2024年4月に入り、2016年夏までの古い記事の画像リンクが切れました。
対応は現アルバム経由での再貼付しかなく、徐々に進めています。
前後の記事が直ってないのに、ポツンと直っている記事もあります。
完全復旧までには相当の期間がかかる見込みです。

2010/12/17

丸ノ内線 なつかし写真・1&最近写真

今回はメトロ丸ノ内線のなつかし写真。


赤い電車

東京メトロ丸ノ内線は東京で2番目の地下鉄路線として1954(昭和29)年に開業。最初の区間は池袋—御茶ノ水間。1959(昭和34)年には新宿に達し、丸ノ内線としては全通した。丸ノ内線は半環状線で、当然池袋—新宿を通して利用することは想定されていないルートどりだ。
1961(昭和36)年に新宿—中野坂上—新中野・中野富士見町間が「荻窪線」として開業、翌年までに荻窪・方南町に達し、現在の路線の形ができあがった。1972(昭和47)年に荻窪線も丸ノ内線に取り込まれた。
旧・丸ノ内線が都心の半環状部、旧・荻窪線が西側の放射部という、大江戸線に通じる形だ。そんなわけで、スタイルの似た丸ノ内線と大江戸線は数駅で接続している。

丸ノ内線には銀座線1400形での試験を経て製作したカルダン駆動車・300形が投入された。銀座線のつりかけ駆動から脱し、日本でも早期の高性能車となった。車体は「スカーレットメジアム」という鮮やかな赤に白帯とステンレスの波模様(サインウェーブ)を重ねた、当時では革新的なもの。


500形(大手町・1988.1.24)

丸ノ内線向け鋼製車両は300形が301〜330、400形が431〜468、500形が569〜802と下2ケタが通し番号になっている。製造の遅い900形のみ901〜918とリセットされている。ということで、写真の771は500形。
運行番号は運転台窓の札で示していたが、荻窪方先頭車の助士側窓下には「レスポンスブロック」というものがあり、運行番号読み取り用の車上子が差されていて、その車上子にも番号を表示した。軌道上に地上子があり、どの列車がどこを走っているのかがわかるようになっていた。これは銀座線も同様。
400形は300形から屋根構造が変わり、軽量化が進んだもの。500形は前2形式の両運転台から片運転台となり、丸ノ内線の主力となった。900形はさらに運転台がなくなった完全な新製中間車だ。




500形(四ツ谷・1988)(f)

四ツ谷駅での500形。資料によれば、2本とも2・5号車が400形の編成だったようだ。
2枚目の609は私の撮った写真の中で唯一の、正面窓が原形のままの車両。そして2枚とも方向幕脇に「行先標識灯」が残っている。これは初期開業時、御茶ノ水行が黄緑色、池袋行が水色に点灯するようになっていたそうだが、あまり長くは使われなかった様子。


丸ノ内線の面白いところは「途中に明かり区間がある」ということ。これは銀座線に続くまだ2番目の建設のため地下でも浅い場所を通っているのが多いことと、都心の起伏のある地形が重なったため。既存の他路線や地下埋設物を避けて深い所を走り明かり区間のない大江戸線とは間逆というわけだ。
東京にある多くの地下鉄路線の中でも、地下区間に挟まれた明かり区間があるのはこの丸ノ内線と都営新宿線だけ※。
丸ノ内線や銀座線の明かり区間は第三軌条式のため上空がスッキリしている。
※都営新宿線は荒川・中川放水路を跨ぐため東大島—船堀間のみ地下から高架に出る。これは地面の高低差ではなく、大きな川の下の緩い地盤に地下鉄を通すより、鉄橋で渡す方がまだ工費を抑えられることが理由。東へ続く高架区間へ向けて荒川の手前で地下から顔を出す東西線や千代田線も同様の選択であろう。



500形(後楽園・1988.9.11)

同じく明かり区間にある後楽園駅。池袋方に留置線があり、昼間は2本の編成が寝ていた。当然後楽園始発・終着の列車がある。
当時は後楽園球場の後釜となる東京ドーム開場1年目だが、後楽園ゆうえんちは名前もそのままそのまま続いていた。本郷三丁目方からトンネルを出ると車窓左側にジェットコースターのレールが現れ、子どもはワクワクしたもんだ。現在は東京ドームシティ・ラクーアに生まれ変わったが、ジェットコースターや観覧車は新しいものが設けられている。ジェットコースターに関してはこないだパーツが落下して子供を傷つける事故があったっけ…。


後楽園駅舎(1988)

現在丸ノ内線後楽園駅は駅ビルと一体化しているが、80年代まではこのような格納庫的スタイルだった。
よく見るとわかるが、屋根の中に一般的な対向式ホームの上屋がある。これは、このかまぼこ形の上屋を撤去し、現在建っている駅ビル「メロト・エム」ができるまでの間に使う上屋で、取り壊しにリーチがかかった状態ということ。写真は1989(平成元)年かもしれないが、あやふや。




500形(茗荷谷・1990)

これまた明かり区間の茗荷谷(みょうがだに)駅。ホームは切り通し内にあり池袋方はすぐ地下トンネルとなるが、反対側は隣り駅の後楽園の先まで多くが明かり区間で、途中に丘をくぐるトンネルがあるという面白い状態になっている。
茗荷谷駅の荻窪方には駅名の通りの谷の地形を活かした小石川車両基地があり、この駅も当然始発・終着列車が存在する。新大塚をひと駅挟んだ先が起点の池袋のため、池袋—後楽園間は4駅中3駅で定期の始発・終着があるわけだ。
1枚目の621号は使わなくなった標識灯を撤去し、台座がそのままになっている。赤い車体には黒Hゴムがなじまなかったな。標識灯の使用を止めた後に造った500形はその台座のないシンプルな方向幕ボックスとなっている。


500形(池袋・1990)

壁を改装中の池袋駅。青いラインはその作業のためのテープ。線路は駅の端でプッツリ切れている。
丸ノ内線は第三軌条式ということもあって他社・他線への相互乗り入れはしていない。池袋に関しては放射状に様々な路線が延びているため伸ばす先がない感じだが、荻窪や分岐線の方南町からは延伸すると嬉しい人たちが多いかもしれない。荻窪の場合は北に伸ばして西武新宿線・池袋線の2線と中央線を結ぶようなものになると便利だ。18m車6連なら需要にもちょうどいいだろうし。



500・900形(後楽園・1991)

後楽園駅のかまぼこ屋根がなくなり、メトロ・エムができるまでの間の一般的な対向式ホームのカッコの時代の写真。先の駅舎の写真に写っていた上屋を使っている姿だ。1枚目の2両目は運転台のない丸屋根なので900形。
日比谷線3000系同様、丸ノ内線鋼製車も900形2次車以外はドア窓が縦長のスタイルで登場した。経年により順次5000系に似たスタイルの小窓ドアとなり、内張りはステンレス地肌となった。また正面窓も角張ったHゴムなしのものだったが、Hゴム支持に改装され、ワイパーを窓脇から窓下に移したため窓の下辺が上がった。このため原形窓の下辺部分がクマのようになっている。私鉄・国鉄問わずよく見られた例だ。


500形(四ツ谷・1993.3.7)

茗荷谷駅前後・後楽園駅前後・四ツ谷駅のほか、御茶ノ水駅の荻窪方で神田川を渡る所も明かり区間(深い谷間の神田川を渡るところだけ両岸の「崖」の中腹から丸ノ内線が出てくる)で、東京の鉄道の有名な風景の一つになっている。営業線上ではこの4区間が明かり区間になっている。御茶ノ水の明かり区間は未だに撮ったことがないな…。


02系

1988(昭和63)年、営団地下鉄は日比谷・丸ノ内・東西の各線にアルミ車体・冷房付・高周波分巻チョッパ制御の新系列車両を続々投入した。日比谷線は3000系にちなみ03系、東西線に5000系にちなみ05系とされ、丸ノ内線は銀座線01系に続く02系となった。
銀座線はその大元である東京地下鉄道の最初の車両が1000形でつながりはあるものの、丸ノ内線用に製作された車両で2で始まる車両はなく、0x系の中では唯一縁のない数字がつけられた系列だ。ただ東京で2番目の路線であるので、自然ではある。


02系・500形(後楽園・1989)(f)

かまぼこ屋根撤去から間もないころの後楽園駅で新旧車両が並ぶ。ちなみに写真は「絹目」の紙焼きのため、スキャンでモアレが出てしまっている。
スピード感を意識して運転台窓に後退角をつけた03・05系と違い、02系は01系の流れを汲んだ控えめな顔つきになった。



02系(茗荷谷・1990)

02系は01系よりも2m長い18m車のため同じ3ドアでも側面窓割りが異なり、むしろ同じ18m車の03系に近い。また赤坂見附駅で銀座線とホーム対面で接続する際の見分けのために幕部にも帯が入っている。01系は幕部には帯はない。在来車同様、荻窪方先頭車にレスポンスブロックが付けられている。


02系(後楽園・1991)

02系は01系とともに側面に行先表示器がない。銀座線は起終点以外の定期列車の行先は上野行しかないが、丸ノ内線はデータイムの3本に1本が池袋—新宿の区間列車となっていたり、支線の中野富士見町行の列車もあったりするので、あってもいい気もする。

ついでに当日の記事で載せなかった今年2月の写真を勿体ないのでアップ。たくさん撮ってみたが、暗くて失敗したものばかりだったのだ。


02系(後楽園・2010.2.7)

夕方の後楽園駅。東京メトロへの移行でハートMマークが貼付された02系。
LEDの行先表示は実際はオレンジ(赤と緑の2色点灯でオレンジになる。オレンジの電球はない)なのだが、この02系の表示器はシャッターのタイミングによって緑だけを拾うことがある。

02系は14Fから行先表示がLEDとなり、20FからVVVFインバータ制御に進化した。また19Fまでのチョッパ車も経年20年の大規模改修工事(B修と呼ぶそう)に伴ってLED表示やVVVF制御への換装が進んでいる。
B修車は赤白帯を赤地に白のサインウェーブを加えた形に変更し、往年の車両のイメージを引き継いでいる。しかし、ホームドアが設置されたため、この後楽園のように視界の開けた駅でないときちんと拝めないのが残念。



02系(後楽園・2010.2.7)

現在の後楽園駅ホーム。天井が低く、圧迫感がある。
この日はさいかち坂で201系を撮った帰りで、件のサインウェーブの編成が来ないかと数本待ったが、お目当ては来なかった。

(右フレーム上部から入れるアルバムに、掲載した写真をカテゴリ別にまとめています)

1 件のコメント:

アワカツ さんのコメント...

はじめまして。
ペーパーレイアウト?というブログをやっていますアワカツと申します。
ちょっと検索していましたらここにたどり着きました。
貴重な写真コレクションをお持ちですね!当時の何気ない写真ってとっている方が少ないんですよね…
臨時とかさよならとかはたくさん見れるのですが、何気ない極普通の風景を拝見でき、凄いブログを見つけたと喜んでおります。
私は鉄道模型のジオラマを作るブログをやっているのですが、その場所をそのまま作るということをしている関係で、何気なく写っている建物などがとても入用になったりします。
そういう意味では、駅舎の写真やホームなどが写っているものがとても嬉しかったりします。
また、何度となく拝見しに伺います。
今後共よろしくお願いいたします。

コメントを投稿

コメントは管理人が通知メールを確認後掲載可否の判断をします。
表示まで日数がかかったり、非掲載となる場合があります。
管理人はコメントへの返信必須のスタンスではありませんが、掲載した場合は「コメントありがとうございます」の意味がこもっていますので、予めご了承下さい。