この日は月曜平日であるが、仕事は有休にしてあった。
単なる夏休みのひとつとして取っただけで特に用事も入れていなかったが、普段仕事で動けない平日ならではの列車を撮りに行くことにした。
7月の讃岐詣ででたっぷり撮影をしてきたが、それっきりになっていたのもある。
越中島支線
過去にも月曜に休みを入れて通勤時間帯の列車を撮りに行ったりもしているが、最近ずっと気にしていたのが総武線の越中島(えっちゅうじま)支線だ。
新小岩信号場から越中島貨物駅まで非電化単線でつづく貨物線で、新小岩信号場—亀戸間は総武線の旅客線複々線と合わせ5線区間となっている。
かつては途中に小名木川(おなぎがわ)駅があったが、20世紀末の2000(平成12)年12月に廃止された。
現在は終点の越中島貨物駅も貨物の取扱いはないがJR東日本の東京レールセンターとなっており、レール輸送列車が1日最大3往復走っている。
DD51 1801+貨車(亀戸・1989.1)(再掲)
平井—亀戸間で旅客線4本を跨いで海側に移った越中島支線は、亀戸から築堤で本線を離れ、大カーブで南へ向きを変える。
小名木川駅が現役の頃のコンテナ列車。私が中2のときにたまたま撮影したものだ。
(亀戸—越中島貨物・2018.1.14)(i)
昨年1月に小名木川沿いを西から歩いてきたときに撮ったもの。
その小名木川を渡るトラスの小名木川橋梁は複線規格となっているが、線路は西側にしか敷かれていない。
この橋梁から小名木川を東には進まず、線路際を南へ歩いた。
3枚目の写真の手前が商業施設『アリオ北砂』となっているが、これは小名木川駅の跡地を活用している。
運河である小名木川との結節点が小名木川駅だったのだ。
(亀戸—越中島貨物・2018.1.14)(i)
アリオの前を過ぎ、道路のアンダーパスの真上から南砂線路公園が始まる。
複線化に使うために確保されていた用地を遊歩道に転用したもの。
アリオの買い物客の抜け道として利用されている。
(亀戸—越中島貨物・2018.1.14)(i)
砂村運河橋りょうは運河跡とそれに沿った遊歩道と交差している。
遊歩道は浮き橋になっているが、橋りょう下は「天井」が低く独特な風情となっている。
(亀戸—越中島貨物・2018.1.14)(i)
浮き橋から軌道を見上げる。ものすごく近い。
(亀戸—越中島貨物・2018.1.14)(i)
砂村運河橋りょうの上はこんな感じ。複線化用部分に遊歩道が設けられている。
現在越中島貨物で線路が途切れているが、1989(平成元)年2月まではその先に晴海や豊洲へ続く東京都港湾局の専用線がつながっていた。
こちらは昭和を以て廃止になったという感じ。昭和は1989年1月7日までだ。
旧・東京都港湾局専用線晴海橋梁(2018.7.27)(i)
昔から姿を変えず残っているのが港湾局の晴海線の晴海橋梁。道路橋の春海橋(“はる”の字が異なるのだ)に沿うように架橋されている。
晴海運河にかかるこの橋梁はアーチ部分とその前後のプレート部分がまるまる残っているが、その他の地平の線路はすべて姿を消している。
まだ現役であったであろう時代に幼い私は家の車の中から見ていて、その後稀にここを通るたびに「まだある」「まだある!」と思いながら眺めてきた。
結局平成をほぼ丸々廃線跡として過ごし、今年30年が過ぎたわけだ。
旧・東京都港湾局専用線晴海橋梁(2018.7.27)(i)
色々な形での活用案が出ているようだが、なぜ解体されずにここまで残っているのかも謎である。
茶色くくすんだアーチ橋の魅力はたっぷりであるが、管理費がかかってるだろうに。
なおこの橋の写真はたまたま仕事が早く終われた日に、職場のある東銀座から豊洲まで長駆歩いたときに撮ったものだ。
夜なのはそのため。
ミステリー列車
越中島支線の基本的なダイヤは、午前・昼・午後の3往復の設定。
そのうち昼が定期スジであとの2つは臨時スジのようなのだが、どれか1つのみ走ったり、3往復すべて走ったりと需要に応じて変わる。
また、各スジもあくまで基本で、運行時刻が遅れたり早まったりするのは常だという。
日・祝日はまず走ることはない。
昨年だったか、とある土曜に一度沿線に来て昼の便を狙ってみたが、見事にスカされた。土曜も走る確率は下がる。
そのため、狙うなら平日なのだ。
今回もその土曜のときと同じく車で赴き、ゴルフ練習場脇のコインパーキングに駐車した。
このパーキングは越中島支線に沿った敷地に広がっている。
すぐそこに「松尾工場前踏切」があり、ネットで運行ありを確認していた午前の便の返しを狙ったのだが…会えなかった。
朝の便は越中島貨物1047発で、それより前から待っていたのだが。どうも「早発」だったようだ。
とにかく私はここを走る列車の詳細はよくわかっていない。
新小岩1210発の昼の便を期待し、車は駐車したまま時間つぶしがてら沿線を歩く。
(亀戸—越中島貨物)
越中島支線をくぐるように通る遊歩道があり、そこを歩くとすぐに都電の車輪が見えた。
遊歩道は都電の廃線跡である。元を辿るとここの路線は城東電軌が敷いたものだ。
(亀戸—越中島貨物)
黄緑のガードは「城東電軌こ線ガード」という名前が今も使われている。
ネットで調べると、都電は複線だったようだ。
アリオで早めの昼食を摂り、南砂線路公園エリアで列車を待つ。
ネットで確認すると、昼の便はチキ9両を引き連れて新小岩を出た模様。ついに撮れそうだ。
遠くにヘッドライトが見えたので、カメラを金網の上から構える。
DE10 1704+貨車(亀戸—越中島貨物)
複線分の幅を持つ小名木川橋りょうをDE10牽引の列車が進んで来た。
小名木川駅跡のこの場所は線路が複線になっているが、特に信号場などにはなっていないようだ。
亀戸駅からの築堤はこの場所で地面と同レベルに移行していく。
DE10 1704+貨車(亀戸—越中島貨物)
列車はこの複線部分で停車。係員が降りてきて、無線でゴニョゴニョ。
カマは高崎のDE10 1704だ。
(亀戸—越中島貨物)
別の係員は威風堂々歩きながら列車に先行する。この先複数ある踏切の管理だろうか。
私も少しだけ越中島貨物方面へ位置を変える。
DE10 1704+貨車(亀戸—越中島貨物)
デッキに係員が乗った状態で進んで来て、赤旗でストップ。
テールランプが片側だけ点灯している。この単線に戻ったあたりからは越中島貨物駅構内であり、入換運転扱いとなるとのこと。その入れ換え運転時のルールに則ったスタイルのようだ。
DE10 1704+貨車(亀戸—越中島貨物)
係員が中に戻り、その後本格的に動き始める。
DE10 1704+貨車(亀戸—越中島貨物)
小さなカーブでダイナミックな画角。
DE10 1704+貨車(亀戸—越中島貨物)
水色の砂村運河橋りょうを通過。間近で観るレール輸送列車はなかなかの迫力であった。
貨車は私のイメージの黒ではなく緑。しかも、レールを積んでいるがレールセンターから出てきたのではなく向かっている。
調べると、貨車は日鐵チキ5500。黒崎駅常備と書かれた私有貨車だ。黒崎は北九州市の鹿児島線の駅。
貨車の所有会社の現在の社名は日鉄物流八幡だが、もとは「日鐵運輸」であったためファンのあいだでは日鐵チキと通称されている。親会社の合併が続き最近ではコロコロと社名が変わっている様子。
日本製鉄(以前の新日鐵)八幡製鉄所で造られたレールは黒崎駅まで繋がる専用線から搬出され、黒崎からははるばるJR4社の線路を走って越中島貨物まで届けられる。
この黒崎からの列車は船運に代わり3年前に登場したもので、それまでは西浜松駅行が東限だった。JR東日本へは他に東鷲宮駅行と岩切駅行がある。
レールセンターにとっては仕入れ便というわけだ。
ここからパーキングまで、ローソンのアイスラテを買って飲んだりしながらゆっくり戻る。
昼の出発便も撮りたいため、駐車車内でしばらく時間をつぶした。
私の持っている情報(…っても2017年の)だと昼の出発は13時50分すぎでまだまだ時間があるが、アイドリングで冷房を回し続けるのも気が引けるので外に出た。
メトロ東西線の回送線近くの踏切でカーブアングルで撮ることを考えていた。
どうせ着いてからも時間が余るだろうと遠回りの道を選んだところ、踏切の音が…。
慌てて戻ったが、先頭は間に合わなかった。
DE10 1704+貨車(亀戸—越中島貨物)
出発便はボロいチキ2両だけの列車だった。
なんだか無理矢理踏切から撮ったが、短くてすっぽり収まってくれた。
遮断機が上がったあとは真正面からロングズームで撮り、これにて撤収した。
JR東日本ではレール運搬専用車が登場している。
JR東海のキヤ97系をベースにしたキヤE195系で、仙台地区向けに造られ、首都圏でも試運転が行われた。
このDE10を用いた列車もいつまで見られるかわからないので撮れるときは撮っておきたいのだが…何しろ運転がミステリーでね。けっきょくこの日は3往復とも運転があった。
ま、とりあえずは撮れたからよしとしよう。
(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)
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