドア・クロスシート車。それまでの2代目600形を置き替えるための車両。
車内はオール固定クロスシート。ドア間は集団見合い形で、中央の窓の位置が4人ボックスになる。狭かった600形のボックスシートからグレードアップしている。
前述の通り、800形から顔と塗装を受け取ったほか、京急初の両開きドアが導入された。足回りも800形をベースとした界磁チョッパ制御で、高速走行向けの設定となった。


2000形(品川・2012.1.3)

後継の2100形の登場により2000形は格下げで3ドア化。車内は車端部はボックスシートを残し、ほかはロングシートとなり、側面は窓下白細帯に変更された。
格下げは快特での長距離高速走行で足回りが酷使されたことが理由であり、ラッシュ時の車両運用数が多い時間帯や、神奈川方面のエアポート急行が主戦場となった。
2011Fは2013(平成25)年に登場時の側面塗り分けにリバイバルされた。
2000形は2018(平成20)年までに全廃されている。


1500形


1500形(四ツ木・1992.4)

1500形は1985(昭和60)年に登場した、初代1000形を置き替えるための地下鉄乗り入れ対応車両。
2000形に続き界磁チョッパと両開きドアを採用し、前面は貫通扉付で京急初のブラックフェイスとなった。当初から側面は窓下白帯で、今に至るまで地味な存在であり続けている。
最初の20両は鋼製・戸袋窓付、続く車両はアルミ製・戸袋窓なしで印象が変わった。4連は1500台、6連は1600台、6連に挿入して8連とする付随車は1900台となった。

写真はアルミ・界磁チョッパの8連で、旧幕・スカートなしの時代。
界磁チョッパ車はのちにVVVFインバータへ換装され、1600台の車両は一部付随車化され1900台になった。また残った1600台も、新1000形に番号を譲るため1561以降に改番されて消滅している。
残念ながら戸袋窓ありの車両の写真は撮れていない。


1500形(青砥・2013.2.11)

1700台はVVVFインバータ制御で新製された車両。当初からスカート付となっている(写真は新製時のものではなく交換後)。
1500形も方向幕交換で白幕となり、せっかくのブラックフェイスの中で浮いた感じになっている。弱視の方に配慮した地色変更だったようだが、現在は前面のみフルカラーLED化されて、ふたたび「黒地」に戻っている。


1500形(川崎大師—東門前・2014.5.4)

「大師線赤札号」として、真っ赤になったトップナンバー1501F。白帯部分に赤フィルムを貼っただけのかんたんラッピングだ。
600形以降の車両こそ丸くてダルマっぽいと思うが、大師線は1500台がメインで走る路線である。
鋼製車体の1501〜1520は屋根カーブが深く、前面で言えば屋根へのカーブの始点が低く、丸っこさが強い。側面は雨樋の出っ張りが目立つ。
1500形は2001(平成13)年からの更新工事でスカートが付き、写真の鋼製車は戸袋窓が埋められた。

現在は写真の1501Fを含む鋼製車が廃車で消滅。続く1500台アルミ車の最初の2本も昨年末に廃車となっており、昨年登場した2代目1000形22次車が食い気味で1500台車号に浸食を始めている。


600形


600形(八広・1994.10.16)

3代目600形は地下鉄乗り入れ対応の3ドア・クロスシート車として1994(平成6)年に登場した。
東京の地下鉄で恒常的にフルクロスシートの普通列車として走ったことは画期的であった。アルミ車体・VVVFインバータ制御は1500形の最終形を引き継いでいる。
ラッシュ対応のため、両端ドア近くの通路側の座席を収納できる「ツイングルシート」を装備したものの、結局のところ運用初期のみの使用で終わってしまった。
車体は正面が丸みを持った非対称顔となり、続く2100形・2代目1000形に継承されたが、当初は写真の通り前面窓下ワイパーカバーがダークグレーであった。


600形(京成立石—青砥・2010.1.3)

1995(平成7)年、視認性向上のためワイパーカバーが白と上縁部黒の塗装に変更された。
車内は2004(平成16)年から扉間ロングシートに改装され、2000形に似た形になった。

写真は方向幕が白地英字入りになったあとの姿。


600形(京成曳舟・2016.7.24)

2009(平成21)年から更新工事が始まり、その際にワイパーカバーが2100形・2代目1000形同様の形式スリットスタイルに変更された。カバー上縁の黒塗装はなくなっている。
また2014(平成26)年から乗務員室内の新しい無線機器の設置スペース捻出のため、前面表示幕がフルカラーLEDに換装され(幕式より表示器本体の奥行が薄くなる)、現在の顔に至っている。


600形(北品川・2012.1.3)

606Fは2005(平成17)年のロングシート化時に青塗装に変身し、貸切広告編成「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」となった。
側面は広告貼り付けのため窓回りの白はなく、青ベタとなっている。
前面にも柄が追加されたり、逆にスッピン状態で走ったりと、時期によって姿が変わる目が離せない編成だ。


2100形


2100形(梅屋敷・2012.1.3)

2100形は2000形に代わる快特用2ドア車両として1998(平成10)年に登場した。
600形をベースに各部に海外製品を用いており、シーメンス社のドレミファインバータは有名だ。車内はオール転換クロスシートで、関東では唯一の存在。
前面に非常扉があるため、都営浅草線規格の泉岳寺駅(京急本線の起点は品川ではなく泉岳寺)に入線できるのも2000形から進化したところだ。
前面ワイパーカバーの運転台下の位置には「2100」の文字がスリット入りで入っているが、このスリットは増解結時に運転台から連結器を確認しやすくするため。
1次車はその車両の車号でスリットを抜いていたが、2次車からは「2100」に統一され、1次車も合わされた。
写真は京急蒲田—六郷土手間の高架化工事中の梅屋敷駅直前の踏切で撮ったもので、期間限定の風景。


2100形(大森海岸・2015.5.3)

2100形は600形とともにブルスカ編成がある。
台湾の鉄道管理局の広告となった際は、台鐵の紺地+白帯の「普快車」に似せて側面窓下に白帯が入り、千葉急っぽくなったことがある。
写真の2133Fは他編成が制御装置更新と車体更新を別々に受けた中、ただ1本だけ両方の更新をまとめて行った編成とのこと。車体更新後の2100形は前面に「けいきゅん」が居る。


2代目1000形


1000形(京急新子安・2014.5.4)

2代目1000形は2002(平成14)年に登場した、初代1000形・2代目700形置き替えのための車両。5次車までは、600形・2100形に続いてアルミ車体を採用している。
増備が続いており、仕様は多岐に渡る。最新は昨年の製造の22次車。22次車の車号は1500形初期車の廃車を踏まえて1500番台に侵出した。


1000形(京成西船—海神・2016.10.24)

沿線に東急車輌(現・総合車両製作所)があるにも関わらずなかなかステンレス車体を用いなかった京急だが、2007(平成19)年の1000形6次車・1073Fでついにステンレス車体が登場した。
関東の大手私鉄ではどん尻の採用(21世紀になってからの採用は他に相鉄のみ。同様にアルミ車体が先行していた)である。東急車輌での京急車の製造自体はそれ以前から行われている。
写真の1121Fは10次車で、側面は6次車以来のステンレス無地面が多いカラーフィルムでの部分装飾となっている。
この写真が私の1000形の最新撮影(すげー前だな)。この後の2017(平成29)年登場の17次車以降はアルミの5次車以来の全面塗装となった。


1000形(大森海岸・2015.5.3)

1057Fは2014(平成26)年に「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」となり、ブルスカに続いて京急車では3色目の編成となった。
Wikiによれば、デト(電動貨車)の塗装がをイメージしているそうだ。そのきっかけは載っておらずわからない。
3年間の運行予定だったが、稀に現れる黄色い電車は好評で、未だ継続している。その当初3年間はドアをアルミ無塗装としており、期せずして西武の黄色い電車そっくりになった。そこで西武からコラボ提案があり、同9000形9103Fが京急色になり「RED LUCKY TRAIN」となった
1057Fは3年が経ち延長が決まったあと、ドアも黄色に変更された。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

2024/07/21

ぬりえとブラックフェイス

前回記事から約ひと月で、再び進捗報告。

過去記事の画像リンク切れ対応については粛々と進め、2011・2012年の記事の更新が終わった。残りは2013・2014年分だけとなった。
貧乏性で取捨選択が甘いため画像の点数が多いのが当ブログの特徴であり、作業が面倒くさいのは自業自得。しかし、効率の良い再貼付法を自分なりにあれこれ見いだして、更新のスピードは上がったかな。


凹みは塗る

画像の貼り直しでいろいろデータを見ていると、未だ記事に上げていない「ぬりえ」が見つかった。当ブログで言う「ぬりえ」とは、ささやかなウソ電である。ほぼブラックフェイス調整だ。
今回は過去に載せたぬりえと、上げてなかったもの、さらに新たにササっと塗ったものを並べていく。
まずは過去ネタ再掲載から。元のリアル写真と、塗ったものの順。


東武10030系(牛田・2009.10.25)(再掲)

10030系は前面窓下が黒くなっているが、わざわざ凹ませたデザインの中でその上の部分はフチが無塗装であり、黒部分が浮いてしまっているように感じる。


10030系ぬりえ(嘘田)(再掲)

凹んだところを全部黒にすればとても馴染みが良い、と作ったのがこの最初のぬりえ。
アップ時は知らなかったが、実は東上線の11461Fはまさにこの状態で新製されたそう。ただその後は標準型に合わされた。
このぬりえはちょいウソのため現実にない表示幕に打ち替えてウソを強調(「杉戸」は東武動物公園駅の旧称)。またたまたま牛田駅の写真だったので、キャプションを「うそだ」に替えたダジャレにした。
この幕いじりと撮影地ダジャレが後のぬりえにも基本的に続くこととなる。


JR253系特急「成田エクスプレス」(稲毛・2010.2.20)(再掲)

稲毛で撮った253系。


JR253系ぬりえ(ラ稲毛)(再掲)

N'EXを追われる253系が東武直通特急車として用いられると聞き、前任の485系を参考にした配色やってみたのがこれ。奥は面倒なので先頭車のみ加工。
貫通扉窓の「N'EX」のロゴは日光にちなみ「N'IX」とし、飛行機をイチョウにしてある。
駅名ダジャレはうまくいかず、嘘の英語「ライ」を稲毛に絡めただけ。ブラックフェイス絡みばかりの一連のぬりえの中で、このネタだけ例外の加工。



西武6050系(保谷・2015.5.9)(再掲)

西武6000系を西武イエローにラッピングした編成。
そもそも黄色の電車も現役で走っているのになぜこれをやったのか謎が強かったが、顔がなんだか物足りなく思った。



西武6050系ぬりえ(ほら谷)(再掲)

黄色の電車はやっぱり前面のステンレス飾りがないとねぇ。あとせっかく縦に入る線があるんだから、センター分けでないとはいえ、新101系みたいに黄色にしようよ、というのがこのぬりえ。
これは行先表示をいじってなかったな。


西武新101系(白糸台・2018.5.5)(再掲)

新101系に赤電塗装を施したこの編成。
額縁顔を無視して701・801系と同じ塗り分けにしたものの、新101系の前面窓は天地が狭く、眠そうな顔になってしまっている。


西武新101系ぬりえ(ほら糸台)(再掲)

凹み部分のブラック完全復活でもよかったが、701・801系の窓っぽい高さだけ黒く塗ったのがコレ。
行先は武蔵境からひねって「嘘谷境(Useya sakai)」とした(800×600ピクセルなので英字は拡大しても読み取れないが)。関西弁で「うせや」とか言うでしょ? まぁ「うそやさかい」を「うせやさかい」までこねくり回す文法があるかどうかは知らんけど。


ことでん1070形(高松築港—片原町・2018.7.15)(再掲)

凹み顔がぬりえ欲をかき立てられることでん1070形。
2枚窓だった京急先代600形の顔を貫通型に改造したのは、行先サボ使用のため。扉を内に開けて車内で安全に差し替えるのだ。
この貫通型化の際、京急800形や1500形に似た額縁フェイスにされたものの、入線当初から段差で色を変えることなく推移している。


ことでん1070形ぬりえ(高松築港—片ほら町)(再掲)

だから、塗ってみるわけです。ちなみに扉部分は段はなく、凹みを囲みきっているわけではない。
「琴電琴平」は「嘘電琴平」に。「ことでん」Kロゴは「うそでん」Uロゴにした。撮影地は…保谷で使った「ほら」ばっかりだな。


初出し

お次は初めて上げる分。
都営地下鉄の昭和のステンレスカー2形式は、以前ぬりえを作っておきながらアップするタイミングを失っていた。


都営6000形(蓮根・1993.3.8)(再掲)

現在も秩父や熊本で実働中の都営三田線6000形。
顔は周囲を面取りしてあって境目があり、「これはブラックフェイスに塗れるじゃないか」と10代のころに思っていた。


都営6000形ぬりえ(嘘根)

貫通扉上の水切り(?)が侵出してくるが、左右窓回りを黒くしてみた。ん〜、垢抜けないな。
データの作成日を見たら、このぬりえは「田町」のウソ行先も含め14年前に作っていたものだった。三田駅と接続するのがJR田町駅だが、なんでそうしたのか憶えていない。白金高輪駅の仮称「清正公前」でもよかったな。


都営5200形(京急川崎・1992.2.10)(再掲)

6000形より後の登場の浅草線5200形。
5000形の足回りにセミステンレス車体を載せたスタイルで6連2本だけ製造されたレア車。6000形や、10-000形試作車と兄弟関係の顔をしている。


都営5200形ぬりえ(京急川詐欺)

フレームがはっきりした凹みは塗るべし。6000形よりハマってる感じもする。
行先は京急の三崎口からの延伸が実現していないままの「油壺」(あぶらつぼ)に。これも6000形と同時期に作っていた画像。油壺に替えたのは今だ。


JR中央・総武緩行線209系500番台(西荻窪・2016.5.3)(再掲)

ここからは今作ったやつ。
どこかの記事に書いていると思うが、この209系500番台やE231系の顔、私はバランスが悪いと思っている。
カラー帯が左右突き抜けている点と、窓下黒部分の角丸半径が大きすぎる点。直線と曲線がゴチャゴチャしている。


JR中央・総武緩行線209系500番台ぬりえ(偽荻窪)

窓下黒部分の角を直角に、カラー帯は左右を切って黒と同幅に。そして、ライト回りの黒も上の角は丸みをなくして、窓回り・カラー帯と左右のラインが一体形成されるようにした。
見慣れたものから変えれば違和感はあるが、自分にはしっくりくる形。やっぱりカラー帯の突き抜けがいちばんよくなかったなぁ。つまるところ、E231系500番台が私の思った見直し希望点を体現してくれたのだ。
黄帯の両端を消して白にするのはちょっと雑な処理になってしまった。
行先は黄色い電車が行かない「成田」に。緑の英字はそもそも元画像で見えてないので加えていない。


西武2000系(新井薬師前—沼袋・2016.3.13)(再掲)

さいごは西武2000系。
後に続いた新2000系が前面窓と表示幕回りを黒塗りしたスタイルであり、こっちも窓回りの凹みは塗りたくなるってもんで。


西武2000系ぬりえ(新井詐欺師前—塗袋)

なんと自然な結果に。まぁ全部、「黒くしたから何だよ?」って話なんですが。行先は消え去った貨物駅「安比奈(あひな)」にした。

あとやってみたいのは、ことでん1070形同様凹みを造りながら塗装では無視している遠州鉄道30形51Fだが、自ら撮った写真がなく現存もしないのでどうにもできない。


リアル例

さいごは、私のぬりえではなく実例。


JR中央・総武緩行線101系(船橋・1988)(再掲)

国鉄新性能車の礎・101系。食パン切妻でありながら前面窓の内傾処理のため、窓回りに凹みが設けられている。
これはロクサン形をはじめ改造車を含む旧形国電で多く用いられた形を継承している。


秩鉄1000系(熊谷・2008.6.15)(mb)

101系の一部は秩父鉄道へ譲渡され1000系となった。
譲渡当時の在来車と同じレモンイエローに茶帯の塗装でデビューしたが、その後の塗色変更でこんなことに。塗っちゃいましたか。凹んでたら塗るよねぇ、フフフ…。


西武新101系(本町信号所・1993.5.29)(再掲)

こちらは西武の101系。101系からデザインが変わった新101系はザ・ブラックフェイスの国鉄201系と同期。
当初前面額縁内は側面窓回りと同じトニーベージュであったが、その後ダークブラウンを経てブラックに至った。


秩鉄6000系(三峰口・2008.6.15)(mb)

あちこちの私鉄へ譲渡された新101系の中でも一番の魔改造がこの秩父鉄道6000系。急行「秩父路」用クロスシート車となった。
愛称表示器はともかく、他にも余計な整形が施され、その一環で「鼻筋」も黒となってブラックフェイスは西武3000系風になった。
都度触れているが、6000系の中で茶系のリバイバルカラーをまとった編成は、魔改造時にせり上がった運転台側の窓下を黒く塗ってブラックフェイス下辺を左右一直線に戻している。
運転台下のせり上がりは「顔がひきつっている」ようで、標準色の編成にも反映して解消してほしいところ。


JR八高線キハ38(八王子・1992.5.11)(再掲)

キハ35系を更新したキハ38。八高線でキハ110系が導入されるまで活躍した。
実は前面窓回りの凹みは211系のように左右に分かれているのだが、八高線時代…つまり新製時からなぜかその間も黒く塗られていた。秩鉄6000系とは逆パターンという感じ。
貫通扉まで塗り分けされているが、貫通幌によってその塗り分け処理は台無しに。


JR久留里線キハ38(平山—上総松丘・2011.4.4)(再掲)

八高線を追われて久留里線に移ったキハ38。当初は後出のクリームと紺の初代久留里線色となった(どうやらポッポの丘にいる車両が現在はそれになっている模様)が、1年ちょっとで写真の新久留里線色に変更された。
凹み分だけ黒としたのはこの新久留里線色化のときだった。


JR久留里線キハ37+キハ30(大宮・1991)(再掲)

こちらが初代久留里線色。房総用113系のスカ色っぽい色を用いている。


JR久留里線キハ37(平山—上総松丘・2011.7.6)(再掲)

新久留里線色化の際、キハ38に合わせるようにブラックフェイス化されたキハ37。この場合は黒Hゴムのほうが溶け込んでよかったな。


JR八高線キハ30(八王子・1991)(再掲)

八高線では国鉄一般色→首都圏色で活躍したキハ35系。


JR久留里線キハ30(木更津・2009.10.11)(再掲)

前出の初代久留里線色を経て、新久留里線色ではこれまたキハ38風のブラックフェイス化が施された。これにはキハ30自身もビックリしただろう。黒Hゴムでしっくりきとりまっさ。
でも前面補強板や旧色から続く3本ボーダー、ジャンパなどでごっちゃごちゃゴチャゴチャしている。
久留里線はキハ30のみ国鉄一般色となった後、国鉄形気動車は引退。現在はキハE130系1000番台で統一されている。まだE130撮ってないな…。
国鉄形は多くが水島臨海鉄道へ移って現役なのが嬉しいが、キハ38の1両がこの記事よろしく凹みを完全無視した国鉄一般色になったのはお口アングリだったな。


JR八高線キハ110系(毛呂—越生・2017.5.5)(再掲)

高麗川以北の八高線非電化区間はキハ110系の天下。キハ110・111・112があり、すべて200番台となっている。


JR八高線キハ110系(毛呂—越生・2017.5.5)(再掲)

前出のキハ38の塗色をリバイバルしたキハ110系。前面はキハ38のカーブは再現せず、左右の窓に挟まれた部分を黒くしただけ。カッチリ長方形ブラックフェイスとなった。


三岐鉄道270系(西桑名・2013.8.18)(再掲)

三岐鉄道の北勢線は2003(平成15)年に近鉄から譲渡された。
譲渡前の車両は近鉄マルーン単色だったが、三岐鉄道三岐線と同様の黄色+裾オレンジに変更。アクセントとして先頭車窓回りはブラックフェイス化され、見事に垢抜けた。
いや、垢抜けというよりクセが増したか?


新京成8000形(京成稲毛—みどり台・2012.12.24)(再掲)

京急800形・国鉄201系・西武新101系と同時期に登場した新世代凹みフェイスの新京成8000形。その色と鼻筋・車両基地の名前から「くぬぎ山のタヌキ」と呼ばれた。
当初は在来車のツートンを継承したが、のちクリームに茶帯に変更。写真はその後京成千葉線直通用に整備された編成向けにアレンジされた、帯を赤茶ボーダーにしたスタイル。


新京成8000形(前原・2017.6.24)(再掲)

CIに伴い4パターン目の白+ピンクになった8518F。その際に前面凹みがブラックフェイス化された。久留里線キハ37同様、Hゴムが黒だったらよかったのにな。
これで「くぬぎ山のパンダ」となったわけだが、8000形自体の廃車が進んでいるタイミングだったため、この8518Fが最初で最後のパンダとなった。
8000形は2021(令和3)年11月で運用を終了し形式消滅している。

これ系のネタでも、やはり東海地方の豊橋鉄道渥美線1800系が撮れていないが気になる存在。
東急7200系を譲受したもので、移籍当初は前面窓回りの装飾はなかったものの、編成ごとに色を変える「カラフルトレイン」化の際に、新久留里線色同様の左右ブラックフェイスとなった。

そうそう、京成3300形のグレー系塗装移行時にお試しで登場したアレはひどかったな。3月の記事に再掲したばかりなので、そちらでどーぞ。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)