2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2011/04/05

11.4.4 行川ころかし

3日から4日にかけて、家族のやんごとなき用事のため鴨川で一泊してきた。
鴨川行きが決まったのが地震の後外房線が止まっていた時期。4日の午前に鴨川に居る必要があり、私が家の車を運転して送迎することになった。

市川市内の自宅から京葉道路・館山道・房総スカイライン・鴨川道路と有料道路ルートで2時間かからずに到着。さすが県内。
外房線は通常通りの運転に戻っていて、鴨川からは千葉駅行のバスもあることも後からわかった。単なる送迎役の私は4日に宿をチェックアウトしたら先に帰途に就くことになった。


おせんころかし

4日・10時すぎに宿を出る。宿の目の前の鴨川シーワールドをはじめ、部屋にあった観光案内にはいろいろな場所が載っていたが、南の館山にでも出ないと一人で行くようなところがあまりない。
勝浦市に入ったところに「おせんころがし」という崖の上の展望スポットがあるようなので、そこに寄りつつ、往路とは違うルートで帰る。

国道128号線を勝浦方面へ進む。外房線の列車を撮れそうな場所があったら寄ろうと考えていると、左に安房小湊駅が目に入った。国道からはずれてケイタイで時刻を調べると、下りわかしおがわりと近い時間に来るようだ。特急の運転はついこないだ再開したところ。

駅近くにガーダー橋を見つけた。橋のすぐ横は車を寄せられるスペースがあり駐車。橋の周りをちょっと歩いてみたが、海側はケーブルがあって邪魔。山側は光線条件がよくないが、もう来そうなので撮るだけ撮ってみることにした。


E257系500番台特急「わかしお」(行川アイランド—安房小湊)

ま、記録ということで…。下調べしてくればよかったな。列車は1〜2分遅れていて、「あれ? やっぱり運休か?」と疑ってしまった。

国道に戻って再び勝浦方面へ向かう。国道のその名もズバリ「おせんころがしトンネル」を抜けると、すぐ右手におせんころがしへの入口。が、あまりにいきなり現れたため停まれず、すぐ先左手にあった行川アイランド駅に入った。
国道に面した位置に無理矢理造った形の行川アイランド駅。国道との間には舗装されたスペースがあり、白い車が1台停めてあったので私も駐車。
10時50分すぎに待合室の時刻表を覗くと、11時3分に安房鴨川行、13分に千葉行となっていたので、2本の普通列車をここで撮ることに決めた。



(行川アイランド)

行川アイランド駅は単線上にある1面1線の駅。千葉方がカーブ、安房鴨川方がトンネルになっている。無人駅で改札ブースはなく、ホーム出入口に簡易Suica改札機が2台並ぶ。3年前に建て替えられた近代的なデザインの小さい待合室があるのみで、ホームに上屋はまったくない。



(行川アイランド)

ICカードを使わない場合は乗車駅証明書を発券して下車時などに精算する形。
外房線は昔からオレンジがラインカラー。方向幕の赤とはちょっと違うのだ。




(行川アイランド)

千葉方のカーブは駅途中から始まっている。ホームは「し」の字形。待合室後方に見えるのが国道のおせんころがしトンネル。
安房鴨川行はこの千葉方の端で待った。このロケーションで都心の駅と同様に「こんどの1番線の電車は…」と定期的に放送が流れるのは何とも不思議な光景だ。今度の安房鴨川行は4両編成との放送。ちなみにホームに「1番線」の表記は存在しない。





209系(行川アイランド)

案の定、新しい房総のヌシである209系がやって来た。私も短期間ながら京浜東北線での通勤で209系に毎日乗っていたことがあるが、当時この緑に囲まれた風景を走る姿はまったく想像できなかった。



209系(行川アイランド)

編成番号は4連口トップのマリC401。10分後に来る安房鴨川始発の上り列車は、たぶん違う車両が来るだろう。
勝浦以南は基本的に1時間に1本ペース。特急が普通列車に化けるものもあり、209系とてそう頻繁に通るわけではない。



(行川アイランド)

次の上りはトンネルから顔を出したところを撮ろうと、ひとまず反対のホーム端まで進んだ。トンネルの名前は一見国道と同じようだが、濁点のつかない「ころかし」という表記になっている。


(行川アイランド)

トンネルを背に11両対応のホームを眺める。トンネルに近づくにつれ両脇が高くなっている。この写真で見ると線路もトンネルへ向けて下っているようにも見えるが、ホームを歩いたときは特に勾配を感じなかった。
放送では今度の列車も4連とのこと…。





209系(行川アイランド)

来たのはなんとマリC402。さっきと編成番号が1番ちがうだけ。
なお乗降は安房鴨川行が降車1人、千葉行が乗車1人。調べると、2006(平成18)年時点で1日平均19人という乗降客数だ。



(行川アイランド)

駅前千葉方には建物があり、どうやら昔の駅舎のようだ。パイプの仕切りなどから、ここが有人改札口だったことがわかる。



(行川アイランド)

なぜかホームを向いた側に「駅」の1文字が残っている。

そもそも「行川アイランド」とは何なのかというと、フラミンゴのショーなどがウリだったレジャー施設。私も小さいころ館山に泊まった帰りに行ったことがあり、ものすごい数のピンクのフラミンゴが並んでいた姿は強烈に印象に残っている。
駅前の交差点の向こう側が行川アイランドがあった場所で、施設は2001(平成13)年に閉園され、そのアクセスとして設けられたこの駅も無人駅となって駅舎が不要になったわけだ。駅そのものもの廃止も検討されたが、必要としている人もいるので現在も存置されている。
ただ、なくなってしまった施設の名前が駅名でそのまま残っているのは面白いところ。交差点も「行川アイランド前」という名前で、信号機の表示にはフラミンゴの絵まで入っている。


おせんころがし

上下列車を1本ずつ撮ったところで駅を後にし、おせんころがしの看板が導く方向へ歩みを進める。
国道を渡ると、砂利の散らばった道のような敷地のような空間があり、奥へ進むと左におせんころがし、右にホテル行川への分かれ道がある。ホテル行川は昭和のラブホテルという感じ。



左に入ると、キレイな舗道が山の合間を縫っていく人工的な風景。



舗道は崖にたどり着いたところで終わり、正面には柵。左右とも落ちてもいいなら進めば、というような断崖。トンネルがなかった昔はこの崖沿いを抜ける道だったんだとか。
「おせんころがし」の由来は、大昔にこの地の豪族の娘・お仙がこの崖から身を投げたという話からだそう。厳しい年貢の取り立てで父親が領民から命を狙われたのを知り、お仙はその身代わりになったんだという。写真はその供養塔のようなもの。




高さ20mの崖からの太平洋の眺め。地球が丸く見える。海岸では磯釣りをしている人が数人。この一帯4kmの崖道がおせんころがしと呼ばれていたようだが、現在はこの位置からしか海を見下ろすことはできない。

観光案内に載るスポットにしてはあまりの動ける範囲の狭さに唖然としつつ、車に戻った。(つづく)

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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