2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/03/20

11.3.17 分割編成を待つ

海浜幕張駅に戻り、帰路へ。


E233系分割編成登場

図らずして、往路と同じケヨ52+K2編成が登場。ただし快速のため乗車は見送り。



201系(海浜幕張)

日を浴びたスカイブルー塗装はナマの目で見るともっとキレイな発色をしている。何度か同じ表現で書いたかな…。
この列車が出発すると、下り1番線にはケヨ54+ケヨK4が快速でやって来た。複々線の外側線同士で201系がすれ違った。こっちの運行番号表示は「19」。

次に来たE233系の各停に乗車。


京葉車両センター(新習志野—海浜幕張の車内より)

往路では一番手前にあった京葉顔205系を撮ろうと思ってドア窓で待ちかまえていたが、さらに手前に武蔵野線205系が来ていた。この写真だとケーブルが絶妙な位置にかかっていて、まるで量産先行車が武蔵野線用に転用されたかのように見える。
京葉顔の編成はケヨ4。中間車6両が長野送りとなって4連に組成されており、当然営業運転からは撤退している。また奥のE331系ケヨAK1も1月下旬以降営業から離れたままになっている。
写真の201系はケヨ53+K3で、ケヨ51(京葉線幕)+K1は奥の離脱フラグ的線路に停まっていた。


二俣新町に到着。日が当たる蘇我方カーブでしばらく撮る。
往路は南船橋で、復路は新習志野で、2回もE233系分割編成と行き違った。蘇我から戻って来るであろうそれを待つのだ。地震の前後だか、つい最近営業運転に就いたばかりだ。


E233系(二俣新町)

単線に対する2本脚の架線柱に作業用の足場のパイプが加わり、なお仰々しいカーブになった。




E233系(二俣新町)

来るのはE233系ばかり。この日は209系500番台ケヨ34も走っていたが、カメラを構えているタイミングでは現れなかった。




201系(二俣新町)

海浜幕張でケヨ52+K2とのすれ違いを見せたケヨ54+K4が来た。こちらも59を表示していて成勝には関係ない運用。


E233系(二俣新町)

順番的にそろそろ分割編成か? と思ったら、ケヨ506。貫通編成だ。日が傾いて当たらなくなってきた。



E233系(二俣新町)

そしてようやく現れたのがケヨ551+F51。201系同様に東京方から6+4で、中間に白フレームの先頭車が入っているのが見える。運行番号は1582Aを出していて、この日成勝運用に入る見込みだ。

これにて撮影は切り上げた。


停電肩すかし

帰宅途上にあるコーナン湾岸市川モールに寄って買い物をしようとしたら、「停電があるかもしれないので18時まで休止」とのことで閉門中。買い物に来た車が次々にUターンしていた。

帰宅後、夜に大規模停電(計画でなく、需要オーバーによる突然の停電)が起きる可能性が出たとテレビで報じていた。国は平常運行を始めた路線を抱える東京の鉄道会社に減便を要請。各社それに応じたようで、京葉線も手がつけられた。ケヨ551+F51がこのあと成勝に入ったのかは私は確認していない。

そして夜。結局鉄道会社の努力もあって大規模停電は避けられた。
ちなみに、第5グループに入っている我が家は一度も計画停電に遭っておらず、この日もナシ。コーナンも停まらなかったはずだ。同じ第5の別の丁目は停電があったようだが、いろんな関係で我が家の近所一帯は停電にならないとの噂も町内で出ている。LEDのランタンや懐中電灯も買って用意したんだけど、いつも肩すかしばかりだ。
これは当然有難いことではあるんだが、一体なぜなんだろうか?

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。