2019/05/12

19.5.12 ママの日

GWから変わっていたというのに、知らなかった。

京成本線の市川真間(いちかわまま)駅が5月12日の母の日にちなんで4月27日から「市川ママ駅」に変わっているというじゃないか。
知ったのはその母の日の数日前。Facebookでフォローしている市川市役所の発信で気づいたのだ。

私自身市川市内のみを流れる真間川(ままがわ)沿いの家に住んでおり、真間という地名には縁がある。
11日土曜は用事がいろいろあったので、12日、自宅からママチャリで市川ママ駅を目指した。
この母の日当日が「ママ駅」の最終日だ。


ママ駅にママ集う

自宅から一旦、江戸川を渡る妙典橋へ向かった。
03系を遮る留置車両がなければ妙典橋の上から撮ろうと思ったのだが、その遮る車両が留まっていたので妙典橋は渡らず、江戸川の土手をひたすら北上した。
なお前日11日に新たに03035Fの一部が加わった模様で、両先頭車のほか中間車2両も来たようだ。

京葉道路をくぐった先で地平に下りて、外かんの側道をまたひたすら進んで菅野駅へ出る。
菅野駅の周りは外かん整備に伴うロータリーや歩道橋の整備中だ。
くにゃくにゃと曲がった仮設通路を進んで踏切を渡ると、京成の線路に沿った道に出る。


3400形(市川ママ—菅野)

市川真間…もとい、市川ママ駅に近づいたところで踏切が鳴いたので、ひとまず撮る。
3438F。初代AEのなれの果てである3400形はまだまだ全車健在。
似た形のステンレスカー・3700形は行先と種別の表示がフルカラー&白色LED化されているが、こちらは全車表示幕が生きている。


(市川ママ

市川ママ駅に到着。
駅名標はすべてカーネーション絵柄付の「市川ママ」表記となっている。



(市川ママ

ホームの駅名標は「市川真間」の表記は残っていない。中国語表記が近いところではあるが。


(市川ママ

南側のエレベーター口。(市川真間駅)の補記がされている。


(市川ママ

エレベーター外側の縦形看板もきちんと変わっている。



(市川ママ

南口階段。市川ママの表示を撮る市川ママ達の図。
テレビでも紹介されたためか、あちこちの表記をたくさんの人が撮りに来ている。



(市川ママ

グループである京成バスのバス停もしっかり変わっている。
南口は角柱型の表示&屋根付きの都会型?スタイル。
バスのケツが切れちゃったな。バスは詳しくないが、よーく見るとヘッドライトの周りとか私はあまり馴染みのない形に進化している様子。



(市川ママ

こちらは北口。ボード型の標があるだけで屋根はなし。
駅名表記変更の告知がされている。




(市川ママ

北口は自転車置き場があり雑然とした風景。階段は南口よりずっと幅が広い。


(市川ママ

北口エレベーター。
このように看板の形や大きさはまちまちで、差し替え用のサインを用意するのもいろいろ面倒だったろう。



(市川ママ

改札口に上がってみると、ラチ内に記念撮影用のハート型ボードが設置されていた。
ナイキのお父さんが動いてくれないんだ…。
モニターの北総の記念乗車券も気になる。


(市川ママ)

カーネーション販売。コーヒーとお菓子や記念入場券の販売も行われていた。
ほか、3年後の母の日に届くという「タイムカプセル郵便」の受付や、5名限定でこどもの駅長体験(構内放送含む)なども行われた。
写真は客が画面に入るのを避けて撮っているが、この駅にしてはたくさんの人の姿があった。
駅名表記変更企画は他社ではちょこちょこ見られたものではあるが、京成では初めての試み。独特な語感を活かそうと市川真間駅の職員さんたちの発案から実現したものだそうだ。
マスコミも報じてたくさんの人が訪れたことは、じゅうぶんな効果があったと考えていいだろう。私も踊らされた一人である。


移動沿線撮り

市川ママ駅の観察を終え、大門通りにある店で昼食。
その大門通りを北に戻り、踏切に出る。せっかくカメラを持ってるのだから走っている列車を撮っていこう。


3000形(国府台—市川ママ)

5年前に画面奥の踏切を訪れたが、その成田寄りの隣の踏切。
いきなり裏に被られた。記事を見ると、5年前も1本目はやっぱり同じだったなぁ。


(国府台—市川ママ)

んしょっ。



3400形(国府台—市川ママ)

3428F。最初に市川ママ駅手前で撮ったやつより1つ後の車号の編成。



3600形(国府台—市川ママ)

3600形は廃車が進んでおり、現在チョッパ8連3本・VVVF4連1本の体制。
3500形更新車のほうがたくさん残っている。


3000形(国府台—市川ママ)

スカイアクセス線に比べるとこちら本線高砂以東は地味なラインナップ。
下り列車を3本撮ったところで撤収。

このあと大門通りをさらに北上し、通りが目指す所である真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)へ行ってきた。
丘の上にある弘法寺へは長い石段を上がって行くのだが、この石段の一段一段が高く、結構体力を奪われる。
手前にある手児奈霊堂も合わせて見て回ってきて、再び自転車へ。
自宅方面へ向かいつつ京成本線に沿って進むことにした。

出かける前に唯一調べてきたのが、数少ない本線高砂以東の都営車の運用。京成八幡を13時半すぎに出る上り快速に入るのだが、市川ママ付近で図らずもその時間となった。
未だ撮っていない5500形が来るのを期待するが…なんだ、5300形か…あれ? かつての急行を思わせる丸いマークが窓についているじゃないか。





都営5300形(市川ママ—菅野)

このマークは都営浅草線・京成・京急の相互直通50周年を記念したものだそうだ。図柄は千葉県の房総半島がド真ん中に来ているが…。
どうせどの編成にも貼ってるんだろうと思って調べたら、都営車でも5501Fとこの5311Fのみだというじゃないか。
京成は3028F、京急は604Fに貼られているとのこと。
5500形が来なかったのは残念だったが、この運用に入ったこの編成に出会えたのはラッキーであった。



3400形(市川ママ—菅野)

3448F。3400形は5編成の存在だが、短い撮影時間で3編成目に遭遇。


3500形更新車(市川ママ—菅野)

菅野駅へ向かって進んだところで3500形登場。
昨年10月に3532Fが更新車の廃車第一号編成となったが、1972(昭和47)年製のトップナンバーも含め若番車もまだまだ走っている。


3700形(菅野—京成八幡)

下り普通うすい行で菅野駅を出てきた3838F。3828Fとともに3700形では少数派の6連口だ。


3000形(菅野—京成八幡)

京成八幡に近づいた位置。要は、線路際の道を進みながら列車が現れれば撮っているわけだ。



3700形(京成八幡—鬼越)

京成八幡を過ぎた先の葛飾八幡宮門前の踏切でカーブアングル。
カーブの脇の市川市役所は建て替えの真っ最中で、巨大なクレーンが2本立っていた。
3718Fは3700形の「最初の顔」をしており、菅野で撮った3838Fは「最後の顔」である。ヘッド・テールライトの配置と種別表示器周りの処理が異なっている。
ただし3718Fのスカートは新製当初は付いていなかった。


3000形(京成八幡—鬼越)

京成八幡を出発した3015F。



3500形更新車(京成八幡—鬼越)

この列車を撮って終了。
このあと真間川に当たるまで線路際の道を進み、あとはひたすら川沿いの道を自宅まで走って帰った。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

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